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日々じゃーなる

日々の生活でおもったことをなんとなく、でも結構まじめに綴るブログです

観光地にある説明、読みますか?

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テレビは習慣的に見ないものの、面白そうな番組は録画して見ます。

先日見た番組では、なんと私の住んでいる地域が紹介されていました。

全国区の番組で地元がうつると、ちょっぴりうれしいですね。

 

地元ではまあまあ有名な場所なんですが、その場所にまつわる物語を紹介する、という番組でした。しっかり30分くらいかけて作られた内容はとても感動的でしたが、それよりも驚いたのは、私がここに住んで結構経っているにも関わらず、その物語を全く知らなかった、という事実です。

 

その番組内でもうつっていましたが、そこにはちゃんと説明文がのった看板が立ててあり、その文章さえ読んでいれば、その番組を見ても目新しくはなかったと思います。

 

 

旅行も趣味の一つなので、観光地からマニアックなところまで様々なところに出向きます。

そして、多くの場所には説明のための看板が設置されていたり、すごいところだとボランティアの説明員がいたりします。

 

有名な観光地は、有名なだけあって、その物語も既に知られているものが多い。

一方、そこまで有名ではない場所は、物語の存在自体もあまり知られていません。

しかし、そこにある説明文を丁寧に読むと、意外とどれも感動的だったり、歴史を重く感じることができるものだったりします。

 

それが理由で、私はそういった場所の説明文はできるだけ読むように心がけています。旅行という行動に、より深みが出る気がするんですね。

 

しかし、地元は盲点でした。

いつでも行ける、という口実の元、観光地、景勝地には地元の人はあまり足を運ばないといいますが、私も例外に漏れることなく、正直地元のことはあまり知りません。

 

上記したように、その番組は全国区の番組なので、東京から私の地元に、番組スタッフが取材、調査のため足を運んだのでしょう。

東京から来た人が私の地元を調べ上げ、その番組を地元民である私がみて物語の事実を知り感動するとは、少しの情けなさすら感じます。

 

 

そもそも土着愛的な感情が希薄だと自覚しています。

しかし、家の近所のことを丁寧に調べていくのは、単純に身近で面白いし、それまでと同じ風景のはずなのに違って見えてくるというのも趣がありますね。

近所だから時間も労力もお金もさほどかかりません。

 

ネット全盛の時代、何かを調べるとなるとまずGoogleですが、Googleで調べた内容の裏付けは、やはり実際に見て感じて確かめることが重要だし、より楽しい。若干の運動不足解消にもなります。

 

目的のない散歩が苦手な人におすすめします。

 

 

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運動会はうるさい?

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私が小学生だった頃は、運動会は決まって秋だった気がします。

季節も良いし、体育の日もありますしね。

でも、最近運動会の練習や本番の音が近所を散歩していると聞こえてくるので、この時期にするところも結構あるのでしょう。

確かに、季節としては良いと思います。

熱中症にかかるほど暑くはないけれど、全然寒くもない。

 

運動会は、結構大きな音が出ます。

運動会に限らず、幼稚園や保育園は年中音が出ていますね。

これらの音が原因で、学校・幼稚園・保育園と近隣住民がトラブルになることがあります。ニュースでもたまに見ますよね。

 

私は音楽関係の仕事で、自宅で録音をすることもあります。

簡易録音しかしないので、特に防音壁を使ったりはしていません。

すると、外が騒がしい場合は録音できません。良いマイクは感度がとても良い、つまりマイクが良ければ良いほど、雑音・騒音も拾います。

 

それが理由で、録音する場合はほとんど夜に行います。

同じ理由で夜に録音し、宅録派の生活リズムが昼夜逆転することは当然の結果ですね。

 

さて、上記したトラブル。どちらの言い分も理解できます。

学校や幼稚園、保育園側は、運動会をやらない訳にもいきません。学校全体を防音壁で覆うことなんてもちろんできません。

しかし、そこに住んでいる人にとって、静けさを求める権利もあります。

教育の為に我慢しろ、ということで我慢できるのならば、トラブルになるはずもありません。

 

こういう時は、やはり歩み寄りです。

建設的な話し合いは絶対条件です。その中で、音をだす時間に制約を設けることなどを決めることはできるでしょう。

住民の方も、音が出ている間は、それを逆手に取っておでかけするとか、見物に行ってみるなど良いかもしれません。

音がうるさいと感じるのは、大抵の場合音が出ている源が自分と無関係だからですよね(電車内の、会話はOKで電話はNGというのと同じ)。

 

実際のところは、そう理想通りにはいきませんが、一度そうやって考えてみることが大切だし、正直それ以上の解決方法はないでしょう。

 

 

この問題にかぎらず、様々な問題に関して、どちらが正しいか、という議論がよくみかけられます。

それは近所づきあいレベルのトラブルから、国家間の戦争まであります。

 

しかし、双方に言い分があるからトラブルになっているのであって、普遍的にどちらが正しいということは言えないことが多い。法律に抵触する場合などは別ですが。

(国家間の場合は、その法律ですら違うからややこしい)

 

だから、双方の価値観を一般論に照らし合わせて揃えようとするのではなく、妥協、言い方を変えれば歩み寄りをすることが大切です。

相手に議論、暴力で勝っても、多分良い結果にはなりません。

 

 

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教育者に求められる想像力

headlines.yahoo.co.jp

 

小中学校のような、義務教育かつ集団教育の場では、学校の行事、催しに関して、誰にどんな影響があるのかを考え続けること「だけ」が、そういった行事を行っていくうえでとても重要なことだと思います。

 

この記事に書いてあることは至極全うで、傷つく子は必ずいます。

一方、傷つく子がゼロの行事って存在するのでしょうか。

運動会や遠足?

いえ、運動会でも、身体に障害を持った子にとっては辛いかもしれません。

そもそも勉強もそうです。

発達障害の認知度が高まり、クラスに1人くらいは発達障害の可能性がある子がいるということがわかった現代、一様に授業をし、テストをし、成績を出すことは、子どもにとっての不可抗力にも関わらず、発達障害の子たちを傷つけることにならないのでしょうか。

 

要するに、何をやっても傷つく子はゼロになりません。

しかしながら、それを考えて学校が何も催さないというのも極端な話です。

 

1/2成人式という行事は、私が小学生の時にはありませんでした。

また、時代背景としては、父親が外で働き、母親が家で家事全般を担当する、という家庭スタイルが、今よりも一般的だったと思います。

 

様々な価値観が多様化し、働き方も家族のカタチも多様性を持つようになった今ならば、共働きなんてちっとも珍しくありませんよね。

シングルファザー、シングルマザーも、全体からすると少ない割合ですがいます。そもそも、シングル◯◯という言葉が十分な認知度を獲得していることが、その数が決して無視できる数字ではないことを表しています。

 

私が10歳の時は、1/2成人式がなかったのですが、もしあったとしてもこういった批判も少なかったろうし、批判が拡散することも少なかったと思います。

上記したように、家族のカタチが今よりシンプルだったし、情報伝達手段が今と比べれば全然少ない時代です。

 

つまり、1/2成人式が無かった時代なら、もしあっても批判されなかったろうし、1/2成人式がある現代は、批判の的になるという「ねじれ現象」が起こっている状態だと思います。

 

 

冒頭にも書いたとおり、こういった問題に正解はありません。

もしあったとしても、それは時代によって変わり続けます。

教育者は、その変化に常に嗅ぎ取る必要があるし、同時に被教育者、つまり子どもたちにも敏感になることが、絶対に必要な義務です。

 

1/2成人式を絶対にやめたほうがよい、とは思いません。

上記したように、傷つく子がいるという理由で行事を取りやめるのならば、全行事をとりやめなければならなくなるからです

 

しかし、もし1/2成人式をやるのならば、その中には傷つく子もいるのだ、色んな家庭環境の子がいるのだ、という想像力を働かせることが大前提です。

想像力の源泉は、もちろん勉強です。情報の収集し、咀嚼することが想像力の質を上げます。

 

吉谷光平さんの漫画に出てくるような、むちゃくちゃな要求をする先生は減ることを切に願います。

 

 

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ギャンブルの魅力はわからないものの、、、

「ギャンブル」の画像検索結果

 

ギャンブルは、ほとんどやったことがありません。

麻雀はゲームとして何度かしたことがありますが、あくまでゲームとしてレベルです。

他パチンコ、競馬や競輪など、全く経験がありません。

 

ある人に「やったことがないというのも、それはそれで欠点だ」と指摘されたことがありますが、全くその通りです。

ギャンブルが好きな人の気持ちが全くわからない。

 

じゃあやってみればいいじゃん、となるはずですが、どうも体がそちらを向きません。

仕事以外でやりたいと思っていることが山のようにあるので、優先度が低くなってしまうからです。

 

とはいうものの、です。

いろんなサイトで紹介されている通り、日本におけるギャンブルの経済規模は相当なものです。

(具体的なサイトを紹介しないのは、どこのサイトが正しいかよくわからないからです、すいません)

 

さらに、有名人がよく言っているように、カジノをするために海外に遊びに行くことも多いそうですね。

それら全部とは言いませんが、もし日本に合法のカジノがあれば、日本の経済規模を押し上げることになるので、日本経済からすると若干もったいない気もします。

 

カジノ法案が少し前に話題になりましたが(話題になって収束するまでが本当に早いですね)、賛否両論あるのは、その影響が無視できないほど多岐にわたるし、大きなものであることが予想されるからでしょう。

 

また、禁止だからこそ闇世界が生まれ、違法賭博がはびこってしまうという本末転倒のようなことも起こります。

 

アメリカの禁酒法とその末路と同じように、人の欲望はたとえそれが本当にだめだと思っていても、極端に規制すればするほど抜け道を作ってしまうのが現実ではないでしょうか。

人は理性にのみ従って生きていけるようにはできていないようです。

 

 

なぜ突然ギャンブルのことを書いたのかというと、今日パチンコ店の前を徒歩で通ったら、とてもとてもガラの悪いおじさんがたばこのポイ捨てをしていたからです。

ギャンブルに反対する人の反対理由は色々あると思いますが、依存症を懸念してということを除くと、風紀が乱れるということも大きいのではないでしょうか。

人は現実よりもイメージで判断することが多々あります。

今日のおじさんのような人をみかけると、頭で「ギャンブルをやっている人全員がそういった人ではない」とわかっていても、どこかで「やっぱり」という気持ちが残ります。

 

もしギャンブルを合法化してほしい、カジノが日本にもできてほしいと思うのならば、よりその行動に気をつけないと世論を味方につけられないでしょう。

これは、ギャンブルに限らず何でもそうだと思いますが。

 

ちなみに、パチンコはギャンブルではないという扱いですが、正直そんなことも思っている人はだれもいないので、本文中ではギャンブルとみなして書いています。

 

 

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自由とレール

toyokeizai.net

 

親の教育は、私が親という立場になって、本当に難しいと実感したことの一つです。

 

私は何かにつけて自己責任主義であり、自由主義です。

しかし、自由と責任はセットで、責任が、能力的にも社会的にもまだない子どもに対しては、大人と同じ自由を与えるわけにはいかないでしょう。

 

そこで親としてある程度のレールを引くわけです。

このレールを走るかどうかは様子を見て決めさせて良いと思いますが、このレールを走ることが正しいことだと信じ込ませ過ぎた例が冒頭の記事だと思います。

何も悪気があってやったことではない、というところが、こういったことをなくすことの難しさになっています。

つまり、自覚症状がない。

 

 

物心ついたときから、ピアノを習っていました。

今の小学生はどうなのか知りませんが、少なくとも私の小学生時代、ピアノは女の子というイメージが強く、周りからよく冷やかされたものです。

私自身も、自分の意志で始めたわけではないので、嫌で仕方ありませんでした。

 

ある日、父親にピアノをやめたいと伝えると、現代ならばかなり問題視されるだろう勢いでボッコボコにされました。

普段から手が出る親でしたが、このときほど殴られたことは数回しかありません。

それから高校受験の為にピアノをやめるまでは、ほとんど恐怖心で続けました。

続けたくないのではなくて、やめられないのです。

 

受験が終わり、高校に入ってピアノを弾く義務がなくなった、、、と思ったら、なぜか自発的にピアノを弾くようになります。

結局ピアノを弾くのが嫌だった最も大きな理由は、周りから冷やかされていたからだったのでしょう。

高校あたりになると、男子でピアノを弾けることはカッコイイことに変わっていました。

同時期にギターに出会い、ピアノをやっていた音感や音楽的素養が役立って、ギターの上達も他より早かったと思います。

 

それから色んなことがあり、今私は音楽の世界にいます。

たとえそれが恐怖心という理由であっても、ピアノを続けたことが今の仕事をしていることに影響していることは間違いありません。

と言うより、ピアノを途中でやめていたら、他の仕事に就いていただろう、と強く思います。

 

 

強要は良くない。それは教育でも躾でも程度にもよりますが、だめでしょう。

しかしながら一方、明らかに強要のレベルでピアノを習わせた親がいたから今の私がいる、とも言えます。

正直、私がやめたいと言い始めた時に、風潮としても経済的にも、やめさせた方が楽だったのだろうと思います。

それでも続けさせたのは、はっきりいって親のエゴですが、それによって今、充実した日々を過ごす自分がいることも否定できないのです。

 

もちろんこれは結果論であって、だからとにかく子どもは親の言うことに従っていればいいんだ、という気はさらさらありません。

ただ、親が子どもに夢を託すこと、自分ができなかったことを子どもに願うことそのもの自体は否定されるものではないと思います。

 

親という立場になった今は、私が引いたレールを、強要以外の方法でどうやって走らせるか、を色々と模索する毎日です。

 

 

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苦しいときこそ笑う

「貧乏」の画像検索結果

 

日々の生活の中で、へこむことってありますよね。

へこんだことがない人っていないと思います。

 

私が大学生だった頃、へこんだ理由はいろいろありましたが、その多くはお金に困ってのことでした。

学費も生活費も自分で払っていたので、いくらバイトをしても慢性的に貧乏です。

学費を払うためにアルバイトをたくさんしすぎて、講義に行けないという負の連鎖に陥っていました。

 

貧乏自慢の趣味はありませんが、とにかく貧乏でした。

電気もガスも家賃も、そして最後の砦と言われる水道も止まった時期があります。

まさしく生活が成り立っていませんでした。

お金がない時は、収入を増やすか支出を減らすしかなく、収入は当時の状況から考えれば限界まで増やして、それでも足りなかったので、支出を減らすしかありません。

 

といっても、衣食住、その他で実際に減らすことができるのって、食費くらいなんですよね。

衣食住の衣は、そもそも服なんてずっと同じものの使いまわしです。

住だって、家賃はそうそうさがらないし、かといって引っ越すとその費用もかかります。

それ以外の贅沢なんてそもそもしていません。

 

で、食費をどこまでも切り詰めました。食費を切り詰めるというのは、最終的には量を減らすということになります。

量を減らすとどうなるか。

もちろん足りないわけです。食欲的にではなく、健康的に。

結果、栄養失調で倒れ、その医療費の方が高くつくという、いかんともし難い状況になります。最悪ですよね。

 

上記しましたが、貧乏自慢したいわけではありません。

貧乏をしたときにしか学べなかったことがあるな、と思うのです。

それは、いくら貧乏になっても、貧乏たらしくなるべからず、毅然としていることが大切だ、ということです。

これは、尊敬する私の先輩が、やせ細っていく私にくれたアドバイスです。

そして、強がりでも良いので笑え、と言われました。

 

そんなアドバイスより金や食事をくれよ、と当時は思いました。

しかし、この言葉は後からじわじわと私のなかに染み込んでいきます。

 

心だけは貧乏になるな、ということですね。

 

これには、特殊なエネルギーが必要です。

ある意味馬鹿にならないと難しいかもしれません。

なぜなら、お金がない状況は、具体的、現実的にまずいわけで、それでも正気を保て、ということですから、要するに理屈で考えるな、ということになります。

 

 

少なくない数の私の知人は、お金の問題で私の前から、私の周りから姿を消しました。

最悪の結末を迎えた人もいます。

その人達は例外なく、笑っていませんでした。

 

スピリチュアルなことには全く興味がない私ですが、そんな私でも、へこんでいる時にあえて笑う、お金がない時に毅然とふるまう、ということで何かが上向きになる、ということだけは信じています。

 

これは、私には珍しく、理屈ではなく信じていることです。

 

 

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DIYに費やした日

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今日は一日中DIYをしました。

といっても、専門家でもないし得意分野というわけでもないので、やれたことはほんの少しです。

ドアノブを交換したのと、吸音材処理です。

 

ドアノブは、今ついているやつの寸法を計り、取付可能なものを、吸音材処理はワイヤーやフックなどを、共にホームセンターに買いに行きました。

ホームセンターは楽しいですよね。芸人のヒロミさんが、ホームセンターは自分にとっての東京ディズニーランドみたいなものだ、と言っていましたが、わかる気がします。

しかし、これを女性に理解してもらった記憶がありません。なにかしらの男女の傾向があるのでしょうか。

 

話がポンポン飛びますが、そういえば海外に住んでいた時は、DIYをしている人がとにかく多かった印象です。

家の中のこまごましたものをDIYで、という人は日本でも結構みたことありますが、私が住んでいたところでは、家のペンキ塗りなんか当たり前でした。

プロのペンキ屋ほどきれいに均一に塗れるわけありませんが、その手作り感を逆に楽しんでいるようで、それもまた良いな、と思いましたね。

 

 

DIYは節約のイメージもありますが、実際どのくらい節約になるのでしょうか。

時は金なり、というように、コストには原価だけでなく、それにどれくらいの時間がかかったかも計上しなくてはいけません。

原価だけだと当然安い。しかし私のように、ドアノブと吸音材処理に5時間くらいかかると、5時間分の時給が乗っかってきます。

 

例えばドアノブと吸音材処理を業者に頼んでやってもらったら、3万円ですんだとします。

ドアノブ自体は5000円、吸音材は最初からあったので、それを処理するためのワイヤーやフックで500円くらい。

結局原価は5500円。

先程の3万円との差額は2万4500円。

これを5時間でやったとしたら、1時間4900円。

時給4900円で、やった作業に見合うかというと、、、まあそんなところかもしれません。

 

ちなみに、日本人の平均年収は400万円強、それを労働時間で割って時給に換算すると、大体2000円弱だそうです。

 

ということは、今回のDIYは、平均的なサラリーマンより良い時給で働いたということになります。

もちろん、お金には換算されない、楽しさや満足感、達成感がさらに足されますので、やはりやってよかった、ということになりますね。

 

 

最後にも書きましたが、DIYは節約の為という理由より、満足感や達成感を味わいたいという理由のほうが多いと思います。

だとすれば、時間も考えた上でのコストを考えると、実は全然節約になっていないこともあるので、要注意ですね。間違えやすいのポイントは時間です。

 

たまにそういった人を見ます。

 

 

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