日々じゃーなる

日々の生活でおもったことをなんとなく、でも結構まじめに綴るブログです

wowow vs Netflix

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タイトルには代表的なやつを選びました。

別にwowowがBSになっても、Netflixがhuluになってもかまいません。

 

実は、知り合いにwowowをこよなく愛している人がいます。

現在70歳くらいで、高齢者ですね。

しかし、私の世代、私よりも若い世代では、明らかにNetflixはhulu契約者の方が多い。

 

私はどちらも契約していないので詳しくはわかりません。

しかし、大まかに言うと、wowowの方は、番組表に従って番組が放映されて、それを視聴者が見る、という形式(これをwowow型と呼ぶことにします)。

※見逃し視聴もあるみたいですが、メインの使い方ではないようです。

 

Netflixの方は、見たい時にみたい番組を調べて、ラインナップにあればストリーミングおよびダウンロードして見る、というもの(Neflix型と呼びましょう)。

 

ここだけ見ると、Netflix型の方が良いように思います。

だって、自分の好きな時に好きな番組を見られる方が良いと思うのは自然ではないですか?

料金だって、wowowは月額2300円、Netflixは1000円くらいで、後者が安い。

 

たしかに後者は、インターネット回線を利用するので、その料金は発生しているとも言えます。

あと、wowowと同じようにテレビでみたいのならば、AppleTVなり、Chromecastなりを別途購入する必要はあります(こちらは一度のみの支払いなので、月額には乗りません)。

 

とはいえ、やはり合理的に考えると、Netflix型のほうに軍配があがると思うのです。

 

ということで、なぜ私の知り合いはwowowの方を選んでいるのかを聞いてみました。

すると、こう言うのです。

 

番組表があって、見れる日、時間にあっているものの中からとなると、選択肢が少ない。だから選ぶのに苦労しない

 

なるほど。私は選択肢が多ければ多いほど良いと思っている人ばかりだと思っていました。色んな人がいるものです。

確かに、Netflix型の方は自分で探しにいかなくてはいけないので、受動型人間には不向きです。

映画は見たいけれども、山ほどある選択肢から労力を使ってでも選びたい、と思うほどではない、という人が一定数いて、そういう人はwowow型を選ぶのでしょう。

 

おそらくNetflix型の企業もその辺を考えて、おすすめ映画にアクセスしやすいようなインターフェイスになっていますね。

検索→選択ではなく、選択のみで終わらせたい人用の対策です。

 

でも私は選択肢が多いほうが好きです。

検索には労力がいるとはいえ、労力と呼べるほどのものでもないと思いますし。

まあそれは、普段からテクノロジーに触れている人とそうでない人で感じ方は違うのかもしれませんね。

 

 

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なぜそれをやらなくてはいけないか、を説明できますか?

電通 1400人の違法残業ゼロに | 2017/9/22(金) 19:28 - Yahoo!ニュース

 

この問題は、働く全ての人に関係ある問題なので、本当に真剣に向き合わなければいけないと思います。

 

この問題の特徴は、いわゆるブラック企業と違い、給与額では問題がなかったことでしょうか。

 

広告代理店で日本一の電通社員ともなれば、社会的地位もとても高い。

 

高い給与と地位。それでも人の心を追い込み自殺に向かわせます。給与や地位だけでは、人の幸福は得られないということが露呈しました。

 

この記事もそうですが、この問題は何かと「時間」が切り口になっています。

長時間労働、違法残業ですね。

 

それは当然ダメなことですが、私はそこよりも、社内の圧力を問題視しています。

 

本人がやりがいをもってのぞんでいる業務ならば、どれだけ残業しても心が病むことはないのではないでしょうか。

正直、フリーランスで仕事をしている人は、労働時間で言えば多分違法ですが、フリーランスなだけあって、業務内容はある程度コントロールできます(ある程度、ではありますが、、)

 

やりがいは、いくら同じ会社で働くものであっても、みんな同様に感じる訳ではありません。

「なんでこんな仕事を残業してまでやらなくてはいけないの?」

このストレスが蓄積され、最悪の結果になります。

 

一方会社は組織なので、個人がバラバラの方向を向いていては成り立ちません。

やりがいを同じものに感じてもらう必要があるのも事実でしょう。

 

これを部下に分からせるのが上司の役割です。

一番簡単な方法は恐怖政治です。

しのごの言わずにやれ、嫌なら辞めろ。

これは、上の立場を利用すれば誰でも出来ます。統率も取れるでしょう。

しかし、恐怖政治がどういった結末を迎えるかは、小さな組織でも、それこそ本当の政治でも、歴史が示してくれているでしょう。

 

責任ある立場の人間は、ここを本当によく考えなければいけません。

国が「時間」という切り口で法律を作っても、根本的な問題は解決しません。

やりがい云々は内容が抽象的なので、法整備は不可能です。

だから、法律はさておき会社ではこのことを真剣に考えて欲しい。

 

なぜこの業務が必要なのか。

嫌でもやり続ける意義は何なのか。

これを部下に説明するのには、伝え方の勉強を相当しないと困難です。

しかし、組織立って仕事をしている以上、その勉強も最重要業務の1つです。

 

なぜか。

それで人の命が救われる可能性があるからですよ。

気を遣うことと、フレンドリーなこと

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気遣いは大切ですが、それが行き過ぎるとどうなると思いますか。

 

私の身近な人間に、とてもとても気を遣う人がいます。

気を遣うといってもいくつかタイプがあると思いますが、この人の場合は、人に介入しすぎないように、ということに最も気を遣っています。

 

電話を深夜にするのは確かに失礼かもしれませんが、夕方でも「夕食の準備中じゃないかしら」、昼でも「今のんびりくつろいでいるときじゃないかしら」と考えます。

ではメールではどうかというと、メールはマナーモードでないと着信音がなるので、運転中だと危ないかも、とか何かに集中していて気が散るかも、と考えます。

 

要するに、なかなか連絡をとりません。

間違ってほしくないのですが、連絡をとりたいという気持ちに偽りはないのです。ただ気を遣った結果、そのタイミングを逃しています。

 

しかし、これは傍からみるとどう見えますか。

そういう背景をしらないと、あまり連絡をしてこない人、と括られて終わりです。

連絡をされる側の人間には、もしかして嫌われてるのかも、避けられてるのかもと勘ぐられる可能性が十分にあります。

 

そして、誰も望んでいないのにそこに溝ができてしまいます。

 

それは極端、と思うかもしれませんが、実際に私知人にはこれが起きました。

気を遣った結果、関係がぎくしゃくなったのでは、何のための気遣いかわかりませんね。

 

しかし、フレンドリーすぎるのも問題です。

敬語が複雑に発達している日本語ですが、敬語は敬意を表せる一方で距離も感じさせます。

同い年同士でずっと敬語なのは、あまり仲が良くないと言えます。

だからその反動で、敬語を使わないほうが距離が近づく、フレンドリーさをアピールできます。

この辺の塩梅は難しく、特に外国人にとっては見定めが困難です。

 

以前、初対面の外国人に「キサマは何歳?」と聞かれたことがありました。

意味は通じますが、おそらく大半の日本人は驚き、不快に思うでしょう。

しかし、当の本人はフレンドリーに接しようと思って選んだセンテンスです。悪気は全くありません。

 

気を遣うこともフレンドリーなことも、「程度」がもっとも重要ですね。

そして、親密度によって段々と選ぶ言葉や態度をかえていける柔軟性を持ち合わせていることが肝要です。

 

 

親しき仲にも礼儀あり、という有名な言葉も、それを示しています。

親しさと礼儀とのバランスが大事、ということですね。

 

 

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パソコンからモバイルへ

昨日に引き続き、動画編集作業に追われています。

編集自体は凝っているものではないので、作業は簡単ですが、とにかく動きが重い。

 

それは一重に私のコンピュータがもうそろそろ買い替えどきというくらいスペックがショボいからです。

 

コンピュータを複数持つ人も多いようですが、私はどちらかといえば1つで全てを済ませたい。効率を考えてのことです。

しかし、今のような、つまり動画編集作業などをしているときは正直困ります。

なぜなら、他のことが全然できないからです。

 

ということで、ブログは基本パソコンで書きますが、今日はスマホで書いています。

 

わたしが若い頃にパソコンが普及し始め、わたしもその波に乗ってスキルを高めてきました。

今の若い世代は、それにあたるのがスマホタブレットです。

だから、最近はパソコンをほとんど使わない人や持っていない人も多いようですね。

 

確かに、パソコンでしかできないことって本当に減りました。

何かを作成するのは(例えば今回の動画作成だったり、音楽制作だったり)いまだパソコンに軍配があがると感じますが、閲覧のみ(ネット、メールなど)は、もはやスマホタブレットの方が有用かもしれません。

 

普及率でも、パソコンよりもスマホを持っている人の方が多い。

こうなると、様々なことがスマホでできるようにという企業努力とその競争が始まります。

その成果が見えているのが今でしょう。

 

パソコンに慣れ親しんでいるので、作業はできるだけパソコン上で行いたいのですが、それはいささか後ろ向きな考え方ですよね。

好奇心を感じるかのように、スマホでやってみようかな、と思う方が前向きで明るい思考です。

 

ということもあって、今回はスマホでブログを書いていますが、慣れれば余裕になるのでしょう。

今は、やはりパソコンの方が、、なんて思ってしまいますが。

 

上にも書いたように、今後ますますモバイル市場は盛り上がるでしょう。

到底持ち運べないデスクトップパソコンは、持ち運べるラップトップに変わっていきました。

今はそれがさらにコンパクトになってスマホタブレットに。

その先にはやはりウェアラブルバイス、つまり持つことを必要としないものに変わっていくのは、とても自然な変化でしょう。

 

今のうちから、やっぱりパソコンでないと、なんて言っていると、本当に時代に取り残されそうです。

積極的に新しいものを試していかないと、ですね。

 

 

動画と戦う

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普段は音楽制作ソフトを使っていますが、今日は動画作成ソフトと戦っています。

使い方にまだなれていないので、わからないことがあったらググって、動画作成の為の動画を見る、といったことの繰り返しです。

 

私の知っている限りでは、動画作成はAdobeのPremierかAppleのFinal Cutが主流のようですが、私は動画のプロでもなんでもないので、iMovieで十分です。

 

それにしても、動画ソフトは多機能ですね。何でもできるといったら言いすぎかもしれませんが、できないことを探すほうが難しいかもしれないのは事実ですね。

 

使っていて感じるのは、意外とチュートリアル的な動画が少ないこと。もしかしてあるのかもしれませんが、あまりピンポイントのものを見つけることができません。

 

例えば、トランジションをすべてのクリップ感で一括適用はどうやってやるのかいまだにわかりません。

テーマを云々、といった方法は出てきますが、テーマに沿ったトランジションを使いたいのです。

 

で、それを調べるためにググりまくるのですが、そこで気付いたのは、バージョンでの差が大きいこと。

 

「選択した状態でここをクリックして」といった「ここ」がなかったりします。

画像つきの説明サイトでも、その画像と自分の使っている画面がかなり違ったりします。私のバージョンは10.1.1ですが、10のなかでも結構違ったりします。

 

あと、これは仕方のないことなんですが、とにかく容量を食います。

音楽制作ソフトの場合、読み込んだ音声データはソフトのプロジェクトフォルダ内の規定フォルダにコピーされますが、動画の場合はされないようです。

それは、データが重複して存在することによるデータ量の増大を少しでも抑えるためだと思いますが、それでも結構な容量になってしまいますね。

 

今回はありがちですが、人の結婚式で流すための動画作成です。仕事ではありませんが、とてもたいせつな場で流れる動画なので、手を抜くわけにはいきません。

 

ということで、少し短いですが作業を続けます。

本当に重いので、このブログ入力もカクカクしてるんですよね、、

 

 

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楽しさと難しさと心悩ましさと

難しいということと、楽しいと思うことは、共存すると思いますか。

 

人と話していて、私はおそらく難しさに結構惹かれるタイプだと気づきました。

例えば音楽の世界。

メジャーデビューするのは数だけ見てもとても難しい。だから、運や実力やたくさんの要素を味方に付けないと不可能です。

 

メジャーデビューするのに、例えばこういった壁にぶつかる、とか、こういう難しさがある、という話を聞くのが、この世界に入る前からとても楽しいと感じていました。

メジャーデビューすのには、こんなにもたくさんの労力と時間がかかるのだ、ということを知ること自体が楽しかったのです。

 

想像はしていたけれども、やっぱり大変なんだな、と。

 

しかし、難しさと楽しさが共存しない人もいるようです。

難しさとネガティブさががっちりひっついてて、離れない人ですね。

 

難しさを知ると、俺なんかには到底ムリ、という思考になることがありますが、実はここまでは私も同じように考えます。

しかし、結構晴れやかにそう考えるわけですね。

それが、そうならない人も多いそうです。

 

私にとっては、難しさは奥深さの象徴みたいなもので、心を刺激してくれるのは、いつも難しいことばかりです。

結果、それをやってみるかどうかは別問題ですが。

 

考えてみれば、私たちの身の回りは「難しさ」で埋め尽くされていませんか。

部屋の壁紙ひとつとったって、その壁紙を作る工程を覗けば、結構難しさを伺えるのだと思います。

100円ショップに売ってあるものですら、材料があれば手作りできるという人はそうそういないでしょう。それはやはり難しい。

 

身の回りの難しさを再認識するたびに楽しさを感じられる私は運が良かったのでしょう。

逆に、そこにネガティブなイメージしかない人は、大変そうです。

 

難しさは、自分にすぐにはできないこと、という表現です。

そこにポジティブに向き合った中で、その中のいくつかが「それでも挑んでみたい」ものにかわり、時間と労力をかけて、、、といったことになったのは、私自身にもあるし、よく聞く話です。

きっかけは、難しさへの向き合い方で、好奇心に近いものですね。

 

普段からこういったことを考えているわけではないのですが、今日は、私の行動原理には、難しさが深く関係していると感じるきっかけがあったので、自己分析してみました。

 

 

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音楽の戦いは音楽で

www.j-cast.com

 

音楽ネタなので、触れておきしょうね。

 

町中で喧嘩があって二人とも警察に連れて行かれた時、まず聞かれるのは、どちらが手を出したか、です。

明確な違法行為がなければ、先に暴力行為をはたらいた方が悪い、となりますね。

暴力は別の暴力を生むので、発端を作った人が最も罪が重い、ということなんでしょうか。

 

さて、なぜそんなことを書くのかというと、今回の騒動の口火を切ったのはどちらか、ということがとても大切だと思うからです。

暴力行為はありませんが、騒動の発端を探ることは必要です。

 

で、記事を読む限り、私が発端だとみなしているのは、Yogeeの方です。

「音楽は魔法だよ」は、大森さんの歌詞に反応してのMCと捉えるのが自然で、それはやってはいけないことです。

なぜなら、音楽は言いたいことを音楽にのせて伝えるものだからです。

 

Yogeeが「音楽は魔法だよ」という発言をMCでしたのは、それを信じて音楽をやっている自分の信念を、大森さんに歌詞の中で否定されたからでしょう。

その悔しい気持ちは理解出来ます。

 

しかし、それを音楽以外で、しかもみんなの前で言ってしまうことには問題があります。もし「音楽は魔法だよ」ということをどうしても信じたい、それを皆に伝えたいと思うのならば、それを音楽で表現するしかありません。

でなければ、音楽評論家になるべきです。

 

一方、そのMCに激怒して、SNS上で非難する大森さんも、実は同レベルです。

大森さんも、そこに怒りを覚えたら、それを音楽にのせてうったえるべきではないでしょうか。

音楽は魔法ではない、という歌詞を含む歌を、より力を込めて今後も歌い続けることが、もっとも共感を呼びます。

 

 

音楽の素晴らしさっていろいろあると思うのですが、その一つは器量の大きさです。

この騒動に出てくる、音楽は魔法なのか、魔法でないか。

それはどちらでも正解で、魔法であってもなくても、その前に音楽です。

だから、それが音楽である限り、他を否定するような音楽であっても、それ自体が音楽の器量に飲み込まれます。

 

逆に言えば、音楽から離れてしまえば、それはやってはいけないことになります。どんな音楽をやっても音楽においては自由、という大前提が、音楽でなかったら覆るからです。

 

ということで、今回の騒動は音楽以外の場所に拠点があるのがもっとも問題です。

そして、音楽以外の場所に先に持ち込んだのはYogeeの方ですね。

 

謝罪をしたようなので、これ以上の音楽以外での騒動は勘弁してもらいたい。

私たちが聞きたいのは罵詈雑言や他者否定の主張でなく、「音楽」そのものなのですから。

 

 

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