日々じゃーなる

日々の生活でおもったことをなんとなく、でも結構まじめに綴るブログです。 趣味は読書とビリヤード。仕事は音楽関係。

キャリーバッグかリュックサックか

今回の東京出張は、仕事以外で寄りたいところがいくつかあります。

 

出張といえばキャリーバッグが主流ですが、あれ、わたしはあんまり便利だと思いません。

 

特に今回のように複数の場所を移動する場合は尚更です。

 

自宅、空港、目的地1つなら良いと思いますよ。

でも、そうでない限りキャリーバッグは、持ち続けやすいとは思えないし、ゴロゴロするのはうるさいし、街中には段差もいっぱいあります。

 

その点、リュックサックは問題なし。

あんまり安いやつはダメでしょうけど、キャリーバッグと同じ金額でも十分快適です。

 

 

車椅子の方やベビーカーを押している人にとっては、キャリーバッグで移動している人と同じストレスがかかり続けます。

 

イオンなんかの大きなモールでは、バリアフリーは行き届いています。

一方、街中はまだまだ厳しい。

 

どこかの都市では、地下鉄全駅にエレベーターが設置されたとニュースになってましたが、全国全ての駅に導入してほしいですね。

 

多くの人が行き交う街中こそ、バリアフリー化を急いでほしいと思います。

 

それまでは、やっぱりリュックサックの圧勝ですね。

東京へお出かけ

明日から2日間ほど東京に行きます。

 

今回は飛行機移動ですが、飛行機移動って億劫ですよね。

なんでって、搭乗手続きの時間が離陸時間より随分前なので、移動時間以外の拘束時間がやたらと長いからです。

 

まあ、セキュリティーの関係上仕方ないのかもしれませんけどね、、、

 

東京では仕事で行きますが、用事自体は結構早めに終わる予定なので、それ以外の時間はいろいろと出かけようと思っています。

 

が、、

一人で楽しめるところで、あんまりお金がかからないところなんて限られてますよね。

で、行こうと思ってるのが、博物館めぐり。

 

時計の博物館とか、お金の博物館とか、ちょっと興味あります。

あと、国立国会図書館も見てみたいですね。

都庁とか豊洲市場とかものぞいてみようかな、なんて。

 

我ながら地味だな、と思いますが、そういうのが好きなんで良いんです。

 

もちろん音楽関係なので、世界一の渋谷タワーレコードは立ち寄る予定。

スカイツリーとかは、行く予定なし。

飲食関係は、高そうなイメージあるので、そんなに考えていません。

 

まあとりあえず楽しんできます。

みんなで子育てをしていきましょう

母親が授乳中に居眠り、押しつぶされ赤ちゃん窒息死 TBS NEWS

 

なんとも悲惨な事故です。

 

子どもをもつ親ならば、想像つくんじゃないですかね。

生後数ヶ月ならば、なにかといっちゃあ泣きます。泣き止ませるのは授乳しかありませんが、体力的には常にギリギリの状態ですよね。

 

アメリカでは、赤ちゃんの添い寝は避けられる傾向にあるらしく、それは子どもの自立を早めるためとも言われていますが、こういった事故を回避するためという側面もあるのかもしれません。

 

ここ数日同じようなことを書いていますが、子どもを育てるというのはものすごいエネルギーを使います。

 

数年間は禁酒。

休みなし。

理不尽だらけ。

給与なし。

 

子育てでは、これがデフォルトです。

禁酒に関しては母親のみでも良いですが、だからこそ他の部分は夫婦で支え合わないと無理です。

夫婦でも厳しいなら、社会全体で、つまり保育所やベビーシッターを活用してやりくりしていかないと、かなりムズカシイ。

 

お金も随分かかるので、国からの援助や各種無償化は嬉しい。

これらの政策は、社会で子育てをしていこう、という試みとも捉えることができます。

 

出産と授乳は、女性しかできませんが、これだけでもかなりのしんどさです。

それ以外の部分を、固定概念なしで支え合える社会にしていきたいものですね。

制度や環境では解消されない問題が残る〜育児について

「日本の育児環境はひどい」と歎き怒る親たちへ | ほしいのは「つかれない家族」 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

 

豊洲移転の時に有名になったことば

「安全と安心は違う」

をちょっと思い出しました。

 

記事の最初に出てきた、出産時リスクが世界トップレベルに低いというはなし。

たしかに統計上は安全と言って良いでしょう。

でも、それで安心か、というとそうならないひとが多くいるのがムズカシイところですよね。

 

例えば無痛分娩。

アメリカでは、もはや無痛分娩が主流。

日本のように医療環境が整っている国ならば、麻酔科医の不足さえ解消すれば無痛分娩を安心して選択する、、、という人がどれだけいるでしょうか?

 

まるで無痛分娩の事故を待ち構えているかのように、無痛分娩の事故があると騒ぎます。

通常分娩でも、安全とはいえ事故は起こっているので、冷静に比較したら無痛分娩だから危ない、というのは、数字上では成り立たない。

 

でも、安心できないわけですね。

 

それから、制度に関しても、確かに様々な保護があります。

環境だって、海外に行けばすぐにわかるくらい日本は清潔だし、インフラも整っています。

 

でも、これらを知ってすぐに子育てのしやすい国だと感じられるようになるか、とえいば、そうはならないんじゃないですかね。

 

理由は、ちょっと前にも書きましたけど、思想的なものです。

制度はあっても、その制度をつかうことに対する抵抗が本人や家族にある。

私の身近にもそういう人がいます。

 

私は、いわゆる「べき論」は様々な分野で問題視されるべきだと思いますが、育児においては特に問題です。

 

分娩は痛みを伴うべき。

育児は母親が直接みるべき。

手料理以外は避けるべき。

生活のリズムは必ず守るべき。

 

経済的な保護を制度利用で受けても、これらの問題は全然解消されません。

電車内で泣く赤ちゃんに寛容になれないのなんて、論外です。

 

 

制度や環境が整っていることは、当たり前ですが良いことです。

だから、思想の壁さえ超えれば、この国は本当に子育てをしやすい国になります。

 

でも、思想の壁は制度や環境を整えるのと同じ、いかそれ以上にムズカシイのかもしれませんね・・・

歌の良さって何だろう?

世の中には歌が入っていない音楽がたくさんあるのに、オリコンでもダウンロードでも、日本でも海外でも、上位を占めるのはほとんど歌のある音楽です。

 

それほど、歌というのは人の心を惹きつけるのでしょうね。

実際に、音源制作現場ではやはり、歌周りに時間も労力も多くをかけます。

 

ところで、歌の良さを決める要素ってなんでしょうかね?

すぐに考えつくのは、数値化できるものです。

 

ピッチ(音程)、リズム、声量、声域ですね。

これらは正解のある良さです。

 

ピッチはバッチリ、リズム感もあって、声もでかくて高域まで出る。

でも、あんまり歌が良いとは思えない人っているでしょう?

別にプロ的な耳を持ってなくてもわかるレベルです。

 

それは、数値化出来ないところまで聞き取る能力が人には備わっているからです。

それは、「歌心」です。

 

なんじゃそりゃ、とおもうかもしれませんが、これ以上の表現を思いつきません。

そして、これは全然数値化出来ないし、上に挙げた数値化できる要素よりも歌の良さにおいては優先されます。

 

そんなに歌がうまくないけど、なんか良い、っていう人っているでしょう?

それは歌心が他を凌駕しているからです。

 

それから、声質。

「あーーー・・・」って声を出すだけで、良い声だなぁ、っていう人いますよね。

 

歌心や声質は、正直トレーニングでよくなるものではありません。

残念ながらそのほとんどは、生まれつきか、生まれてから数年間の環境で決定づけられます。

 

私は、数あるボーカルトレーナーを敵に回してきてしまったんですが、それはボーカルトレーナーが教えられのるが数値化できることしかないからです。

しかも、その数値化できることすら、そう簡単にはよくなりません。

ピッチだってリズムだって声量だって声域だって、DAWソフトを使えば簡単に数値化、可視化できます。

本当に効果があるのならば、そのビフォーアフターを数字で示してほしいのですが、そんな例はどのくらいあるのでしょうか?

しかも、それが歌の良さを決定づける要素の最優先ではない、となると、果たしてボーカルトレーニングを受ける意味は?となるわけです。

 

ボーカルトレーナーに習って、以前より歌が良くなった(上手くじゃないですよ)人っていますか?

先入観抜きでビフォーアフターを見て、本当に客観的評価が上がった人なんて、聞いたことがりません(本人や講師は決まって「良くなった」って言いますけどね)。

 

ちなみに、プロの歌い手ともなると、全国ツアーで何日間も歌い続けなくてはいけないので、喉を傷めない方法をレクチャーする現実的なボーカルトレーニングは、効果があります。

しかし、それは歌が良くなりたいと思ってボーカルスクールに行く人が望んでいるものとはちょっと違うと思います。

 

声質は本当にアンコントローラブル。

歌心はギリギリ変えらるかも。

でもそれは、一回で数千円払ってトレーニングを受けたら身につくほどあまいものではありません。

 

世界中を一人旅する

壮大な恋愛を経験する

尊敬する人に出会う

これらの経験の方が、ボーカルトレーニングよりも歌心はつきます。

経験をひとつひとつ丁寧に自分の中に貯め込んでいく。

それがにじみ出た歌には、歌心が宿っています。

4月生まれは優秀って本当?

4月、5月といった年度の最初の方に生まれた人は、年度末である早生まれの人に比べ、学業の成績もスポーツの成績も良い。

 

こんな統計、信じられますか?

そんなばかな?と思うかもしれませんが、実際にそういったデータがあるようです。

高校生の偏差値でいけば、平均偏差値が5~7くらい違うそうです。

また、プロ野球選手の誕生月の分散も、年度が早い方に明らかに寄っているそうです。

 

なぜこんなことが起こるのか。

それは、マタイ効果の影響だと考えれらています。

 

マタイ効果 - Wikipedia

 

幼稚園や小学生くらいだと、4月生まれと3月生まれの差は結構大きい。

学習能力も運動能力も目に見える差があり、当然4月生まれの方が上です。

 

この時期にこの差が生まれるの必然ですが、その差を受けて大人側が対応を変えます。

例えば野球なら、運動成績の良い4月生まれの子を上位打線に、3月生まれの子を下位打線や補欠に、といった具合です。

 

4月生まれの子は、その時点で褒められ、良いポジションを与えられ、期待されます。

3月生まれの子はその逆です。

 

褒められ、良いポジションを与えられ、期待されれば、その期待に応えようと、より努力を積み重ねるでしょうし、周りはそれを応援するでしょう。

3月生まれの子は、停滞します。

 

これがどんどん広がっていく。

 

高校生くらいだと、4月生まれでも3月生まれでも、自然発育レベルは誤差レベルでしょうけど、環境とそれに適応しようとしてきたという状況が、能力差を生みます。

 

同じことは学習においても言えます。

 

驚きの事実と分析ですが、結論として大事なの、生まれる月によってポテンシャルに差があるわけではなく、その後の環境によって差が生まれるのだ、ということです。

 

逆に言えば、その場の成績によって対応に差をつけなければ、出生日からの日数が誤差になるころには均衡化しているということですね。

 

今それが均衡していないのが、対応に差をつけているからだとすると、これは安易に世の中を「勝ち組」「負け組」に分けやすくしちゃってる、ということです。

 

実際には組織も社会も多様で、勝ち負けは数あるものさしの一つにすぎないし、第一何の勝負においての勝ち負けなのかもよくわかりません。

 

個人レベルで考えたら、小さい子を持つ親は、学習/運動の成績が平均よりも低くても、そんなに一喜一憂しなくてよい、いやむしろしないほうがよい、ということですね。

 

だって、その平均って1年単位でしょう?

幼稚園や小学生の成績を見るには、ちょっと範囲が広すぎますよね。

 

社会全体で子育てしていきましょう

見知らぬ土地への転勤と激務で帰らぬ夫 「アウェイ育児」に苦しむ妻 - Yahoo!ニュース

 

少子化は問題ですが、その解決には様々な対策が必要ですよね。

わかりやすいのはお金の問題。

経済的に育児はムリ、というのは実感あります。解決はムズカシイのですが、わかりやすい。

 

一方、お金以外の育児環境については、把握しづらいところが多いと思います。

私も2人の娘がいますが、子どもを育てるようになってから気づいたことがやまのようにあります。

 

街に意外と段差が多いことや、ベビーカー利用者にとってフロア移動の唯一の手段がエレベーターだということ。

 

こういうところの改善もしていかないと、子どもを生むという発想にならないと思います。

 

で、こういうところの改善の壁になってるのは、結局「思想」の部分だと思います。

冒頭で紹介した記事にもありますが、託児所に預けることに対する抵抗は、いまだに耳にします。

子どもは母親が面倒をみるべきだ、という思想ですね。

 

それから、男性の場合、育児があるから早あがりさせてほしいというお願いを上司に言える職場というのは、いまだにほとんどないんじゃないでしょうか。

 

これも子育てをして改めて思ったことですが、すべての親は最初、育児初心者なわけです。

すると、育児経験者の意見が正しいように思ってしまいます。

もちろん、正しい内容もありますが、時代によって変わってきていることもあります。

 

特にテクノロジーを利用した育児は、高齢世代を中心に反発が多い。

ネットで何かを買えるというのは、育児をしている親にとって相当助かるものですが、少なくとも育児用品は店で目でみて確かめて買うべき、という意見もしょっちゅう聞きます。

 

以前NHKスペシャルでやってましたが、ヒトという生物はそもそも、一人で子どもを育てるようにはできていないそうで、大小のコミュニティーを作り、みんなで育てる(共育)のが自然なありかたなんだそうです。

 

昔は、みんな=身内だったのかもしれません。

おじいちゃんやおばんちゃんなど、みんなで育てるみたいな。

 

でも、今は冒頭の記事に出てくるような家庭も少なくない。

そんな家庭のあり方を否定できる時代じゃないですよね。

 

そしたら、そういう家庭ありきで、どうやって子どもを育てていくのか、というのを社会全体で考えていった時に、託児所に預ける、ベビーシッター制度を使う、といった思想をちゃんと受け入れていくことや、小さな子どもをもつサラリーマンの早退を認める思想を自然だとする空気作りが必要でしょう。

 

いつの世になっても確かなのは、子は社会の宝だということです。

先に生きている私たちが、子どもたちをどうやって支えていくか、ということを過去の経験に引きづられることなく考えていくことが大事だと思います。