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日々じゃーなる

日々の生活でおもったことをなんとなく、でも結構まじめに綴るブログです

睡眠は大切

考え方 労働 健康

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健康ブームの為なのでしょうか。

睡眠関連の記事を多く見かける気がします。

 

食事と同じく睡眠も、昔は8時間が最適と言われ、3時間あれば十分という人があらわれ、いやいや10時間近くは必要という人まで出てくる始末。

 

結局健康に関しては、誰しもにあてはあまる法則というのを求めるよりも、自分自身の身体に向き合いながら微調整を続けるしかないようです。

さらに、年齢と健康も密接に関係があるので、自身にあった健康対策ですアップデートが必要なようです。

 

なぜこういうことを書くのかと言うと、、、

今日がとにかく眠たいから、です。

昨夜は予定が入って、結局寝たのが3:30、そして起きたのが7:00、つまり3時間半睡眠です。

そりゃ眠たくもなります。

 

しかし、若い頃は全然違いました。

私は特に睡眠が短くても良い体質、いわゆるショートスリーパーというやつで、実際に寝ることがあまり好きではありません。

なぜなら面白くないからです。

 

これを言うと結構笑われるのですが、結構真剣にそう思います。

寝ても何も学べない、何も感じられません。

ちなみに夢は生涯で数回しか見たことがありません。

 

睡眠は個人差があれど、健康維持のためには絶対に必要です。

昔海外のラジオパーソナリティーが、何日間連続で起きたまま生放送できるか、という企画をやって、4日目あたりに幻覚が見え始め、結果的に亡くなったという悲劇的なことがあったそうです。

睡眠と健康はセットです。

 

だからといって、健康を維持する以上の睡眠は、やはり面白くない。

気持ち良いという人もいますが、起きている方が気持ち良いと感じます。

 

話はそれましたが、そういった考えなのでできるだけ寝ないようにしていましたが、年齢とともに、健康を維持する睡眠時間があがってきたのでしょう。

もう3時間半睡眠では、体調を維持できません。

 

 

労働環境改善も叫ばれています。

労働と睡眠時間、これもまた密接に関係しています。

睡眠時間を削ってやり遂げた仕事というのがもてはやされる時代ではない、と早めに気づかないと、仕事をする身体が持ちません。

何事も、身体が資本です。

 

ということで、このブログも結構フラフラで書いていますが、支離滅裂になっていないことを祈りつつ(本当は見直せばよいのでしょうが、その気力も・・・)、このへんで。

 

 

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JASRACの問題

考え方 音楽 お金

headlines.yahoo.co.jp

 

最近なにかと話題にあがるJASRACです。

そして、なにかと批判の的になるJASRACです。

 

この記事では、映像制作会社が訴えられています。著作権のかかっている楽曲を使用しているにも関わらず、料金を支払っていないということですね。

 

すこし驚いたのは、コメント欄を見ると、これに対してもJASRACに対する批判的コメントがまあまあ多いということです。

 

JASRACに問題がない、とは言えません。

以前から言われているように、徴収は厳しくする割に配分は不透明、というところがあり、批判されるべきところです。

また、現実的には独占状態になっているので、大きな既得権益が業界を支配している、ということも問題でしょう。

 

しかし、この記事にある提訴内容は、正当です。

作曲者というのは、その曲の印税が報酬です。

印税がないと、作曲という仕事は成り立ちません。

作曲をするのは人間なので、そこに対価が得られないと生活が成り立たず、作曲活動を継続するのが困難になります。

JASRAC批判では「文化の衰退につながる」ということを軸に批判をされることが多くありますが、印税というシステムがなくなると、作曲活動を継続する人が激減し、それこそ文化の衰退が加速します。

 

法律家ではないので、法律のことを云々言っても仕方ありません。

だから、一般レベルの感覚で考えてみましょう。

 

結婚式を盛り上げるために、ある人が作った楽曲が使用されました。

結婚式は大いに盛り上がり、それが式場の売上アップに繋がりました。

こうなると、その売上げアップを手伝った楽曲の作曲者に、その一部を払うのは、至極当然ではないでしょうか。

その楽曲がなくても盛り上げられる、というのならば、そもそも著作権のかかっていない曲を使えばよかっただけのことです。

もちろん、知らなかったでは済みません。

 

ある楽曲を使用したら、お金が発生するのは当たり前です。

それは、飲食店で何かを飲み食いしてお金を払うのと同じくらい当たり前です。

実際に、式場では働いているスタッフ、ウェディングプランナー、厨房スタッフ、式場管理者すべてにお金が支払われているはずです。

なぜ楽曲を提供した人にお金を払うのが当たり前ではなくなるのでしょうか。

 

とはいえ、沖縄である人が作った曲を、北海道の人が使った時に、それによって発生した収益の一部を請求するのは、現実的に不可能ですよね。

だから、それを組織だって管理しているのがJASRACです。

登録は個人でも(かなり面倒ですが)できます。

お金なんかよりも、一人でも多くの人に聞いてもらいたい、という意志があるのならば、著作権登録をしなければ良いだけです。

楽曲を作って著作権登録をしないといけない、というルールはありません。

 

著作権登録をしている曲を勝手に使われると、印税が発生しないということになり、これで最終的に困るのは作曲者です。

しかし、冒頭の記事のような問題が発生した時に、作曲者が直接不満を言うことはありません。それを代行している、つまり管理しているのはJASRACだからです。

実際に楽曲を勝手に使われている作曲者は、良い気持ちがするはずもありません。

 

 

JASRACの問題は、配分の仕方や既得権益の問題と著作権料徴収の問題がごちゃまぜにされがちです。

繰り返しますが、後者、つまり正当な著作権料を徴収することは問題ありません。

それが、音楽文化を支えているとも言える、ということを忘れてはいけません。

 

 

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今日は3.11です

考え方 日記

今日はやっぱりこれでしょう。

未曾有の大震災から6年が経ちました。

 

私は震源地から遠く離れた場所に住んでいるので、直接の影響はありませんでした。

「なんか地震あったみたいね」と軽く友人が発した言葉が最初に震災を知った瞬間です。

 

地震のニュースは普段からよく聞くので、正直「またか」くらいにしか思っていませんでした。

そして、なんとなくネットの中継を見た時に、あの津波の映像を見たのです。

 

これは本当にそうなんですが、それが中継の映像とは思わなかったんです。

地震津波は、今でこそすぐに結びつく言葉ですが、当時は少なくとも私はすぐに結び付けられませんでした。

アナウンサーの声も、少しは緊迫したものでしが、それでも画面に映る信じられない映像とはギャップがありました。日常とのギャップは、よりありました。

 

地震は天災で防ぎようがありません。

一方、原発はどうでしょうか。

原発推進派、否定派の議論は平行線です。あえて私の意見は述べませんが、口論ではなく建設的な議論を求めます。

 

 

震災当時、確認されている死傷者は◯名です、といった報道が次々されて、その数がどんどん増えていきました。

しかし、こういう震災では◯名の死傷者が出た大きな災害が一件あった、と見るべきではなく、死者が出た事件が同時に◯件発生した、と見るべきだと思います。

亡くなった人数で捉えてしまうと、関東大震災よりは少ないな、となってしまいます。

 

 

6年前に震災が起きてから、人によっては「もう6年」、人によっては「まだ6年」でしょう。

ただ、私の様に被災地から遠く離れた人の意識は、やはり薄れていきます。

忘れてはいけないと思いつつ、普段の生活の方に時間や労力を奪われてしまいます。

 

ただ、それではいけません。

記念日や◯周年パーティーの類にはほとんど興味がありませんが(自分の誕生日すら忘れてしまうくらいです)、忘れてはならないことの為にその日を特別な日にすることならば、それには大きな大きな意義があると感じます。

 

復興はどれだけ進んでいるのでしょうか。

政府のやっていることは、どれだけ被災者の為になっているのでしょうか。

これらを語ると、必ずといってよいほど「批判」ばかりが出てきます。

批判は悪いことではありません。でも批判ばかり、はいかがなものかと思います。

 

悪いことは悪いと叫びつつ、政府がやってくれていることにも認めるところを見出さないと、前に進む社会にはなりません。

 

被災地から遠く離れたこの地、6年たったこの日に、私自身にはいったい何ができるかを真剣に考えながら一日を過ごします。

 

 

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リズム感と”足”

考え方 音楽 テクノロジー

音楽の三要素は、リズム、メロディー、ハーモニーです。

ハーモニーはコードと言っても差し支えないでしょう。

 

しかし、世の中にはメロディーやハーモニーがない音楽というのは存在します。

アフリカ民族の音楽等は、打楽器のみで構成されます。

 

かといって、リズムがない音楽というのはほとんど見当たりません。

誤解されないように、リズム楽器がなっていない(聞こえない)音楽という意味や、テンポが一定でない音楽がないという意味ではありません。

アコースティック音楽にはリズム楽器が入っていないものがたくさんありますし、アッチェレランド、リタルダントといった速度変化はPOPSでも頻出します。

リズムという概念がない音楽、というのがほとんどない、という意味です。

 

例えば、机をたたいて音を出すと、それは音、もしくは騒音、雑音でしかありません。

しかし、それにアクセントをつけ、テンポ感を付加すると、突然音楽に変わりします。

打楽器は基本この延長にあります。

つまり、アクセントやテンポ感に意識がないものは、いくらそれが高価なドラムセットで出した音であっても、音楽にはなりえないんですね。

 

リズムは音楽の三要素のなかでも重要度がアタマ一つ出ています。

とにかく大切。

しかも、リズムはメロディーやハーモニーの良さに比べて少し「見えにくい」ので、それを鍛えるのも一苦労です。

端的に言えば、リズムトレーニングは地味です。

 

さて、リズムをとるのに、フットスタンプというものがあります。

これは、どんな楽器を演奏しているときも、足で4分および8分を刻んでリズムを安定させるというもので、教則本音楽学校で習った人も多いのではないでしょうか。

 

しかし、本当にフットスタンプはリズムトレーニングとして有効なのでしょうか。

 

結論から言えば、ある程度までは必要なものの、上級になるとあまり意味がありません

 

いやいや、フットスタンプは誰もが知る一流のプレイヤーだってやっているよ、という反論を受けそうです。


ERIC Clapton-Unplugged-DVD-Rip,,Divx 502,Proby..Kirtoukon...

 

クラプトンの中で最も売れたアルバム、アンプラグドのライブ、これなんか見ると、めちゃくちゃ大きくフットスタンプをしていますね。

 

しかし、クラプトンはこのフットスタンプがないとリズムがキープできないのでしょうか。

クラプトンに会ったことは残念ながらありませんが、おそらくフットスタンプがなくても余裕でリズムキープできます。

クラプトンは、フットスタンプをしないといけないからしているのではなくて、してもしなくても良いという中で、見た目を考えていると思われます。

じーっとした演奏は、見た目にはあまりおもしろくないですよね。

 

なぜフットスタンプがなくても演奏できる、と言い切れるのか。

一つは、レコーディングです。

打ち込みやノイズ処理といった技術が高くなった現代とはいえ、今でも生の録音は、音楽現場の主流で、フットスタンプの音量は小さいものの、高感度のマイクならば確実にその音を拾ってしまいます。

こうなると、あとの処理が面倒ですね。

一流のプレイヤーは、レコーディング経験も豊富なので、フットスタンプがなくてもリズムキープできるようになっています。

(レコーディング時は、もちろんクリックは使用します)

 

しかし、もっと大切な理由があります。それは集中力です。

フットスタンプをし続けるというのは、僅かであっても、それをするという行為に集中力を取られています。

しかし、針の穴を通すようなタイミングで演奏するときに必要なのは、何はともあれ集中力です。

足なんか揺らしていると、心も揺れてしまいます。

 

 

リズムに悩んでいる人がいたら、

初級:メトロノームをつかって

中級:フットスタンプ

上級:なにもない状態

で練習しましょう。

 

少なくとも、フットスタンプ至上主義は捨てたほうが良いと思います。

そもそも、足で刻んでいるそのリズムが正しいという保証は全くない、ということに早々に気づかなくていけません。

 

上記したように、フットスタンプをしながら演奏すれば、リズムが良くなる、ではなくて、なくても演奏できるようになっておく必要があるのです。

 

この動画では、残念ながらもう亡くなりましたが、日本の誇る名プロデューサの佐久間さんがそれを言っていますね。

セミナー名は奏法ですが、それ以外に役立つことをたくさん言っています。

参考にしてみてください。

youtu.be

 

 

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ノミニケーションについて思うこと

考え方 労働

diamond.jp

 

皮肉なことに、ノミニケーションという言葉は、それが最も行われていた時代ではなく、批判され始めてからよく聞くようになりました。

この記事も、そもそもタイトルからしてノミニケーション否定記事です。

内容を読むと、メリットよりもデメリットのほうが多い、つまりメリットが皆無と言っているわけではありません。

ただ、比較するとデメリットの方が多いということで、私もほぼほぼ同意します。

 

一方、ノミニケーションがいくら減少の一途を辿っても、完全になくなることはないでしょう。

メリットがあるものは、そう簡単には淘汰されないものです。

 

私は数年前にアルコールを断ち、同じくらいの時期にフリーランスになったということも手伝って、ノミニケーションがほとんどありません。

しかし、以前は相当な酒好きで、飲まない日がない、というくらいでした。

 

過去の私の場合、酒を飲む理由は2つで、一つは単純に酒が好きだということ、もう一つは酒を酌み交わす場や雰囲気が好きだということです。

 

このうち後者がいわゆるノミニケーションですが、これは酒を飲まなくなった今でも好きなので、飲み会に誘われたら喜んで参加します。

ノンアルコールの人を誘うのは気を使うようで、あんまり誘われないのは残念ですが。

 

酒のおかげで本音を話せるという部分は、アルコールの効果として当然でしょう。

特に縦社会が厳しい日本企業では、本当は普段から本音を上司にぶつけるのが理想だと言いつつ、実際には難しい。

そこでアルコールの力を借りるのも、手段と言えば手段です。

実際にノミニケーションで本音をぶつけ、事態が改善されたこともあります。

 

しかし、ノミニケーションの一番の問題は、上記した縦社会を背景に、飲み会参加を強要すること、されることではないでしょうか。

 

ノミニケーションの良い部分は、あくまで個人的なもので人に強要するものではありませんし、誰と飲みに行くかにもよります。

 

その辺をわきまえず、飲み会で本音をぶつけないと、仕事も円滑にすすめられない、なんてことを一般論化して言い始める輩がいるから、困ったことになります。

 

ドラマの世界だけでなく現実にも、仕事後に人生を多少長めに生きている上司、先輩に飲みの席で相談したいことがある、ということが結構あります。

実際私は、本当に人生に困ったときには、あの先輩と飲みに行きたいな、という人が何人かいます。

そういう人は、逆に飲み会に来いという強要は一切してきません。

 

ノミニケーション自体が良い、悪いではなく、強要が癌ですね。

上司が部下に対して、ノミニケーションの大切さを教えたいのならば、部下に強要する前に、部下から飲みに誘われるくらいの人間力をつけるべきでしょう。

 

強要さえなくなれば、ノミニケーションは決して悪いものでもないですよ。

 

 

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声をかけることもできない社会ははたして健全?

考え方 教育

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他の地域のことはよく知りませんが、私の住んでいる地域では、登録した地域で起こった事件を知らせるメルマガというのがあります。

 

無料だし娘もいるのでとりあえず登録しました。

 

メルマガは事件が起きて半日以内には配信されます。

受信頻度はほとんど毎日で、一日に2通ということもあるくらいですね。

そして、その中で最も多いのが

女性に対し、下半身を見せるという事案が発生しました

というものです。

いやはや、そんなに下半身を見せたいという男性がいるのかと驚きます。

もちろん同一人物の可能性もありますが。

 

さて、先日受信したのはこれでした。

 

◯月△日午後4時ころ、◯◯区において、不審な男性が小学生女児に対して「君たち何年生?」等と声をかける事案が発生しました。不審者は、年齢30〜40歳位、身長170センチ位、中肉、頭髪は黒色、短髪で、白色シャツ、黒色長ズボン、黒色靴を着用していました。

 

これを読んだ時は、ちょっと驚きでした。

小学生に何年生かを聞くだけで、通報されるものなのかと恐ろしくなります。

 

短いメールだけでは全体がつかめません。

色々な可能性があると思いますが、例えば普通に挨拶をするだけなら、通報されるわけがありません。

後半に書いてある不審者の服装などは特に怪しいものとは思えません。

 

ではなぜ通報されたのでしょうか。

 

  • 声をかけたのが中年位の「男性」
  • 声をかけられたのが小学生の「女の子」

 

これらが大きな要因になっていると推測します。

繰り返しますが、メールに書いてある以上の要素があるのかもしれません。

声のかけ方が露骨に怪しかったり、しつこく何度も声をかけられて追い回されたりといったことも考えられます。

 

しかし、それらは推測でしかないので、文章にある内容だけから要因を探ると上記2つになりそうです。

 

しかし、これは結構な問題ではないでしょうか。

知らない人に勝手についていってはいけない、という躾は間違っていないと思いますが、女の子が知らない男の人から「何年生?」と声をかけられただけで通報するべきなのでしょうか。

そんなこと言い出したら、あきらかに中年男性である私も、元気に愛想よく小学生の女の子に声をかけることをためらってしまいます。

若い女性が男の子に「何年生?」と声をかけることは、同じように通報されるべきことなのでしょうか。

ちなみに、小学生が直接警察に通報したとは考えにくいので、おそらくその報告を受けた保護者が通報したのだと思います。

報告をさせるところまでは良いと思いますが、それを保護者が通報するという判断に疑問を感じてしまうのです。

 

私が住んでいる地域は、どちらかというと都会です。

そして、都会になればなるほど防犯対策も防犯意識も高める必要があるので、ある程度は致し方ありません。

風情があっても、都会で無人販売の八百屋は成り立ちませんよね。

 

しかし、何年生?と声をかけることですらできない社会というのは果たして健全なのでしょうか。

スマホ普及でコミュニケーションが少なくなった、ということはよく言われますが、直接コミュニケーションをとろうと思っても、これでは成立するわけがありません。

加えて、そこに中年男性、小学生女児という要素が加わっただけで犯罪を想像するのは、行き過ぎた防犯意識だと感じます。

 

 

今日は国際女性デーらしいですね。

日本の男女格差指数は、先進国の中でもかなり低い。これは少しでも早く改善されるべきでしょう。

しかし、こういった女性擁護は、逆に対策を遅らせるのではないでしょうか。

 

 

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文武両道の視点

考え方 教育

gendai.ismedia.jp

 

自慢したいわけではないのですが、私は小学校の頃成績が良い方でした。

私の経験では、この記事に書いてあるような、色眼鏡で見られていると感じたり、肩身の狭い思いをしたことはありません。

でも、全国レベルの超難関校に合格するくらいになると、話が別なのかもしれませんね。

 

勉強も運動も、出来ないより出来たほうが良いでしょう。

「運動だって勉強の一部だ」といった意見もあるので、この分け方自体にも疑問が残りますが、都合上このように分けた前提で考えます。

 

 

私は昔からあまり漫画を読みませんでしたが、そんな私でも「巨人の星」というタイトルと、なんとなくの内容は知っています。

ファンには「一言でまとめるな」と怒られそうですが、つまるところの「スポ根」ですね。

漫画なので極端なストーリーになっているようです。現代ならば批判されそうなくらいスパルタの父親のもと、野球に全てをかける主人公、星飛雄馬の物語です。

 

題材は野球なので、上記で言う運動です。

そして、ストーリーに対して好き嫌いはあっても、批判は少なかった様に思います。

一生懸命がんばって、壁を乗り越えていく飛雄馬に感動した人は多いでしょう。

 

巨人の星は、まさしくスポ根漫画の代表作ですが、スポ根漫画は大まかにこういったテイストで描かれているようです。

そして、スポ根というくらいなので、それらの題材はスポーツ、つまり運動です。

 

一方、それに値する勉強の漫画があるのかと言えば、あまり聞いたことがありません。

あるのかもしれませんが、上記したように漫画をあまり読まない自分にすら伝わってくるくらい一世を風靡した、スポ根に対する漫画(勉根とでも言うのでしょうか)はありません。

 

この辺が、勉強と運動に対する社会の捉え方を表しているように感じます。

 

他にも、例えば少し前に有名になった、息子3人を全員東京大学理三に合格させた母親、佐藤 亮子さんの教育方法に関して、賛否両論がありました。

 

佐藤亮子 - Wikipedia

 

いわゆる英才教育です。

一方、オリンピックで金メダルをとるような素晴らしいアスリートの幼少期は、やはり運動バージョンの英才教育ですが、こちらに対しては好意的な意見や、美談として語られることが多い印象です。

 

私の意見としては、すくなくとも勉強と運動に上下はない。

「勉強ばかりせず、外で遊んできなさい」

この意見は正しいと思いつつ、

「遊んでばかりいずに、勉強もしなさい」

この意見も正しいのです。

(遊び=運動ではありませんが、ここは都合上・・)

 

自分自身が、勉強と運動のどちらが得意だとか好きだとかいうことは、単なる違いであって、どちらが正しい、間違っているの問題ではありません。

 

もし勉強が得意な人に対する偏見があり、それが運動のそれと比較して大きいとすれば、それは是正されるべきです。

 

幼少期にあまりにも片方に偏るのは、可能性を潰す可能性があるので、どちらも程よく、が最も良いのではないでしょうか。

 

しかし、東大に入学させたり、オリンピックでメダルをとったりするような超優秀な人材育成の為には、極端な偏りが必要なのかもしれません。

その辺は、海外がどうなっているのか等も含めて、状況を調べてみる必要がありそうですね。

 

 

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