日々じゃーなる

日々の生活でおもったことをなんとなく、でも結構まじめに綴るブログです。 趣味は読書とビリヤード。仕事は音楽関係。

競争意識がなくても働けますよ

toyokeizai.net

 

数日前にこんなブログを書きました。

 

famo-seca.hatenablog.com

 

会社組織は、ある程度価値観をそろえないと、組織としての意味がなくなってしまいます。

反面、全員の価値観をあまりにもそろえようとすると、社会全体の価値観が多様化しているこの時代ではひずみがあり、多くの社員が、やめる以外に解決策のない問題に向き合い続けなければいけません。

 

ほとんどの組織は、それをどの程度のバランスにするか、の調整をしているわけです。

つまり、どこまで社員の自由に任せるか、どこまで会社の思想に従わせるか。

 

しかし、そんな時代にあっても、この競争意識の有無は議論にならないことが多々あるように見えます。

極端に言えば、競争意識があるのが当たり前だろう、という方向になっちゃうということですね。バランスを取る間でもない、と。

 

会社が営利組織である以上、競争は必須、、、ですか?

私はそうは思いません。

多分必須なのは、競争意識ではなく向上心です。

そして、向上心には競争意識が不可欠だ、と思っている人がとても多いと感じるのです。

 

断っておきますが、向上心と競争意識がセットになっている人も多くいて、それも全然悪くありません。

ただ、向上心だけはあって、競争意識があまりない、という人も結構いると思います。

かくいう私がそうです。

 

スポーツで言えば、マラソンに近いと思います。

マラソンが好きな人って、他人とではなく自分と戦っています。

マラソン好きが周りにいたらぜひ質問してほしいんですが、どちらかと言えば順位よりもタイムを気にする人が多いのではないでしょうか。

 

あと、芸術で言えば画家なんかもそうかもしれませんね。

画家の知り合いはいないので予想に過ぎませんが、画家は誰かと競っているわけではなく、自分の絵をただただよくしたい、と考えているイメージがあります。

 

好きな作家の村上春樹さんも、毎回ノーベル文学賞候補にノミネートされることをうんざりしているようで、本人の競争意識がそれほど高いわけではない、というのもその理由の一つにあると思います。

ちなみに村上さんのマラソン好きは有名ですね。

 

数値化しにくい向上心や競争意識ですが、全体の傾向としては競争意識が高い人のほうが、向上心も高いという気がします。

しかし、完全に比例するものでもありませんし、状況にも左右されます。場合によっては競争意識がかなり希薄でも、ものすごいストイックさを維持できているひともいます。

上記した村上春樹さんはまさしくそのタイプで、この本を読めばそのあたりを強く感じます。

 

職業としての小説家 (新潮文庫)

職業としての小説家 (新潮文庫)

 

 

 

私は若い頃、競争意識を持て、と目上の人に言われて思い悩んだ時期があります。

競争意識が希薄なのは、働く人間として重大な欠陥がある、と自分を責めたときもありました。

しかし、そんなものを持てと言われて、はいわかりました、と言って芽生えるものではありません。

 

そして、私は今そんなに人に迷惑をかけずに働けています。

働くことに誇りも持っているし、好きです。

 

同じようなことで悩んでいる人に、少しでも安心してもらえますように。

 

 

famo-seca.hatenablog.com

 

 

famo-seca.hatenablog.com

 

武井壮さんもやっているビリヤード

ツイッター武井壮さんをフォローしていますが、最近武井壮さんはビリヤードをやっているようです。

 

しかし、さすがに運動神経が良いんでしょうね。

どのくらいビリヤードをしているのか知りませんが、フォームとかショットとかとてもきれいです。

 

武井壮さんが世間に注目されているのは、バラエティー的に面白い上に身体能力が高い、そしてお金のことを真剣に考えているからではないでしょうか。

これらをすべて併せ持っている人ってそうそういません。

 

とはいえ、その原点(と勝手に私は思っていますが)はやはり身体能力。

今でも鍛えてらっしゃるようだし、とにかく身体を自分の思い通りに動かすこと、コントロールすることに関しては、素人の私がみても唸るものがあります。

 

ビリヤードももちろん身体を使ってやるもので、フォームがきれいなのは、プロのフォームをみて自分に適用する、ということがとてもうまいからなんでしょう。

もちろん各々の体格は違うから、それを自分用に変換して、というところまで考えているのでしょうね。

 

ビリヤードは、「イレ」と「ダシ」の競技と言われます。

「イレ」とは、ショットしてボールをポケットすること。

「ダシ」は、手玉をコントロールすることです。

一般にビリヤードがうまい、と言われるのは「イレ」の方に集中します。

すごく遠いところにあるボールをポケットした、とか、難しい角度の配置でポケットした、などですね。

 

一方、それだけでは勝負に勝てません。

有名なナインボールやテンボールという競技は、球をとりきらないと勝てません。

プロでもないと全て取りきる(ランアウト)は難しいでしょうが、せめて2つか3つ先の球まではとりたいものです。

そのときには、ダシを考えないと無理で、運任せではどうにもなりません。

 

上記ツイッターの動画でも、武井壮さんがダシを考えている場面がでてきますね。1:00すぎくらいです。

 

武井壮さんくらい有名な人がビリヤードの面白さを伝えてくれたら、ひょっとしてビリヤードがもっとメジャースポーツになるんではないか、と期待します。

 

ちなみに、ビリヤードには普通にポケットするショットとは別に、セイフティーという戦略があります。

これは、自分の番のとき、配置的にポケットするのが難しい場合、ポケットするのを諦めて、相手に難しくなるような配置を残すショットです。

これは、手玉と的球どちらのコントロールも必要なので、普通にポケットするよりも難しく、一般には卑怯だ、なんて言われることもあるらしいですが、立派な戦略です。

 

プロ同士の試合をみていると、超ハイレベルなセイフティーショットの応戦があり、ビリヤードファンにはたまらない場面です。

 

ということで、武井壮さんもやっているビリヤード、身体能力だけでなく頭も使う競技。いかがですか

 

 

famo-seca.hatenablog.com

 

 

famo-seca.hatenablog.com

 

macOS名のわかりにくさは、「あれ」と似ている?

f:id:famo_seca:20171209130445p:plain

 

ある程度macに詳しいため、結構macの修理やメンテナンスを依頼されます。

ソフト面はもちろん、ハード的なものさえも、OSが何であるかというのはまず頭に入れておかないと何も始められません。

 

そのOS名、macは数字と名前があるんですが、これがちっとも覚えられません。私だけですか?

 

ネコ科の動物が並んだだけでも複雑なのに、LeopardからSnow Leopardなんて、雪が降っただけです。しかもリリースは8月。

 

Lionの次はMountain Lion。これも名称変化が微妙。マイナーアップデートみたいに見えます。

 

その上、ネコ科のOS名が尽きたからなのか、突然動物じゃない名前になりました。

もうやりたい放題ですね。

 毎回OS名の数字の一覧を検索にいかなくてはいけません。

非常に面倒です。

 

どちらかで統一してくれるのならば、マイナーアップデートがあることを考えると、必然的に数字になるでしょうね。

 

そして、ふと思ったのですが、これって日本の「あれ」に似ていると思ったんです。

 

そう、元号です。

 

年を表すのに、西暦と元号があり、非常にわかりにくい。

西暦はキリスト由来、元号天皇と関係しているから、日本としては元号を、というのはよくわかります。

しかし、年号って伝統とか歴史とかいう側面とは別に、実用するものですから混乱を招くのはまずくないですか。

 

世界基準で考えるとやはり西暦が良いと思います。

どうしても元号を、というのならば、徹底的に元号を使ってほしいものです。

学校の授業で習う歴史の授業だって、元号で教えれば良いじゃないですか。

もちろん覚えなくてはいけないことが突然増えますが、それが大変だから西暦で教える、という理屈が通るのならば、実用で面倒だから(そして実はコストも結構かかっているから)西暦統一、という理屈も通ることになります。

 

 

macOS名にしても元号にしても、伝統やならわしと実用はやはり切り離すべきだと思います。

例えば、macOS名ならば、数字で発表してイラストやアイコンで何かを匂わせれば良い。

元号も、べつに元号自体を消滅させろ、という意味ではなく、存在はしていてよいと思います。数え歳みたいな感じですね。知っているけどほぼ使わない。

そうした方が、今の様に実用とごちゃまぜになっているよりも、前向きに感じられる気がします。

 

でも考えてみれば、iOSの方はOS名がなくて数字だけですね。

これは、macOS名の混乱を受けてAppleが改善した、ということなんですかね?

macOSの方は、これまでの手前引き下がれないだけかもしれませんね。

 

 

famo-seca.hatenablog.com

 

 

famo-seca.hatenablog.com

 

 

 

自分で決めて良い〜「働く」ということ

toyokeizai.net

 

働くことと大変なことは、関係ありません。

楽しくても労働、辛くても労働。どちらを選択しますか?

少なくとも選択的自由はあります。

 

 

労働は社会を最も的確に表わします。

人があつまり、社会を形成し、ルールを作ります。

一人でも多くの人が生きていけるように、各々が得意なことをして協力し合います。

これが働く根本原理です。

働くことは大変なこと、嫌なこと、辛いこと、何かを犠牲にすること。

これらは結果論であって、そうでないといけないものでは決してありません。

 

要するにバランスの問題だと思います。

労働とお金は密接に関係しています。基本的には働く時間が長ければ長いほど、お金もたくさんもらえます。

その時間を、お金がもらえるために時間を有意義に使っていると思うのか、お金のためにプライベートを犠牲にしているのかです。

大抵の場合はその間ですが、そのバランスが各々で違うわけですね。

 

わかりやすく言えば、もう間もなくやってくる正月。

正月でも営業している飲食店は結構あります。

正月に出勤した場合は、アルバイトも含めて特別手当がでます。

 

このとき、もし出勤するかどうかを選べるとしたら、この特別手当をあてにして仕事を入れるのか、お金よりも家族や友人との時間をとるのか、というのがひとぞれぞれ違うわけですね。

これも厳密に言えば2択ではなく、もらえる金額によるということです。

手当が20万円出るのならば、大体の人は働くはずです。

手当が20円ならば、大抵の人は休むはずです。

では5万円ならば?10万円ならば?ということですね。

 

労働は時代を映し出す鏡です。

働くこと、それによってももらえるお金、それによって失うプライベートな時間。

何をどう優先するかを選んで良い時代、多様性を認める時代になりつつあるのだと思います。

 

冒頭の記事もそうです。

数日前に競争意識について書きました。

 

famo-seca.hatenablog.com

 

少しでも高い地位について、その分の高い給料をもらう、という選択しかなかった時代があったわけです。

出世していない人は、出世できない人と決めつけられた時代。

 

しかし、今は違います。少なくともそこに選択的自由はあります。

一生平社員でも構わない、という人がいてもよいだろう、ということです。

ちなみに平社員であるということと、向上心がないということとは関係ありません。

能力を高めたいけれども地位はいらない、という人がいるということです。

 

働き方を決められる時代において、自らの意志で働き方を決めない手はありませんよね?

 

 

famo-seca.hatenablog.com

 

心に痛い言葉を受け止める〜人間はそもそも合理的なんかじゃない

www3.nhk.or.jp

 

私は結構いろんなところに合理性を求めてしまう癖があります。

もちろん合理性ではどうにもならないことも多々あり、それもわかってはいるものの、やはり合理性に重要度をおいてしまうわけですね。

 

しかし、合理性を追求するのはほどほどにしておこう、という話。

 

 

 

私は普段の生活であまりストレスを抱えていません。

それは私がフリーランスであり、ある程度仕事を選べるからです。

もちろん楽しい仕事ばかりではありませんが、ストレスがかかり、笑顔が消えるレベルのことは避けよう、といったコントロールはサラリーマンよりしやすいでしょう。

 

しかし今後はどうなるかわかりません。もしかしてフリーランスとしてうまくいかなくなったら、どこかに就職するかもしれないし、そうなると今ほど仕事選択の自由はなく、おそらく今よりもストレスが増えます。

 

それに、いくら起業する人が多くなってきたとはいえ、やはり雇われて仕事をしている人が多くを占めるのも事実で、その多くは様々なストレスを感じているわけです。

 

ストレスは、何かがうまくいかない時に感じやすい。

仕事で失敗して誰かに迷惑をかけたときや、上司に怒られた時など、ですね。

そのときに自分を見つめ直して、「なにやってるんだろう、俺・・・」となります。

そんな時、隣りにいる同僚がうまく仕事をこなしているのを目にすると、劣等感を覚えます。

 

そのずっと先、いや意外とすぐ先にある考えが、「俺ってここにいる意味あるのかな」です。

そして、そのすぐ隣にあるのが「俺って生きている意味あるのかな」です。

死に至る病、それが絶望を意味するというのは正しいと思います。

 

しかし、この考え方は論理的に過ぎる、ということに気づかないといけません。

つまり、生きている意味なんてそもそもどうでも良いのです。

そこに合理的な意味なんて不要です。

 

そうは言っても、なにかしら生きている意味がほしい。

そういう人は、私の大好きなアーティスト、スガシカオさんのこの歌詞を読みましょう。私も幾度となく救われました。

 

ぼくらが二度とない今に生きる星ならば

きのうと変わらない今日を生きる意味がある

 

 

言葉遊びのようになりますが、考えてみれば合理的でなければならない合理的な理由がありませんよね。

 

世間に対して大きな影響力を持つような人は、それはそれで素晴らしい。

でも、いわゆる地味な人生、どこにでもある人生でも構わないと思います。

 

どれだけありふれた人生であっても、個人個人はありふれていません。

 

 

famo-seca.hatenablog.com

 

 

famo-seca.hatenablog.com

 

売れるコード進行〜そんなものはありません

https://pikachauryo.com/wp-content/uploads/2017/03/school_class_seifuku_woman.png

 

商業音楽では、オリコンチャートがその曲の大きな指標です。

お金のために音楽をやっている、と言ってしまえばなにか悲しいものがありますが、自分の作った曲がたくさんをお金を生んだ、ということは当たり前ですが嬉しい。

自分の曲が世間に受け入れられた証拠ですからね。

 

そんな曲を作る作曲家を目指す人も多くいると思います。

曲というのはメロディーとコード、リズムから成り立ちます。

楽曲の構成や、どんな楽器を使うかといった要素は全てアレンジ領域で、作曲とは別と捉えたほうが良いでしょう。

もっとも、最近はDTM/DAWソフトの普及と高機能化でその垣根がなくなりつつあるのも事実ですが、、、

 

上記3要素のうち、音程を司るのはメロディーとコードなので、このどちらかを起点に曲を作り始める人が多いと思います。

ちなみにプロの作曲家は、曲の作り方にもバリエーションを持っています。

メロディーからのみ、コードからのみという作曲方法では、ネタが尽きてきますから。

 

メロディーというのは一番覚えやすいパートで、プロ・アマ問わず最も集中して聞かれているパートなので、想像し易い。

それはつまり、音楽理論なんて知らなくても感性でできちゃいます、という人がたくさんいる、ということです。

そういう人は鼻歌で作ったりりますね。それで問題ありません。

むしろ、音楽理論なんて使わずに作った曲のほうが良いことも結構あります。

 

一方コードはどうでしょうか。

コードはメロディーに比べると、やはり玄人よりな知識です。

その為か、教則本でメロディーを説明しているものよりも、コードの解析、説明をしているもののほうが多いようです。

 

確かに、コードは知識ゼロだと作れません。メロディーのように感性だけで、というわけにはいかないわけです。

 

ところで、コード進行にも「正しい・正しくない」という基準と「良い・悪い」という基準があります。

 

前者は音楽理論に照らし合わせて決まります。

ダイアトニックコードやセカンダリードミナント、モーダルインターチェンジなど。これらには正解、不正解があります。

もちろん、ゼッタイダメというわけではありませんが、かなりの違和感は間違っているとみなされるのが音楽です

後者はどうでしょうか。これにはまったく法則がありません

 

若い作曲家志望の子から、良いコード進行のパターンやテンプレートはないんですか、という質問を受けることがあります。

 

ありません。

 

そんなものがあったら、みんなそれを使えば良いだけです。

だとすればえらく簡単な世界です。

真っ先に私がやってがっぽり儲けたいものです。

 

もちろん、定番のコード進行というのはあります。クリシェやカノンコード、1625などですね。

しかし、これらを使って売れない曲もあるし、これらと全く違っても売れる曲はやまほどあります。

 

つまり、定番のコード進行を使ったところで、それだけでは質の高い楽曲はできないのです。一要素ではありますが、一要素でしかないし、その一要素も例外がたっぷりとあるということです。

 

だからこそ、プロの作曲家はずっと生みの苦しみを味わうわけです。もちろんそれは前向きの苦しみですが、少なくともあるパターンやテンプレートをつかってササッと作っている作曲家なんていません。

事務処理を効率化するためのテンプレートはあっても、作曲を効率化することはできないわけです。

クリエイティブな作業なので、根本作業の効率化ということ自体が土台無理です。

 

売れるコード進行、といった類の本はダメだ、という意味ではありません。

そういう本ですら、参考にしかならないので、そう思って読みましょう、ということです。

理論的正解は書いてあっても、売れるための正解はありません。

 

 

famo-seca.hatenablog.com

 

 

famo-seca.hatenablog.com

 

連携を強化してみました

 

ネットがあれば履歴書はいらない-ウェブ時代のセルフブランディング術 (宝島社新書)

ネットがあれば履歴書はいらない-ウェブ時代のセルフブランディング術 (宝島社新書)

 

 

7年も前の本を今更読んでどこまで役に立つかわかりませんが、尊敬するジャーナリストである佐々木俊尚さんの本なので迷わず購入して、今読んでいる途中です。

 

やっぱり面白い。そして読みやすい。

影響されやすい私は、各サービスの連携強化をはじめました。

顔は諸々の理由で出せませんが、プロフィール画像と名前の統一をしました。

プロフィールの文章充実化もしなくてはいけませんね。

 

ちなみに、この本はセルフブランディングというのがテーマになっていますが、私はそこまで自分のことをブランディングしてビジネスに繋げたい、といったことを思っているわけではありません。

とはいえ、自分の文章なりつぶやきなり音楽なりがたくさんの人に届くことにはやはり喜びを感じます。

 

この本は出版された時期の関係なのか、フェイスブックの事に触れていません(まだ途中なので、あとで出てくるのかな、、)。

で、私もフェイスブックはやっていますが、連携の中からは諸々の理由で切り離したいので、フェイスブックは連携なしです。

今後こちらとの連携のためのアカウントを作る可能性はあります。

 

で、ツイッターは既に結構連携していますが、

@FamoSeca

ですね。

「famo seca twitter」でエゴサーチすると、2番目でした。上出来です。

 

次は読書メーター。この本ではメディアマーカーが紹介されていましたが、既に読書メーターを使い続けて結構経っているので、こちらで。機能は大きくは変わらないと思いますし。

famo_seca - 読書メーター

(これで良いのかな、、リンク不具合出たら申し訳ありません)

 

それからSound Cloud。一応音楽ですしね。

famo_seca | Famo Seca | Free Listening on SoundCloud

演奏は自分で全てやっています。もちろんプログラミング込みです。

本当は歌モノが好きなので、歌詞が書けたり歌唱力があったりするともっと楽しいのかもしれませんが、歌詞なんかそうそう書けませんよね。

歌は、、、まあ触れないでおきましょう。

 

 

繰り返しますが、特にセルフブランディングから仕事をたくさんもらって、といったことは考えていませんが、依頼があればもちろんやります。それはそれで結構楽しいかもしれませんね。

 

今後ともよろしくお願いいたします。

 

 

famo-seca.hatenablog.com

 

 

famo-seca.hatenablog.com