日々じゃーなる

日々の生活でおもったことをなんとなく、でも結構まじめに綴るブログです

スズメバチの思い出

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私は結構な田舎育ちだからなのか、虫類に対して恐怖心はあまりありません。

特に女性に嫌われている、いわゆる「G」も手づかみできるくらいです。まあ不衛生ですけど。

(油で覆われているので意外ときれい、という話もきいたことがあります)

 

それから、幽霊とかも全く怖くありません。基本的にいるはずもないと思っているし、万が一いたとして、特にそれを怖がる理由が思い当たらないからです。

 

不良少年や暴力団もさほど怖いとは思いません。これは、こういった人たちから被害を受けたことがないからなのかもしれませんが、今のところは大丈夫です。

 

ちなみに、ヤンキーって不良少年という意味で使われますが、実はアメリカ人のことです。

ヤンキー - Wikipedia

日本での使われ方には疑問を持ってしまいますね、、、

 

このように、あまり日常で怖いものがない(と言ったらなんかカッコイイですが、つまり鈍感な)私ですが、唯一の怖いものは、スズメバチです。

 

 

小学生の頃、プールの授業の前には水着に着替えます。

昨今の小学校事情には明るくありませんが、当時はバスタオルにゴムがついているのがあって、それを腰に巻いて下着を脱ぎ水着を着ていました。

https://www.makasetaro.com/item/wrapmodel.jpg

ネットから適当に拾ってきた画像ですが、このタオルのことです。プールタオルとかラップタオルという名称だそうです。

 

ある日のプール授業前、私もこれを使って着替えていたところ、教室の外からスズメバチがやってきました。教室も、そして私もちょっとしたパニックです。

そして運悪くそこに20人以上いる男子の中から、わざわざ私をめがけて飛んできたのです。

反射的に手で払いましたが、俊敏な動きのスズメバチを撃退出来るわけがありません。

そしてなんと、私のバスタオルの中に下から入ってきたのです。

(思い出しただけでも恐ろしい・・・)

 

その瞬間激痛がはしって気を失いました。

 

気付くと病院のベッドの上です。話を聞くと、足を3箇所刺されたそうです。

(ちなみに、一番大事なところは刺されていませんでした、、、良かった)

水着に着替え中で、バスタオルを身に着けているとはいえほぼ裸、つまり完全無防備の状態でスズメバチに遭遇すると、怖さ倍増です。

だって逃げられないでしょう。

服を着ていても怖いのに、、

 

それがトラウマとなって、未だにスズメバチ、いやスズメバチにかぎらず蜂全般苦手です。

上にも書きましたが、一般的に怖いと言われている生物って、逃げたらどうにかなるものが多いと思います。もちろん身近にいる生物に限ってですけど。

蛇とかは怖いと言われますが、蜂よりはなんとかなりそうじゃないですか。

蜂は飛んでいるので、捕まえるのも撃退するのもかなり難しい。

 

とにかく蜂は怖い。日本政府にどうにかしてほしいくらい蜂は恐ろしいです。

 

 

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子供のためになることは、誰が決める?

www.nikkei.com

 

こんなことが起こるなんて、とは思いません。

当然の現象だという印象です。

 

本文から引用します。

学校現場は「見破る方法がなく注意できない」「子供のためにならない」と戸惑う。

これに対して、思うことがあります。

 

子供のためにならない、とありますが、親が宿題よりも受験勉強の方に専念させたくて宿題代行業者に依頼しているのなら、それが子供のためになると親が判断しているわけですね。

つまり学校の宿題よりも受験勉強のほうが子供のためになる、と。

 

子供のためになるかどうかを判断するのは学校なのか、親なのか、ということです。

女性教諭は「宿題は本来、子供の学力向上や学習習慣をつけるためのもの。大人がやってしまえば成長のチャンスを奪うことになり、忍耐強さも身につかない」と憤る。

受験勉強の方が、学習習慣も忍耐強さも身につく気がするのは私だけでしょうか。

 

もう一つ、これは学校も親もそうですが、本当に子供のためになるかどうか、を考えているか、ということです。

それは、机の上で勉強するのが将来のためになる、という固定概念に成り下がっていないのでしょうか。

 

学校は、宿題をやるのが子供のため、親は、受験勉強が子供のため、と考えます。

でも、例えば読書感想文を書くのって本当に役に立つんですか?大人になって読書感想文を書ける能力がなくて困っている人に会ったことありますか?

 

ちなみにAmazonなどで売ってある書籍のレビューは感想文にあたりますが、あれは強制でもなんでもありません。

 

不思議なもので、勉強や宿題として読書感想文を書け、と言われたらなかなかやらないのに、Amazonのレビューは自らやる人がたくさんいるわけです。

 

正直言ってしまうと、読書感想文なんて強制されて書くものではありませんよ。

読書好きの自分としては、本離れは文化衰退につながると危惧していますが、本離れは読書感想文なんてものを強制されることにより本自体が嫌いになるから起こるんだ、なんて思っています。

 

まあこれは単なる自分のボヤキですが、実際に私は学生時代に読書感想文を書いて何かを学んだという実感は1mmもありません。昔から本好きであるにも関わらず、です。

 

読書感想文以外もそうです。学校や親が子供のため、と思っていることは、つまり優等生的な何かばかりです。

難しいゲームをクリアしても、それが子供のためと思う人はほとんどいません。

 

確かにゲームばかりしていたら将来困る、とは思います。

しかし、勉強ばかりしていてもやっぱり困ります。

 

教育は国家100年の計です。教育関係者は本当にしっかり考えて行ってほしいものです。

 

 

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離婚も選択肢ではあるものの、、、

自分の周りで、結構離婚の話を聞きます。

最近は離婚も以前ほどのタブーではなく、一つの立派な選択肢だという考え方があるので、増えるのは致し方ない、、、と思っていましたが、実は近年減少傾向にあるそうですね。

http://www.garbagenews.com/img17/gn-20170918-17.gif

 

緩やかながら減っています。少なくとも増えてはいません。

周りで離婚の話をよく聞くのは、単純に離婚率の高い世代に自分自身が突入して、その同世代から話を聞くからなのかもしれません。

 

離婚も一つの選択肢という考え方自体は否定しませんが、出来ることならば離婚しないほうが良い、というのも事実でしょう。

離婚の原因は様々ですが、どちらかの浮気か、価値観の不一致等が多いのだと思います。

正当化はできませんが、浮気も結局価値観の不一致が要因となっていることも多いようですが、そもそも価値観なんていくら気の合う2人でも完全に一致する訳ありません。

 

そりゃそうです。血がつながっている親子、兄弟という関係でも価値観は大きく異なることがしばしば。いくら恋人であっても結婚相手であっても、価値観はぴったりというのは存在しない、と思っていたほうが良いです。

開き直っているのではなく、事実を述べているだけです。

 

そんなときは、やはり歩み寄りしかありません。歩み寄りというのは聞こえが良いですが、つまり妥協です。双方が少しずつ折れる、というのが大切で、どちらかが折れてばっかりだと、何かにしわ寄せがきます。それは精神病だったり浮気だったり、ですね。

 

それから、敬愛するジャーナリスト、佐々木俊尚さんがインタビューでおっしゃってましたが、役割分担を決めない、というのも良い方法だと思います。

例えば掃除は男が、皿洗いは女が、と決めると、やってないのを見つけた時に腹が立つものですが、最初から取り決めがないと、手が空いているほうがする、気付いたほうがやる、というシンプルな行動に出やすい。

 

これはかなり偏見に満ちた意見ですが、同じ男として思うに、一人暮らしの経験がない男はヤバイです。

何故かわかりませんが、料理はいまだに女性の方が率先してやる傾向があります。つまり男性の一人暮らしでの自炊率は、女性のそれと比較して結構低い。

そうすると、インスタント食品や惣菜、外食が中心になって、いわゆる家庭料理から遠のきます。そんなとき彼女ができて、家で手料理を作ってくれた時なんかは、心から感謝できます。

 

これは、一度手料理から離れた生活をしたからこそ味わえる感謝であって、実家でほぼ自動的に料理が出てくる生活環境の人にはムリです。

中には、毎日当然のように出てくる料理に、毎日変わらず感謝できる人もいるかもしれませんが、それは稀です。人は慣れちゃう生き物ですもんね。

 

そう考えれば、彼女ができた後料理を作ってくれるのは当たり前になったら結局感謝が薄れるので、つまり役割分担は明確にせず、どちらもやるのが変化があって良いのでしょう。

 

 

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役立つかどうかよりも、面白いかどうか

headlines.yahoo.co.jp

 

これは本当に驚きのニュースです。

なぜこんなことになるのかさっぱりわかりません。

 

高校の授業が暗記中心になっているのは問題だとして、約半分にする精選案を発表した

 

私は学生時代、地理歴史公民といった社会の授業が大嫌いでした。

それはここで指摘されている通り、暗記ばかりだからです。そこに何の面白さもありませんでした。

 

実際の歴史上の役割や意味が大きくないなどとして削るとしています。

 

初等教育においては、何が将来役に立つかどうかなんて、学んでいる本人にはわかりません。そして実際に「役に立つ」と教わったにも関わらず、大人になって全く使っていないことも多々あります。

中学受験に出てくる問題は基本小学校で習うことのみですが、そのテストで満点をとれる社会人はどれだけいるのでしょうか。

 

かといって、役に立つかどうかわからないから、なんにも教えなくてよい、という意味ではありません。

生きていく上で、何かを学ぶというのは必須です。だから初等教育においては、役に立つかどうかではなく、何かを学ぶ、という行為自体を身につけることが最も大切です。

 

何かを学ぶ、という行為が面白くない、嫌なこと、という風に根付いてしまうのが最もよくない。しかしそういう風潮はあります。勉強=嫌なこと、ですね。

しかし、考えてみればゲームのルールだってスポーツに勝つ戦略を考えることだって学ぶことに他なりません。こういうことに関しては、率先して学ぶ子供は多い。

 

なぜ学校の勉強=嫌なことになってしまっているのか、それは面白さが足りないからです。

つまり、大人の理論で「役に立つ」ことの方が「面白さ」より優先されているわけです。

 

私が日本史や世界史が面白いと感じたのは、司馬遼太郎氏の竜馬がゆくを読んでからでした。 

竜馬がゆく (新装版) 文庫 全8巻 完結セット (文春文庫)

竜馬がゆく (新装版) 文庫 全8巻 完結セット (文春文庫)

 

こういった歴史小説は事実とは異なる、ということも知っています。

しかし、そういう人物がいて、歴史があって、ということは大枠で見れば正しい。

そして、小学校で習った歴の授業よりも、何倍も面白かったです。

 

坂本龍馬に関しては、福山雅治さんが主演した大河ドラマ龍馬伝」も、視聴率低迷のこの時代に大きな話題になりました。

いかに坂本龍馬が魅力あふれる人間なのか、ということを示しているとも言えます。

 

これだけ愛されている人物を、役に立つかどうかという基準で削ってしまうという発想がなんとも情けない、と感じます。

 

 

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芸術とエンターテイメント、ピアノとギター

今週のお題「芸術の秋」

 

わたしにとっての芸術は、やっぱり音楽ということになります。

幼少期からいやいやながらピアノを習わされて、今ではその音楽が人生の軸になっているから、人生不思議なものです。

 

私の幼少期あたりは、ピアノと言えばクラシックでした。

バイエルやブルグミューラー、ハノンといった教本を弾くわけで、ちっとも面白くない。

もちろん普段は流行りのJPOPを聞くのですが、ピアノとは完全に別物だと捉えていました。

 

そういった意味では、高校の頃のギターとの出会いはとても大きいものです。

ギターは、ピアノに比べて、楽器的にかなり「ちゃち」に見えたし、演奏上の制約も強かったのですが、それを凌ぐ「カッコよさ」がありました。

ピアノを習っている時に、弾き姿のカッコよさなんて考えたことありません。

姿勢の正しさは注意されましたが、それはカッコよさとは別です。

 

また、コードという概念も新鮮でした。

クラシックピアノにはコードという概念はなかったので、ギターのコードをピアノで弾いた時は、不思議な感覚でした。クラシックピアノにはない「何か」がそこにはありました。

 

上に、ピアノレッスンと普段聞くJPOPが別物だ、ということを書きましたが、ギターに出会った時に、それが「音楽」という大きなくくりの中の話なんだ、ということを感じた、と言えます。

 

物心付く前からピアノを習い、高校でギターに出会う。

今でも音楽を続けているのは、その両方があったからだと思います。

個人的な捉え方ですが、幼少期のピアノは芸術分野を、ギターからはエンターテイメント性を学んだと感じます。

 

この両方のバランスが、音楽のこの上ない魅力だと私は思います。

どれだけ素晴らしい音を奏でても、それを誰かに聞いてもらわないと音楽としては成り立ちません。

かといって、人が気に入る曲ばかりを目指すと、大衆迎合音楽が世に出回り、文化レベルは下がります。

だからどちらも大切です。

 

今回のお題は、芸術の秋。

普段は商業音楽に身を置いているので、芸術の秋くらいは、音楽の芸術性について思い巡らせてみるの良いかもしれません。

 

しかし、音楽においては、芸術とエンターテイメント性はごちゃまぜになることがあります。

つまり、芸術性を求めた結果がエンターテイメントに繋がったり、エンターテイメントを追求したらそれが芸術的だと評価されたり、ということです。

 

つまり、少なくとも音楽においては芸術性とエンターテイメント性は結構近いものなのかもしれません。

 

 

 

 

 

日曜、、ではないけど大工の一日

今日は一日中日曜大工でした。日曜ではありませんが。

 

まず自転車のカゴが古くて錆びているので、これを交換するために現在のかごを取り外しました。

 

そんなの日曜大工ではない、と思われそうですが、今取り付けてあるカゴは普通の鉄製で、長年使ったために錆びまくっています。

だからこそ交換するのですが、なんとネジのところも錆びていて、ネジがまわらないし、やっとまわったと思ったらナメてしまってネジ穴が潰れるという取り返しの付かないことになりました。

 

こうなったら切るしかないと思い、ホームセンターに行きワイヤーカッターを購入。

切りまくって、後はネジ部分だけになったので、ここを無理やり外そうと思うのですが、これがなかなかに外れない。

錆びているくせに!

 

ということで最終兵器、鉄を切る電動カッターを用意しました(近くに住む友人が持っていたので借りたのです。なんでこんなの持ってるんだ?)

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-70-a7/bori_auto/folder/669956/15/26708715/img_0

 

まあとりあえずやってみようと思い早速電源を入れて切り始めたら、破片は飛んで来るわ、火花は散って熱いわ、もう大変です。しかし後には引き下がれません。

 

なんとか切断に成功しました。あとから聞きましたが、もし身体のどこかに水分が付着していると感電して大変な事になるそうですね。前もって教えてほしいものです。

 

続いてスピーカーの修理。単純に音がでない。

スピーカーの構造って、意外と単純です。音がならない箇所さえわかれば、そこを処理すれば大抵治ります。

今回は接触不良箇所がすぐにわかったので、そこのハンダをやり直します。

こちらは特に何のトラブルもなく修理成功しました。

 

 

プラモデルやラジコンが好きなのは男性の方が多いようで、自分も例外に漏れません。その根源には、機械いじりが好き、ということがあるのだと思います。

今回の修理は、修理に出すよりずっと安くすんだのですが、かかった時間を考えたら微妙なところです。

しかし、単純に機械いじりは楽しいし、出来上がった時の達成感はやっぱり良いものです。

 

パソコンを使うことは殆ど毎日ですが、ハンダコテを持つことは年に数回しかなくなりました。電動カッターは初体験でした。

でもやっぱりこういうのって良いものだと思います。

もちろん得手不得手があるので、嫌いな人はやらなくて良いと思います。実際私は木工の方は全然で、嫌いではありませんがとにかく不得意です。

そういうのは時間や労力をかけるより、誰かにお金を払ってやってもらったり、捨てて新しいものを買った方が良いでしょう。

 

しかし、電動カッターは怖かった、、、、

 

 

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政治家の庶民離れ〜何か問題でも?

政治への関心が下がりすぎるのは民主主義の危機です。

これはどうしても避けたいところですね。

 

そんな中で政治家の感覚が庶民から離れている、という批判があります。
それは確かにそうなのかもしれませんが、それって何か問題があるんですか?

 

政治家でも特に批判が集中するのは首相クラスだと思いますが、そのクラスの忙しさは半端じゃないですよ。
命も狙われやすいので、一日中SPが付くし、分刻みのスケジュールだし。
そんなんでどうやって庶民と同じ感覚になれるんですかね?

仕事終わって飲み会行ってほろ酔いのままネットサーフィンを楽しむ、なんていうことはできなさそうです。

 

だから、庶民の感覚でないことを批判するんではなくて、選挙で落とせば良いだけです。


ちなみに、批判と選挙で選ばないことは全く違います。
考え方の違う人は、悪ではなく違いなだけです。

 

私としては、庶民の感覚と同じだろうが違おうが、政治をちゃんとやってくれればそれで良いと思っています。


そもそも、こういう時に使われる庶民という用語は実態がないように思います。

 

それは、普通のひとという言葉に似ています。
私の知人で、この人は普通だな、と思う人って正直いません。
でも普通ってたくさんいるから普通のはずです。矛盾していますね。

 

だから庶民の感覚に近いかどうかと言う前に、庶民の感覚という概念が成立していないので、私にとってはどうだって良いことなんです。

 

 

人にはいろんな能力があり、人によって何に長けているかが違うから面白い。
政治家は政治をすることに長けている人がなるわけです。
しかも、とんでもなく長けているから、プロなわけです。


庶民の感覚という概念が仮にあったとしても、そんな人が政治のプロになれるとは到底思えません。寧ろ逸脱している方が期待できます。


勿論逸脱の方向は大切ですが、かといって庶民感覚との近さで政治力を語るのはいかがなものなんでしょうかね。

 

私は音楽業界ですが、ステージに立つアーティストもその周りのスタッフも、結果を残している人はみんな普通とは言い難い何かを持っている人だらけですよ。

政治と音楽を同列には語れませんが、普通や庶民という概念って、たとえあったとしても、良いことかどうかはまた別の話です。

 

反権力が哲学になっているような人を見ることも多いのですが、それは哲学ではなく立ち位置でしかない、ということをジャーナリストの佐々木俊尚さんは言っています。

 

本当にそのとおりだと思います。

 

 

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