日々じゃーなる

日々の生活でおもったことをなんとなく、でも結構まじめに綴るブログです。 趣味は読書とビリヤード。仕事は音楽関係。

年賀状を準備し始める時期ですね

年賀状を準備し始める時期になりましたね。

お察しの通り、ずっとまえから私は年賀状というものを書きません。

 

いや、書く人をバカにしているわけじゃないですよ。

自分が書かない、というだけです。

 

↑ 年賀葉書発行枚数(万枚)

 

ご覧の通り、実際減ってますね。

 

減っている理由は大きく2つあると思います。

 

まず、文章で新年の挨拶をする方法が年賀状以外にも増えたこと。

メールやSNSですね。

 

で、もう一つは、似ているようで違う理由で、SNSです。

どういうことでしょうか。

 

年賀状って新年の挨拶ですが、年に一回、年賀状でのやりとりでしか交流がない相手っているんじゃないですか?

 

ある程度の年齢になり、住んでいるところも離れてしまうと、わざわざ用事もないのに連絡取らないので、結果年賀状のやりとりのみになります。

 

で、年賀状が来ることによって、その人の無事を知る、といった感じですね。

だから、子どもが生まれたら子供の写真とか、旅行に行ったときの写真とかを年賀状にするというデザインが流行りました。

 

ところが、現代はどうかというと、SNSで日々その人の動きを見られます。

SNSを頻繁に使う人にとって、子どもが生まれたとか、旅行に行った、なんていうイベントは、投稿するのにもってこいの話題で、すぐさま投稿です。

投稿は、ポチッとして1秒後に世界中で見られるわけです。

 

年に一度の年賀状に集約する意味は薄れますね。

改めて報告するまでもなく知ってますから。

 

 

年賀状を書く人が少なくなったことが良いことか悪いことかはわかりませんが、今後増える見込みがなさそう、というのは事実です。

 

でも、別に暦が消えるわけじゃないし、したがって新年を迎えるという節目の意味がなくなるわけでもありません。

 

年賀状を出さない私だって、明けて最初に会う人とは新年の挨拶を交わすし、そういう節目ってやっぱり大切にしていきたいと思います。

 

ただ、節目を大切にすることと、年賀状を出すことが結ばれていないだけですね。

 

繰り返しますけど、、、

年賀状を出す人をディスっているんじゃないですよ・・・

忙しいという言葉

【コラム】日本が大好きなキューバ人から言われた「日本人のイヤなところ」が忘れられない | ロケットニュース24

 

確かに、日本人は忙しいってよく言いますね。

と言っても、じゃあ他国の人がどのくらい忙しいと言っているのか知らないので、比較しようもないんですけどね。

 

ただ、比較するのはさておき、確かに忙しいという言葉の使いすぎには、ちょっとした問題があると思います。

 

なぜか。

 

 忙しい、の国語辞典的な意味は、「することが多くて暇がない」となっています。

で、漢字の成り立ちはりっしんべんになくす、つまり「心」を「亡くす」です。

 

別に漢字の成り立ちがそのままのイメージになっているものばかりではないと思いますが、忙しい、は確かに、ちょっとマイナスなイメージがありませんか?

 

実際、忙しいという言葉は、意味だけだったら他の言葉で代用できます。

つまり、「することが多くて・・・」の「すること」を伝えれば良いだけです。

 

A「来週の土曜って空いてる?」

B「あー、その日は昼はギタースクール、夜はサザンのコンサートに行くね」

 

この会話のギタースクールとかサザンのコンサートは、おそらくBさんが楽しみにしていることですよね?

こういう場合、忙しいっていう言葉使いますかね?

あんまり使わないんじゃないかな。

 

A「来週の土曜って空いてる?」

B「あー、その日は休日出勤だね」

 

こういう場合は、忙しい、という言葉を使いそうです。

2つのシチュエーションは、暇がないという意味では同じなのに、片方は忙しいという言葉が似合わず、もう片方は忙しいがしっくりきます。

 

この違いは、何をすることで暇がなくなっているのか、その内容をどういうふうに捉えているか、だと思います。

 

ざっくり言えば、楽しみなことで時間がうまっていても、忙しいとは言わないんじゃないの、ということです。

 

冒頭記事で出てきたキューバの方がどこまで考えているかわかりませんが、仕事を前向きに捉えていれば、忙しいという言葉ではないべつの言葉をつかうのかもしれない、とは思います。

 

言葉は文化です。

マイナスなイメージが漂う言葉を日常的に使っていると、マイナスが日常になるかもしれませんね。

 

ということで、私も今後は忙しいという言葉を使いそうになったら、別の言葉で置き換えられないかを考えてみようと思います。

 

頑張る、という言葉も同様ですね。

 

famo-seca.hatenablog.com

 

忙しい、という言葉を使わなくてもよい時間の使い方をしたいものです。

 

 

開業届は、5分もかからず提出が終わります

昨日の続きみたいになります。

 

この時期になると、確定申告の準備(の準備)をゆるやかに始めます。

いまは優秀なソフトがあるので、以前よりずっと楽になって、青色申告する人も多いかもしれませんね。

 

ところで、、、

フリーランスの人は開業届を税務署に出さないといけません。

出してますか?

自分で出しに行かない限り、誰からも催促されませんよ。

 

音楽関係者なんかは、「開業なんてそんな大げさな、、、」とかいう人多いんですが、売上規模とか人数とか関係ありません。

自分で仕事取って、お金もらうという行為が開業です。

 

で、この開業届、名前が堅苦しいし、提出先は税務署という、これまた堅そうなところなのですごく面倒だと思いきや、めちゃめちゃすぐ終わります。

もうね、住民票取るより早いんじゃないかと。

 

まず作成は、かの有名なfreeeを使いましょう。

 

個人事業主の開業手続き、開業届作成を無料でサポート | 開業 freee

 

ここで、質問に答えていけば、ちゃんとしたフォームが完成。

入力は長くても10分くらいじゃないですかね。

 

プリントアウトして、1枚目に出てくる用紙に書いてある指示通りに印鑑とマイナンバーを書いて提出。

管轄する税務署の住所が印字された用紙も出てくるので、それを使えば郵送でも可能です。

 

私が何年か前に開業届出したときは直接税務署に出向きましたが、本当に数分で終わりましたよ。

もちろん、青色申告承認申請も一緒にだしました。

これも上のサイトから作成すれば勝手にプリントアウトされます。

 

徳井さんの事件が有名になりましたが、フリーランスで仕事をしていくにあたっては、自分で調べていろいろと処理していかないと、あとから大変なことになります。

「そんなの知らなかった」

では済まされません。

 

昨日も書きましたが、日本の場合はサラリーマンにそういう処理を一切させないので、フリーランスになってから、やらなくてはいけない財務関係が意外と多いことにびっくりします。

 

といっても、ひとつひとつ丁寧にやれば、誰でも出来ます。

仕事で儲かるのは商才がいるかもしれませんが、役所手続きは指示通りにやるだけだからできないわけない。

 

しっかりやっていきましょう。

確定申告の準備をはじめました〜

フリーランスは、自分で確定申告をしなくてはいけません。

確かにこれは手間ですが、メリットもあります。

 

それは、自分がどのくらい所得税を納めているか把握できることです。

逆に、サラリーマンはほとんど知らないんじゃないですかね?

給料明細に詳細は載っていると思いますが、結局把握しているのは「手取り」の金額だけ、ということが多いでしょう?

 

自分が働いたうち、どのくらいを税金として納めているかを知ったら、国や地方自治体に言いたいことも増えます。

 

こんなの当たり前で、値段に関係なく、お金を出して買ったものやサービスが満足いかなかったら、文句もつけたくなるでしょう?

 

もしかしたら、お役所がこういう不満を牽制するためにわざとサラリーマン確定申告不要にしているのかも、なんて考えちゃいます。

 

ちなみに、アメリカではたとえ会社員であっても、確定申告は各々でするそうです。

日本でも、副業による収入がある人は確定申告をしなくてはいけませんが、アメリカは日本に比べてそういう人が多いので、結局全員が確定申告をする、という制度になってるんだとか

 

日本も、大企業が副業を認める動きが出てきましし、今後その傾向はさらに強まるでしょう。

そしたら、結局確定申告の義務が出てきます。

 

だったらいまのうちに全員に確定申告をさせるよう制度変更するのも一つの手だと思いますけどね。

 

働き方改革は、こういうところにも及んでほしいな、と思います。

 

1分15分のジム〜安いことが逆に・・・

「使った時間分だけ支払い」脱月額制 予約不要で1分15円から…シェアフィットネスの狙い - FNN.jpプライムオンライン

 

いろんなサービス出てきますね。

1分15円だそうです。

 

試みは面白いと思うし、私も結構興味あります。

 

ただ、、、

我流でダイエットを試みたけどうまくいかずにジムに通う、という人たちには不向きじゃないかな。

 

実は学生の頃に、某有名スポーツクラブでバイトしてました。

当時は、正会員(すべての施設をすべての時間で使える会員)の月額が1万円弱。

今もそう変わらないと思います。

 

この価格、決して安くないですよね。

でも、結構会員数は多かったです。

 

で、もちろんこの中には上に書いたダイエット挫折者が来るわけです。

こういう人たちは、

「月に1万近くも払うんだから、施設を使い倒して、その結果痩せないともったいない」

と考えるようです。

 

これはダイエットに限らず、自分自身の意志の強さだけではどうにもならないときに、あえて自分を追い込む方法で、誰しも経験あると思います。

 

冒頭の記事で紹介した1分15円のジム。

これは、短い時間で集中してトレーニングする、という人にはもってこいのシステムですが、上に書いたような理由でジム通いする人にとっては、短ければ短いほど、行かなければ行かないほど安く済んじゃいます。

 

自分の意志の弱さを、お金を払うという行為で補填していた人にとっては、トレーニングを短くしたり、行かなかったりする理由がいともかんたんに作れちゃいますね。

 

私のまわりでダイエットに失敗する人は、痩せなくて良い理由や、食事制限を今日だけ解除する理由、今日は運動しなくて良い理由を見つけてくるのが本当にうまい。

もちろんこれらは、痩せられない自分を正当化するための屁理屈です。

  • 痩せなくて良い理由:自分っていうほど太ってないんじゃないか?
  • 食事制限解除:今日は久しぶりの友だちと会って飲み会だから
  • 運動しなくて良い:運動って適度に休んだ方がよいとか言うし

まあ結果痩せません。

そういう人にとっては、お金がないからというのは最高の言い訳になります。

(そういう人に限って、お菓子代はケチらないんですけどね・・・)

 

ま、ジムに行く人はそういう人ばかりじゃなく、本当にスキマ時間に身体を鍛えて、心身ともに健康になりたい、という人もいるわけなので、そういう人には朗報ですね。

 

ジムのシステムも使う人による、っていうことですかね

法と罪と罰〜意外と複雑ですね

松本人志の「薬物厳罰化」発言が何から何まで間違っている理由(原田 隆之) | 現代ビジネス | 講談社(1/5)

 

影響力のある松本人志さんのコメントなので、その方面のプロからも鋭いツッコミが入りますね、、、(普段はボケなのに・・・失礼)

 

でも、確かに薬物使用厳罰化に関しては慎重になったほうが良いと思います。

 

罪に対して罰を与える。

その罪に対して、「なぜ」そのくらいの罰を与えるのか、という根拠が必要ですよね。

 

本題からはちょっとそれます。

 

例えば、被害者がいるような罪を考えてみます。

車で人をはねて、死亡させてしまった、という場合は、被害者がいます。

 

この場合、故意でなくても過失致死で罪になります。

 

さあ、この場合どのくらいの罰を与えるべきなのか。

ここでよくある間違いが、被害者が受けた被害と同等の罰を与えるべき、というものです。

この考えだと、過失だろうと故意だろうと、どんな場合も人が死んだら同等の罰、つまり死刑です。

 

でも、間違って人をはねた加害者と故意に人をはねた加害者と、同じ罰で良いはずもないでしょう?

 

だから、罪の重さと罰の厳しさはおおまかにしか比例しない、ということです。

 

話を戻して、薬物です。

薬物の場合は、直接の被害者がいません。

でもこれは法律上れっきとした犯罪です。

 

上の間違いのように、受けた被害と同等の罰を、という考え方をしてしまうと、被害者がいないんだから、罰を与えなくてよいことになってしまいます。

でも、罪を犯したら必ず罰を受けないといけない、という原理からすると、薬物使用が罪である以上、それは罰を受けるというところまでが既定です。

 

罰を受けなくてはいけないことはわかったと。

では、どのくらいの罰を与えるのか、ということになりますね。

 

で、どのくらいの罰を与えるのかを考える基準は、その人が罪を償い、反省し、更生するのに適切な量、ということになります、、、まあふわっとしてますよね。

だから、過去の判例を参考に決める、と。

 

それ以外に、抑止効果を狙う、というものもあります。

 

例えば、飲酒運転による事故は厳罰化により明らかに減りました。

 

かといって、どんな罪に対しても厳罰化すれはそれが抑止になり、犯罪が減るかの言えば、そういうことでもない、ということです。

 

特に薬物のような依存や心の問題に大きく関わる犯罪は、むしろ逆効果になることもあります。

 

こういうときには、やっぱりしっかりとした統計や科学的根拠を活用すべきですよね。

 

罪と罰の関係は、シンプルなように見えて意外と複雑です。

繰り返しますが、おおまかにしか比例させない方が良い。

 

被害者側にたてば、こういった冷静なロジックを考える余裕なんてなくて、懲罰感情にあふれます。

これに従いすぎると、傷害事件では、罰として加害者を殴って良い、交通事故で人をはねたら、罰として車に轢かれなければいけません。

 

殺伐としますし、とっても健全な社会とは言えません。

 

一方、被害者がいない犯罪の場合は懲罰感情の出処がないかわりに、罰によって抑止を期待しますが、その効果は罪の種類によって違います。

 

最終的には、秩序ある社会を維持するために法、罪、罰という構造があります。

法は法律家のものだけではなく、私達庶民にも関わってきます。

そして、世論が法や罪、罰のあり方、改正に影響することもあるので、庶民である私達も慎重に、丁寧に議論していきたいものですね。

喧嘩解決には時間が効く

今日は、久しぶりにある人と口喧嘩になりました。

 

喧嘩になると、感情的になるので、あんまり生産的じゃないですね。

とはいえ、感情は簡単にはコントロールできないものです。

 

それを解決するのは時間くらいですかね。

なんとなく忘れる、とかじゃないですよ。

時間がたって、冷静に考えたら、正直どうでもよいことで喧嘩したな、と思えることがほとんどです。

 

逆に、どうでも良くないことは感情的に話し合うべきではないので、やっぱり時間を置くことが大切です。

 

まあ、圧倒的にどうでもよいことの方は多いですけど。

 

ということで、しばらく時間を置いて、冷静に話してみようと思います。