日々じゃーなる

日々の生活でおもったことをなんとなく、でも結構まじめに綴るブログです。 趣味は読書とビリヤード。仕事は音楽関係。

懐かしのドラクエ〜あの音を覚えていますか?

クラスの話題は『ドラクエ2』一色! 「ジャンプ」も後押しした熱狂から33年(マグミクス) - Yahoo!ニュース

 

世代の違いですかね。

私にとってドラクエの話題と言ったら、なんといっても「ドラクエ3」です。

 

私は当時からあまりゲームはやってませんでした。

そんな私でも、ドラクエ3の発売日ははっきり覚えています。

なぜかって、学校休んで買いに行く人が続出したからで、同じようなことが全国の小学校で起きたらしく、トップニュースで報じられていました。

社会問題にもなったくらいです。

 

おとなになって、何かの機会に一度ドラクエ3をやってみたことがあるのですが、冷静に「これは人気あったやろうな」と思いましたね。

特に小学生男子にとっては、冒険心をくすぐられるし、イラストはドラゴンボール鳥山明氏だし。

 

ドラクエ3の話題で、発売日当日に学校を休んで買いに行った人が続出した、という話題とともに必ず出てくる話題が、「ぼうけんのしょ」が消える現象です。

 

www.youtube.com

 

この音、何十年という時を経た今聞いても、恐ろしくなる人が私の周りには結構います。

確かにRPGなので、記録が消えた時の喪失感、失望感はハンパないでしょうね。

下手したら何十時間かけて蓄積したものが消えるわけですから。

オソロシイ・・・

 

ドラクエ3ファミリーコンピュータのカセットで発売されました。

当時一般家庭にはコンピュータなんてなかったので、私たちの世代が最初に身近に感じたコンピュータは、多分ファミコンです。

 

そのファミコンでこういったことが気まぐれに起きるわけだから、怒りや悲しさも相まって、「コンピュータなんて信用ならん!」と思った人も多いかもしれません。

 

後に、カセットの中にボタン電池が入っていて、その電池が切れかけになるとセーブが不安定になり、「ぼうけんのしょ」が消えることになる、と知りました。

 

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まさか電池が入っていたとは思いませんでした・・・

販売元のエニックスは、カセットを送ってくれたら無償で電池交換してくれる、というサービスを確かしていたと思いますが、それはカセット内に電池が入っているということが知られる様になってからはじまったものじゃなかったかな、と思います。

 

それに、電池残量もわからないのだから、いつ送って良いかもわからないし。

電池交換でぼうけんのしょは一度全部消えるかもしれない、みたいな

(本当はどうか知りませんけど、そんな恐れはありますよね)

 

ファミコンの大普及、それからぼうけんのしょ事件。

これらが、後の家庭用ゲーム機の高性能化を促進した部分は少なからずあると思いますよ。

 

私はあまり詳しくありませんが、実際にこのぼうけんのしょ事件以降、こんな理不尽なデータ喪失事件は、ゲームにおいてはないと思います。高性能化でゲーマーの怒りを買わなくて良くなった、ということでしょうし。

 

なにはともあれ、家庭用ゲーム機の創成期です。

ゲームをしていなかった自分にとっても懐かしいものです。

ライブと音源

音楽業界は不況、、とはいえ、音楽で生計を立てていきたい、と思う人は今でも多いはずです。

 

私もまあまあ長く音楽業界にいるので、プロになれる人となるのが難しい人を無意識に分析してしまいます。

 

分析の結果の一つが、ライブと音源の捉え方です。

音楽はライブで成り立つけど、音楽ビジネス、つまりお金を生んでいるのは音源だということを意識してほしいと思います。

 

 

いきなりプロのミュージシャンになれる人はいません。

人前で演奏できるくらいのスキルが身についたら、ライブハウスに出演して場数を踏みます。

 

多くのミュージシャンは、ライブが好きですね。

ライブでの躍動感は、やっぱり家で音源を聞いているときや、通勤途中のイヤホンでは感じるのが難しいでしょう。

 

だから、より良いライブをするために、多少の出費(ノルマとか移動費とか)があっても、ライブをコンスタントに続ける人は多い。年間100本、200本以上のライブをする人だっています。

それはもちろん身になっていきます。

 

一方、音源に関してはどうでしょうか。

 

一般の音楽ファンが耳にするのは、完成された音源です。

アマチュアミュージシャンとはいえ、もともとは素人だから、音源制作の現場を見聞きする機会はほぼほぼありません。

だから、一歩でもプロに近づきたかったら、音源をめちゃくちゃ研究するしかありません。

 

ライブは演奏スキルだけでなく見た目もあるので、学べるものを見つけやすい。

一方、音源はスピーカーからなる音だけです。

自主制作で作った音源とプロの音源の違いを見つけるのが難しい。

違いがわかっても、その具体的な解決方法がわかりません。

(音質がイマイチとか、音が小さいとか・・)

 

結局、音源制作に労力をかけようと思ったところで、どこにどんな労力やお金をかけてよいかわからないから、ちょっと中途半端なものになっちゃいます。

 

結果、ライブは全力でやり、音源制作はその合間を縫って作るサブ、みたいな構図になります。

 

ここで、考えてみます。

音楽で生計を立てていきたい、というのは、はっきり言っちゃうと、音楽でお金を稼ぎたい、ということですよね。

では、ライブと音源と、どちらがお金を生むでしょうか。

直接的にでも、間接的にでも構いません。

どちらでしょうか?

 

正解は、迷うことなく音源です。

 

冒頭にも書いたとおり、世の中は不況で音楽も例外に漏れません。

だから、音源による収入よりも、ライブによる収入のほうが大事、と思う人もいるかもしれません。

しかし、音源による収入は以前に比べて下がっているというだけで、ライブによる収入と比較したら、今でも大きな差があります。

 

それに、ライブにも音源にももちろん費用がかかりますが、想像通り、ライブの費用はものすごい。

設備費や人件費、移動費、その他費用を考えると、ライブによる利益というのは下がっちゃいます。

 

お金は音源が生む。

もしお金を稼ぎたいのならば、音源にこそ労力を注ぎ込む必要があるのです。

でも、アマチュアミュージシャンはそれが逆転しています。

ライブ命、音源はまあまあ。

 

一生音楽をやっていきたい。

音楽で生計を立てたい。

 

この2つは、似ているようで違います。

前者は、ガンガンライブをやれば良い。世代もあるかもしれませんが、私だって音楽の真髄はライブにあると思っています。

 

後者になるのならば、考え方を変えなければいけません。

音源こそがお金を生むのだ、と強く意識する必要があります。

ライブは続けつつ、音源制作により一層の力を注ぎ込むのです。

 

音楽ファンが日々聞いている音楽は、そのほとんどがプロのものです。

プロの音源制作にはものすごいお金と労力が注ぎ込まれています。

そうやってできたプロの音源を音楽ファンは聞いて、それが標準だと思っているのです。

今なら、そんなプロフェッショナルな音楽が月1000円弱で聴き放題です。

 

マチュアが音楽ファンに向けて音源を売るというのは、そういうプロフェッショナルと同じ土俵に立つ、ということです。

音楽を聞く時に、知り合いでもなければ、それがプロによる音源なのか、アマチュアによる音源なのか、を把握して聞く人なんていません。

音楽ファンの貴重な「音楽を聞く」という時間を費やすのに、その音源の完成度に歴然とした差があったら、勝負になりません。

 

個人で音源制作にかけられる労力や費用は限られています。

しかし、最近はDAWソフトの低価格化や技術革新もあり、以前に比べると相当安いコストでプロの音源に近づけるようになりました。

 

一歩でもプロの音源に近づけるような努力をしているのかどうかは、音源を聞いたらすぐにわかります。

圧縮音源とはいえ、AppleAirPodsなど高級なイヤホンで音楽を聞く人も多い。

しかも、プロの音源とアマチュアの音源を横断的に聞くことが簡単にできるので、その差も浮彫りになりやすい。

 

わかる範囲で良いと思うのです。

ちゃんとリズムの縦は完璧にそろっているのか。

曲が始まるまでのブランクにサーっていうノイズがなってないか。

演奏は間違っていないか。

低域や高域は出すぎていないか。

 

参考にできる音源は、やまほど巷に溢れています。

聴き比べて近づけていく努力はできます。

 

 

ミュージシャンがやりたいのはライブ。

わかっています。

じゃあライブを続ければ良いのです。そのかわり、この時点でお金の話はまだ出てきていません。

もしそこでお金を稼ぎたい、と思うのならば、やりたいこととお金を生むものが偶然一致しない限りは、考えるしかありません。

 

ライブをいっぱいやって、音源もつくって、、、でも売れないな、、

こういうアマチュアをいっぱい見ますが、音源を聞いたら、ほぼほぼがっくりします。

プロの音源に劣るからではなく、プロの音源に近づける努力をしていない、と。

 

音源の研究に全力を注いでみませんか?

学生の頃に使った駅と街

今日は、ある用事で電車移動しました。

そこで使った駅が、偶然学生の頃使っていた駅なんです。

 

今住んでいる同じ市内なので、大して遠いわけではありません。

でも、用事でもない限り行く場所でもない。

 

ということで、この駅を最後に使ったのは20年以上前です。

 

いろいろと変わってるだろうなぁ、と思っていたのですが、意外にもあんまり変わってませんでした。

 

だからこそ、懐かしさが大きい。

 

昔ここで待ち合わせしたとか、

ここでパン食べたとか、

大して印象深くもないことまで、景色があると思い出すし、忘れていないものです。

 

スピーディーなこの時代に、変わらないものがあっても良いものですよね。

 

槇原敬之さんの「遠く遠く」という歌に、

大事なのは変わってくこと、変わらずにいること

という歌詞があります。

 

しみますね。

上から目線のコメントに辟易・・・

sirabee.com

 

いきなりステーキ、最近よく話題にあがりますね。

私は行ったことないのですが、似ている名前で最近有名になってきたやっぱりステーキには行ったことがあって、美味しかったです。人気の理由もわかる気がしました。

 

さて、そのいきなりステーキの最近の話題は、ほとんどがネガティブなものが多い。

この記事もそうですね。

で、これに対するコメントもいきなりステーキに対するバッシングの嵐。

 

正直見ていて辟易します。

 

例えば自身が行ったときの接客や品質に問題があった、というコメントならわかります。

なぜなら、それは店に行くことで受けた不快感だからです。

 

でも、経営の仕方とか、戦略とか、そういうことに対して批判的なコメントを書いている人も少なくない。

 

そういうコメントを書いている人は、なにかいきなりステーキから被害でも受けたんですか?

 

ぶっちゃけちゃいますけど、そういう人って、成功した人や店が転落していくというストーリーを安全なところから見て楽しんでいるだけじゃないんですかね?

 

経営や戦略に関して一切コメントするな、という意味ではありませんよ。

「もっとこうやってくれたらいいのにな」という一人の市民としての意見だったら良いと思います。実際そういうコメントもありますけどね。

 

でも、アホだの、わかってないだの、、、そういったコメントってえらく上から目線だと思うんです。

これ、ほとんどいじめと同じですよ。

そういうコメント書いている人は、参画したら回復させられる自身でもあるんですかね?

 

店に行っている現場でもない限り、店側と市民に上下関係はありません。

意見を言うのならば、少なくとも同等の立場で意見すべきです。

 

僕はこう思う。

こういうことをやってくれたら嬉しい。

こないだ行ったときのこういったことが残念だった。

 

こういうので良いじゃないですか。

自身で店を起ち上げ、軌道に乗せ、でも今危機にある。

起業した人でなくても、人生の中で似たようなことが起こりうることってあるでしょう?

誰に迷惑をかけたわけでもないのならば、そういった人にはアドバイスこそすれ、罵詈雑言をぶつけるような社会は不健全です。

 

 

 

本屋店員さんのツイートについて〜良いじゃないですか

「Amazonには絶対負けない」で注目 名物書店員に「ポップ」への思いを聞く : J-CASTニュース

 

賛否がいろいろあるみたいですね。

 

私の意見では、特に否定することでもないかと。

ただ、Amazonには絶対負けない、という文章が攻撃的に聞こえなくもない。

言葉選びは大事ですが、ツイッターでの文章ですしね。

 

真意は、本屋さんに対する愛だと思います。

素晴らしいことじゃないですか。

 

本屋さんは確かに今危機です。

Amazonと対抗するのはほとんど無理。

 

このツイートをした人の努力に対して、労働生産性が低くなる、というコメントをしている人がいますが、労働生産性という切り口で考えると、まったくそのとおり。

現場の店員さんがいくら頑張っても、ビジネス的にはかなわない。

 

在庫を抱える必要がないし、24時間いつでもどこでも買えるし、検索も楽。

場所代も人件費も、まさに桁違いの差があります。

 

働くことと、ビジネスで勝つためのゲームがイコールの人にとっては、本屋さんの頑張りは、Amazonの前にほぼ意味がない、と言ってよいのかもしれません。

 

でも、働くのをビジネスで勝つことではないように捉えている人だっていますし、それだって働き方の多様性の一つです。

 

今後の需要もある、給料、その他労働条件も良いから、本屋さんはみんなAmazonへの転職を願っている、、、わけありません。

 

本屋さんが好きな人にとっては、好きである理由にビジネスやお金や需要といったことを除外しても好きなものです、

行く人も働く人もそうです。

 

Amazonは、最新のテクノロジーを活用して、ビジネス的にもさらに飛躍しようとしています。

そんな時代でも、やっぱり本屋さんに行って、店員さんが作ってくれたPOPを見ながら、生の本を手にとって購入したい、という人もいるわけで、そういう人たちを批判することなんてできません。

 

そういう人たちを迎えてくれる本屋さんがあっても良いじゃないですか。

それが成り立たなくなったら淘汰されることになりますが、そうなる前に「どうせAmazonには勝てないよ」といって開き直るのってダサくないですか?

 

ということで、このツイートは「Amazonには絶対負けない」というところだけが独り歩きしているだけで、一歩引いて考えてみたら、Amazonで買う人も本屋さんで買う人もいるだろうけど、本屋さんも良いですよ、というアピールにすぎません。

 

それは、いま働いている本屋さんや、そこで働いている自分自身を愛しているからこそうまれる行動で、誰かに否定されることではないのではないかとおもいます。

ハラスメントって、あのねぇ、、

「マヨネーズ・ハラスメント」って知ってる? 人の食べ物に勝手にマヨネーズかけて嫌がられる大迷惑 | J-CASTニュース

 

なんでもかんでも、ハラスメントって言葉つければいいってもんじゃないですよ。

 

記事には「話題になっている」って書いていますが、どこで話題になってるんですか?

初めて聞きましたよ。

 

立川志らく「好きな人もいれば、嫌いな人もいる。一言いえばいい、それだけのこと」

 

これに尽きます。

 

時代は多様性を認めるべきだー、って言う風潮ですが、かといってなんでもかんでも先読みして気を使って、ってやってたら疲れるでしょう。

 

誰かの家を訪問した時に出されるコーヒーやお茶は、苦手な人にとってはコーヒーハラスメントですか?

LINEを使ってない人にLINEアカウントを聞いたら、LINEハラスメント?

疲れてもないのに、「お疲れ様」って言われたら、お疲れ様ハラスメントって訴えます?

 

マヨネーズ、苦手なんで結構です。

これだけですよ。

ハラスメントなんて仰々しい言葉使う必要ありますか?

 

ハラスメントというのは、セクハラとかパワハラとか、もっと社会的に根深い問題に対して使うべきでしょう。

マヨネーズ好き嫌いごときにハラスメントなんていう言葉使ってたら、セクハラやパワハラの問題意識が逆に低下しそうです。

 

言葉って大事ですよ。

学校で行われるいじめを傷害罪、援助交際を売春って言葉で言い換えたらイメージがかなり変わるでしょう?

 

だから、こんなことごときでハラスメントっていう言葉は使ってほしくないです。

おしつけがましいやつがいる、これで良い。

 

 

成人するとはどういうことなのか?

結構過ぎちゃいましたけど、成人式がありましたね。

 

人は、成人式を迎えたその瞬間から成人できるわけありません。

20歳の誕生日もしかりです。

 

お酒やタバコ、その他の法律を制定する時に、ちゃんとした線引が必要なので、法律的に成人と定めているだけで、法律が関係ない場合で使う成人、つまり大人というのは、そんなに簡単に定義できません。

 

そう考えると、成人式を迎えたからって特に祝うべきことなのかな、と素朴に疑問に思います。

 

こんなひねくれた考えなので、私自身は成人式にも行ってません。

その日は確かアルバイトしてました。

 

正月とかと同じで節目は大切だと思います。

「今年の抱負は・・・」みたいなことがどれだけ達成されるのかはわかりませんが、年という単位があるからこそ、そう思うきっかけにもなる、とも言えます。

 

同様に、成人したのだから、と何かを考えるきっかけにすることは良いことだと思います。

逆に言えば、それがなかったら特に成人式を意識する必要はありません。

 

同窓会の如く友達たちとあって、合法となったお酒を酌み交わし楽しむことを否定しているわけではありませんが、それは少なくとも成人式が存在する理由のメインではありません。

 

大人になるというのは、自由と責任を手に入れる、ということだと思っています。

自己責任の元で、なんでもやって良い。

それをポジティブに捉えるかネガティブに捉えるかは人それぞれです。

 

よく、「人生なんて辛いことの方が多いんだから、、、」と悟ったように言う人がいますが、そんなことは誰から言われることでもありません。

自分で切り開いていき、後から振り返った結果が、辛かったことが多かったか楽しかったことが多かったか、というだけです。

一般論化は不可能だし、意味もない。

 

これからどうなっていくのか、どうなっていきたいのかを自己責任の元で決めるのですから、言い訳も許されません。

生まれた時代が、環境が、親が、友達が、、、いろんな事を言い訳にしてよいのが未成年。だから行動を法律で制約されています。

 

大人になったら、そんな言い訳をしても「だから何??」と言われます。

「会社の上司が最悪でさー・・・」

「じゃあ辞めれば??だって自分で選んで入社したんでしょ?」

以上です。

 

これが大人になるということで、その線引をあえてするのが成人式や20歳の誕生日です。

 

これは祝うべきことでしょうか?

そもそも、本人はさほど努力せずとも成人はできます。

敢えて言えば、それまで責任をもって育ててきた保護者に対して「親の役目卒業おめでとう」の日が成人式で祝うべきことなのだと思います。

 

ということで、成人した人におめでとうとは言いません。

さあ、これから楽しみだね、と声をかけるようにしています。

 

成人するということも、改めて考えてみましょう。