日々じゃーなる

日々の生活でおもったことをなんとなく、でも結構まじめに綴るブログです

子供の段階で、すでに人はみな違うものです

父親と母親、教育熱心なのはどちらかというと母親、というイメージがあるようですが、だとしたらうちもそのイメージ通り、つまり私より妻の方が教育には熱心です。

 

といっても、私と比較したらというレベルであって、世に言う「教育ママ」と比べれば随分と穏やかだと思います。

 

子供がある程度の年齢になると、習い事をさせるかさせまいか、させるとしたらどんな習い事が子供のためになるのか、ということを考えるのは、教育熱心だからなのかどうかはわかりませんが、とりあえずそれを言い出したのもやはり妻でした。

 

ちなみに、私は教育に興味がないわけではなく、むしろしっかりとした哲学を持ち合わせているつもりです。

習い事に関しては、習わせなくても良い、ではなく、習わせない方がよいかもしれない、というスタンスをとっています。

習い事が親の見栄が理由なら論外ですが、そうでなくてもはたして小さい頃から何かを強制的にさせることが、その子の将来に役に立つのかを疑問視しているところはあります。

 

だから、もし習い事をさせるとしても、子供の様子をしっかりと見て、いやそうならばすぐにやめる、という条件付きで習い事を始めました。

 

内容は「水泳」です。

http://www.city.kai.yamanashi.jp/docs/2013111200175/files/soukaisuiei-1.jpg

まだ泳げるはずもない年齢なので、水遊びの延長です。

で、今日初めて見学に行きましたが、これが信じられないほど楽しそうでした

終始笑顔、終わったあと、週に1回なのに明日も行きたい、という始末。

これなら、通わせ続けたほうが良いな、と感じました。

 

子供に何かを強制的にさせるのはよくないですが、いろいろなことをとりあえず経験させるのは良いことですね。

 

集団での水泳教室で、同じ年くらいの子が一緒にいます。つまり親は、自分の子供以外も同時にみることになります。

 

インストラクターの教え方はとても手馴れていて、保育士さんに負けないくらいの子供の扱い上手にびっくりしました。

しかし、そんな熟練のインストラクターが教えても、中には全く笑顔を見せない子、水に入りたがらない子、ただただつまらなさそうにしている子もいます。

 

あんなに小さな子の段階で、もう人はそれぞれ違うのだな、というのを感じました。

あのくらいの年齢では、親のしつけや教育方針ということよりも、単純に生まれつきのキャラクターという部分の方が大きいでしょう。

私の子供だって、たまたま水泳は楽しめていますが、他のなんでもがそうなるとも限りません。

 

親が子供に言ってはいけない言葉の一つに

「他の人はみんなやっているのに、なんでやらないの?」

という言葉があります。

この言葉は、人の違いを否定している言葉ですよね。

キャラクターだって能力だって、違うものは違う。

「なんであなたは身長が低いの?」

と聞くようなものです。そうなのだからそうなのだ、が唯一の答えです。

 

違いを大切に。いろんな人がいるんだ、ということを噛み締めた1日でした。

大人が子供から学ぶことって本当に多いですね。

 

 

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持ち歩く必要があるもの

今週のお題「カバンの中身」

 

今週のお題に関して定期的に投稿はしているものの、正直私の記事は少しズレていると思います。

自覚の上なのでお許しを。

 

カバンの中身、、、というか、カバンを持ち歩く習慣がそもそもありません。

(ほら、またズレました、、〕

 

持ち歩く必要があるものは、スマホと財布、鍵くらいです。

 

昔から色々と持ち歩くのが嫌いだったのですが、そうはいっても以前はもう少し色々と持ち歩いていました。

 

文庫本や手帳、コンパクトタイプの外付けHDDなとですね。

 

もう察しがつくと思いますが、なぜこれらを持ち歩かなくなったのか、には至ってシンプルな理由があります。

 

スマホです。

 

文庫本は電子書籍、手帳はアプリで、外付けHDDはクラウドで済ませることができるようになったわけですね。

テクノロジーは素晴らしい。

 

で、繰り返しますが現在持ち歩くのはスマホと財布、鍵くらいですが、これでもさらに軽量化したいと思っています。

 

例えば財布はクレジットカードを主にすることでかなりの軽量化が可能ですし、Apple Payならば、そもそも財布も不要です。

なお、財布には現金以外にも会員証やポイントカードなんかもはいっていますが、その多くは現在アプリ化してあります。

 

残りは鍵とスマホですね。

鍵は時間の問題だと思います。

指紋認証機能があるスマホを使っての施錠、解錠は高いセキュリティを実現します。

一部にはもう導入されつつあるようですね。

 

最後にスマホですが、上記した通り、軽量化の方向がスマホへの集約なので、こればかりはどうにもならない、、とはなりません。

それを実現するのがウェアラブルバイスですね。

Apple WatchGoogleグラスの普及はまだまだですが、これらが現在のスマホ同等の利便性を獲得し、値段も抑えられれば間違いなく普及するでしょう。

 

さらにさらに、最終的には人体に害のない場所にICを埋め込んで、「ウェアー」する必要すらなくなるのかもしれません。

 

その時代に生まれた人は、

「昔の人って、スマホっていうものを持ち歩かないと何にかと不便だったんだって」

なんて言っているのかもしれません。

 

それは、今の若い人たち

「昔の人って、目当ての音楽聞くのにわざわざレコード購入するしか方法がなかったんだって」

と言っているのとなんら変わりません。

 

カバンの中身って、その時代を表す鏡かもしれません。

でも、ファッション要素を除けばカバン自体が不要になる時代もそう遠くはないかもしれませんね。

披露宴のスピーチで「あのこと」を言う人、理由を考えてみました

https://i.ytimg.com/vi/kYi6MPM4hJk/hqdefault.jpg

 

最近は、典型的な披露宴も減った気がします。

私の周りでは、会費制でパーティー形式が増えつつあります。

若い人は特にですが、祝儀を最低3万も払わなくてはいけない披露宴よりは、確かにする方も行く方も気が楽ですよね。

その分「特別感」は薄れますが、そこは各々の価値観の問題です。

 

さて、そんな昨今でも執り行われる披露宴、その中では、友人や会社の同僚、上司のスピーチが必ずあります。

あれを頼まれた方は、かなり緊張するようですね。

私はある程度ステージに上がり慣れているので、さほど緊張もしませんが、あがり症の人にとっては本当に辛いものらしいです。

カンペをみる手も震えちゃうくらい。

 

緊張は生理的なものなので仕方がないのですが、スピーチの内容に関して、以前から不思議に思うことがありました。

 

それは、なぜこの人は会社の説明をするのだろう、ということです。

 

例えば新郎とスピーチをいう人が上司、部下という関係で同じ会社で働いているとします。よくありますね。

スピーチの中で、新郎が普段どういった仕事をしているか、を話すのはいたって自然です。披露宴の主人公は新郎新婦ですから(本当は列席者が主人公だ、という意見もありますが、まあそれはおいといて)、新郎の話をするのに違和感はありません。

 

しかし、新郎の働いている会社が何年にできた会社だとか、どんな業績があるのだ、とかいうのは、そこで話す意義があまり見当たりません。

私にとっては、いささか退屈です。

 

で、なぜ披露宴で会社の説明をするに至るのかを考えてみました。

多分それは、消去法によるものです。

 

スピーチを任された新郎の上司、この上司と新郎の間に、スピーチでいうべきエピソードがあり、それが披露宴に馴染むものならばそれを言えばことは収まります。

 

しかし、そううまく話があるわけではありません。

そして、なんてことない話をスピーチとして成立させるとなると、それは技術が必要になりますが(人志松本のすべらない話とか見たらわかりますね)、そんな技術を持ち合わせている人もそうそういません。

 

つまり、スピーチを任されたものの、なにを話せば良いのかわからないのです。

別に私は「夫婦には守らなければならない袋が3つある、それは、、、」という使い古された文言をあえて堂々というのも、それはそれで面白いと思うのですが、そういう勇気すらない人がたどり着くのが、会社の説明、となるのです。

 

考えてみれば、上司と部下という関係で共通した話題が会社のことになるのは至極当然で、逆に言えば会社のこと以外なにも共通した話題がないわけですね。

スピーチは、まったく新郎と関係ないことをいうわけにはいかないから、新郎の働いている会社の説明ということで、ギリギリセーフ、とみなしているのでしょう。

 

これは、依頼する方も悪い。仲のよい友人とならば、いくらでもエピソードはあるはずです。

スピーチを上司に頼むのが筋、といった型にはまった決め方は避けた方が、新郎も上司も、そして列席者のためにも良いと思います。

 

会社の説明が5分を超えると、本当に疲れてきませんか、、、

 

 

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DAWソフトと作曲、デザイナーとグラフィック系ソフト、枠と中身

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現代の音楽において、DAWソフトというのは欠かせません。

これは、コンピュータを使って音楽を制作する上で使うソフトで、今巷に溢れている音楽のうち、DAWソフトを介していないものは皆無、といってもよいくらいです。

 

しかし、オフィス系のソフトやブラウザ、メーラーに比べてDAWソフトは、いくら音楽がメジャーな文化とはいえ、認知度は決して高くないでしょう。

Chromeというウェブブラウザの名前と、CubaseというDAWソフトで世界的に有名なソフトの知名度には相当に差がありそうです。

 

だからこそ、なのかもしれませんが、ネット上にも情報はまだまだ少ない。

Chromeの使い方は、それこそありとあらゆる人がネットで紹介していますが、それに比べるとDAWソフトの使い方の情報量は少ない。

その理由は知名度だけではなく、実際に複雑だから、というところでしょう。

 

今回の記事は、DAWソフトの使い方などを紹介したいわけではなく、音楽制作と仕事の仕方を重ねて考えてみる、という試みです。

 

上記したように、DAWソフトは一朝一夕で使えるようになるものではありません。

詳しい人に教えてもらったり、書籍を参照したりしながら学んでいくしかありません。

逆に言えば、それが使いこなせるのは一つのスキルとみなしてよいと思います。

 

一方、曲を作るという行為自体は、DAWソフトを使えなくてもできます。

ギター一本で名曲を作る人もたくさんいます。

考えてみれば、コンピュータが出現するよりずっと以前から音楽はあったし、その頃にも名曲はたくさん生まれてきたので、当然といえば当然です。

 

しかし、この当然のことを渦中にいる人の一部は忘れています。

つまり、DAWソフトのスキル=作曲能力と勘違いしている、ということです。

 

これは、DAWソフトより若干知名度が高い、グラフィック系ソフトを例に出すとわかりやすいのかもしれません。

例えばアドビのイラストレーターをいくらつかいこなせても、そもそも頭の中にクリエイティブな発想がなければ、デザイナーとしてやっていくのは難しい、ということです。

 

DAWソフトもグラフィック系ソフトも、基本的には「ツール」であって、何かを創造するのは常に人です。

 

 

強引ですが、社会人として仕事をしている時にも、それと同じようなことを考えることがあるのです。

ちゃんとした服装と名刺、言葉遣い、時間に送れない、後追いの為のメールや電話。

これらは、人と仕事をする上で大切なことに間違いありません。

しかし、当然ですがこれらは仕事をする上でのツールでしかないと思うのです。

大切なのは仕事の中身、もっといえばその仕事を提案している人間そのもの、です。

 

上記ソフトと同じように、仕事においてもツールが不要だとは思いません。

しかし、最も重要なことではないことも事実です。

 

例えば、時間に送れて相手に迷惑をかけることはよくありません。

しかし、遅刻したことを真摯に詫びる、という次に繋がる誠意を見せられるのは、やはり人そのものです。

遅刻しなくてもイマイチな仕事、たとえ遅刻しても、「最終的には」良い仕事、というものもあります。

 

ツールはやはり枠組み、最重要は人と仕事内容ですよね。

 

ツール(枠)はマニュアル化しやすいし、箇条書きにしやすい。

こういう仕事は、将来コンピュータに奪われるかもしれませんね、、、

 

 

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書類を取引先に「持っていく」こと

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基本的にはテクノロジーが好きなので、それを使って業務のスリム化を実現することも好きです。

現代において、オフィス系ソフト、いやコンピュータ自体やインターネットがないと想像すると、それだけでうんざりしてしまいますが、それはわたしだけではないはずです。

 

懐古主義でもない限り、業務においては新しいものであればあるほど良いとおもえるはずです。

仕事においては生産性が非常に重要ですが、時間短縮はテクノロジーの基本です。

実際に、やっぱり紙の書類じゃないと、、と言っている人の中には、単純に新しいことを覚えるのを面倒がっているだけとしか思えないような人も多くいるでしょう。

人生日々勉強です!

 

しかし、実は懐古主義ではない自分でも、これはテクノロジーを使わないほうが良いな、と思う瞬間があります。

例えば見積書や請求書といった書類作成サービス。

 

普段(7割くらい)はクラウド型の書類作成サービスを使っています。

サイトが用意してくれているテンプレートがあるし、自社登録や取引先登録をしておけば、作成は非常に簡単にできます。

そのサイト上で作成したものならば、メーラーを通さずに取引先のメールアドレスあてに直接PDFで送付することも可能。

もちろんクラウドなので、スマホタブレットからもアクセスできるので、いつでもどこでも書類作成、送付が可能です。

送付日時も自動的に記録されるので、いつ送ったかを記録し忘れもありません。

 

つまり、印鑑も印刷も郵送する手間もいらない、そして時間もわずかで済みます。

これが紙の書類だと何かと面倒なのは言うまでもありません。

 

しかし、取引先によっては、私はあえてプリントアウトし、捺印、封書に入れて相手先まで出向くこともあります。

相手がそれを望んでいたら当然ですが、そうでない時もそうすることがあります。

なぜでしょうか。

 

それは、相手とのコミュニケーションをリアルでとるきっかけになるからです。

 

フリーランスならば、いつどこで誰からどんな仕事がやってくるか全く予測がつきません。

仕事はしたいので、つまり常にアンテナを張っていることになります。

上記の書類作成クラウドサービスは、確かに早いし正確、便利です。

しかし、それが故に相手と直に話す機会すらスリム化されてしまいます。

 

人が人に仕事を頼む時って、メールに書いてある文章や取引内容だけで判断するわけではありません。やはり「人となり」をみます。

もちろん、メールの文章なんかでもある程度人となりは見えますが、直に会って感じる部分の方が大きいのは当然ですね。

 

テクノロジーって、本当に素晴らしいです。

それによって無駄を省き、より有意義な人生を歩むことができたら、それに越したことはありません。

しかし、それを使う前に、果たして本当にスリム化した部分が「無駄」の一言で終わらせて良いものなのか、それによって失う何かはないのか、というところも考えないと、実は気づかない間に失っているものもあるのかもしれません。

 

もちろん、それを踏まえてあえてスリム化することが、進化と呼べるものだと思います。

 

 

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初心者向け教則本「以外」が少なく感じませんか?

http://project0t.com/wp-content/uploads/2014/04/20140409-6.jpg

 

音楽関係にいるということもあって、

「ギターを始めようと思うんだけど、オススメの教則本ある?」

といった類のことを質問されることも多いんですよね。

 

ここで、私が「初心者向けギター教則本ならコレ!」みたいなことをすぐに言えたら良いのですが、正直あんまり知りません。

 

決して良い教則本がない、と言いたいわけではなく、どの教則本もそれなりに(?)しっかり書いてあるし、もちろん嘘はほとんど(??)書いていないので、ちゃんと本に従って学んでいけば、技術向上を見込めると思います。

 

ちなみに、私の場合はギターよりもピアノを先に、しかもかなり幼少期から習っており、それからずいぶん経った高校の頃にギターを始めた、という経緯があるので、ギターを始める段階で、ギター初心者ではあったものの、音楽初心者ではなかったわけです。

 

多くのギター教則本(ギターに限りませんが)は、結構最初の方に音楽理論初歩が載っています。

メジャースケールのインターバルや、楽曲のKEY、コードの成り立ち、表記、進行などですね。

ギターを始めた頃の私も、楽器屋の書籍コーナーへ足を運び、初心者向け教則本をパラパラとめくってはみたものの、音楽初心者ではないこともあり、上気した音楽理論をはじめ、すでに知っていることが多かったため、購入には至りませんでした。

 

まあ、なんとか自分でやってみよう、と。

 

しかし、考えてみれば教則本の多くは、初心者向けですね。

「○日で弾けるようになる」

「カンタン!ギターバッキング」

など、実際にありそうです。

 

なぜ音楽の教則本は初心者向けが多いのか。

私は理由が2つあると考えています。

 

一つは、購入対象者が多いから。

一念発起してギターを始めようと思う人は多いのですが、約半数は続きません。指が痛い、Fコードがならない、練習する時間がない、家族からうるさいとクレームがつく、といった理由で次々と辞めていきます。

 

で、続いた人がギターを弾けるようになるのですが、必ず初心者を通過して中級以上になっていくわけなので、出版社としては購入対象者の多い初心者向け教則本を出す、というわけです。

これは、音楽に限らずどんなジャンルの教則関係書籍でも同様のことが言えるでしょう。

 

もう一つは、中級者以上が学ぶことは、教則本に書くまでもない、ということです。

ギターを学ぶきっかけになるのはほとんどの場合、その人にとってのかっこいいミュージシャンの存在があります。

面白いのは、そのミュージシャンがみんな違う、ということです。

きっかけのミュージシャンが違うということは、音楽の嗜好も違うということなので、基礎的な部分を学んだ後は、好きなミュージシャンの真似をするのがもっとも効率の良い上達方法だ、ということです。

 

ギターの講師になりたい、というのが第一目標であれば、多くのジャンルに対応したギターの知識、奏法を学ぶことが必須ですが、そうでない限りは自分の好きなミュージシャン像に一歩でも近づけばそれで良いわけですね。

ハードロックギタリストを目指す人が、クラシックギターを極めようとする必要はない、ということです。

 

1つ目の理由はさておき、2つ目の理由は音楽を学ぶにあたってとても重要なことだと感じます。

音楽のような明確なものさしがない事柄においては、自分の嗜好というのが唯一無二の尺度です。

だとすれば、好きなミュージシャンの真似をするのは非常に効率の良い上達方法です。

それは奏法に限らず、持っているギターや機材、弾き姿、服装、なんなら口癖まで真似するくらいの勢いがある人の方が、上達は早い。

 

ある程度の技術があるのに、教則本に頼ろうとしている人。

自分の大好きなミュージシャンの「すべて」をコピーしようとするほうが為になりますよ。

 

 

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盆を実家で

盆に実家に帰省する、というとても当たり前の行為でも、学生時代や社会人になってすぐにはできませんでした。

貧乏すぎて、帰省する交通費も、そのためにバイトを休むことも出来なかったからです。

 

帰省できている今は、それなりに落ち着いたとも言えるのかもしれませんね。

 

最近は色んなことにまるくなったな、という自覚があります。

例えば、先ほどお坊さんが来て仏壇の前でお経を読んで帰りましたが、以前は

「こんな行為に、どんな意味があるのだ、、?」

と思っていました。

また、その際に払うお金も、ちゃんとした決まりがなく、なんとなくの相場で渡すというもので、悪しき慣習だ、と憤慨してました。

そんなことだから、お坊さん派遣サービスがアマゾンで始まるのだ、と。

 

そんな考え方はいまだに変わっていませんが、特に怒ることもなくなりました。

まあ、そういう文化もあるのだろう、と。

 

自分自身が率先してそういったことはしないけれど、する人がいてもまあいいのかな、と。

 

そういえば、こういうスタンス、つまり思ってはいるものの認める、というスタンスになってからの方が、皮肉にも自分の考え方に耳を傾けてくれる人が多くなりました。

 

頑なな態度は、相手の態度すら変えてしまうのかもしれませんね。

 

ということで、実家でのんびりとできるのは今日くらいなので、今日はこの辺で。