日々じゃーなる

日々の生活でおもったことをなんとなく、でも結構まじめに綴るブログです

お金がない方がよい、わけがない

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50歳、女性、無職と聞いただけで、本人に会ったこともないのに、生活が大変そうという想像をしてしまいます。

しかし、この女性はそれを寧ろ楽しんでいる印象を受けます。

人が何から幸せを感じるかは様々で、その中にお金があること、家族と笑って過ごせること、音楽を聞くことなどのバリエーションがあるだけですね。

 

しかし、こういった記事は若干お金に対する価値観が偏っている印象を受けます。

お金が「少なくても」幸せを感じられることは良いことですが、それを強調しすぎると、お金が「なくても」幸せという勘違いが起こりがちです。

その辺は記事に出てくる2人は重々に理解した上での対談でしょうが、それにしたって注意が必要だと思います。

 

お金がなくても幸せ。それを心底言える人は、多分お金の基本的なことをあんまり理解していない。

ページ2に、経済学者が人とお金の関係を、魚と水の関係に例えて、要するに人もお金のことをよく知らない、とありますが、まさしくその通りです。

この例えに沿って言えば、知らないとはいえ水がなくなったら魚が絶滅するのは確実です。

 

「お金がなくたって、自給自足でもなんでもして生活していくのも、それはそれで幸せな人生だ」という人もいますし、ごく一部ですがそれを実行している人もいるのかもしれません。

しかし、自給自足で食料を自分でつくり、衣服も植物から作って、住むところも自分で作って、となると殆どお金がかからない生活をできる、というのは実は間違っています。

なぜなら、目の前にある空気を吸って吐いて生きることにすらお金が関係しているからです。

 

税金が庶民にとって目の敵のように思われるのは、その性質上仕方ないこともありますが、だからといって税収がなくなると、今なにかと話題の安全も安心も得られません。

悪意を持った人があなたを襲ってきた時に、誰に助けを求めますか?友人や恋人も呼ぶかもしれませんが、警察も呼ぶでしょう。警察の資金源は税金です。

悪意ではなく、震災のような人の力ではどうしようもないことも起こり、人の平穏を脅かすことがあります。

鍛え上げられた救助隊員、それらの人々を救助活動のため被災地まで運ぶ交通手段、被災者を搬送する手段、病院での手当、これらのほとんどは税金で賄われています(医療費は、7割が税金から投入されますよね)。

 

さて、税金はどうやって徴収されますか?それはお金を使った時、稼いだ時の一部を国に納めるという仕組みです。

つまり、お金をたくさん稼ぎ、たくさん使う人(=お金持ち)が、税金も一番納めています。

プロセスも重要ですがあえて最初と最後を切り取れば、お金持ちが払う税金が、「お金がなくても幸せ」と言っている人たちの安全、安心を支えている、とも言えます。

つまり、奢ってあげているのに近い。

こうみると、お金を稼ぐことに必死になっている人に対して、お金がない人が「お金だけが幸せではないよ」と言うのは、全く筋が通っていませんよね。

 

 

お金だけが幸せでない、というのはその通りです。

しかしその反動で、お金を稼ぐ人や使う人に対する印象が悪くなるのは避けたい。

お金も色々と弊害があるけれども、大雑把に言えば「無いよりあったほうが良い」ということもしっかりと伝えなくてはいけないと思います。

 

 

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PTA〜権限と給料と責任

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記事を読むまで知りませんでしたが、PTAはGHQの司令で設置されたものなんですね。

そこそこ歴史はあるということです。

 

PTAに対するイメージは、やはりよくないです。

これは、PTA関係者がドラマや映画などで憎まれ役、悪役となることが多いからかもしれません。

しかし、イメージばかりでもないでしょう。

 

私の娘は現在幼稚園に通っていますが、そこには保護者会というものがあります。

目的や役割はPTAと近いものです。

そこにも色々と問題があり、冒頭の記事を読むと重なる部分が多くあります。

 

細かい問題点はさておき、マクロな視点で見た時に浮かび上がるのは、ガバナンスの問題ではないでしょうか。

教師と保護者の間で形作られる組織に関して、誰に権限と責任があるのかがはっきりしない印象があります。

権限は、キャラクター的に強い人やお金持ちなどの社会的地位が高い人になりがちで、しかしながらそれは「なんとなく」の権限でしかないので、表立って責任追求はできません。

こんなガバナンスで組織が健全さを保てるのならば、学校、会社、その他多くの組織が抱える人間関係の問題はすぐに解決するでしょう。

 

いや、中には正義感を持って役を担う人もいます。

しかし、上記したように権限と責任はセットです。そして社会では大抵、そこにお金が絡んできます。

会社のガバナンスならば、上の立場の人間に権限と高い給料を与える変わり、責任もとらせます。

「権限」「給料」「責任」はどれも不可欠で、どれが抜けてもうまくいきません。

ためしに一つ抜いてみます。例えば権限を抜くとどうなりますか。

給料が高いけど会社の地位は同じ。で何か起こったときの責任はとらされる。

責任を追求された人は、俺には権限がない、と訴えるだろうし、周りの人は、高い給料もらっているだろう、と反論します。当たり前に起こるいざこざです。

 

PTAに話を戻すと、PTAは誰に権限があるのかはよくわかりません。たとえあったとしても、その人に正当な対価(つまり給料に値するもの)が与えられることはほとんどありません。そして、責任もやはりなんとなくです。

こんな状態では、なんとなくキャラクターが強い人や、お金持ちの人に、なんとなくの権限があるように見えるのは当然ですね。繰り返しますが、責任はとりません。

 

 

内田良さんの著書やレポートが有名ですが、教育現場ではしばしば、法律的にもありえないことがまかり通ってしまいます。

 

教育という病 子どもと先生を苦しめる「教育リスク」 (光文社新書)

教育という病 子どもと先生を苦しめる「教育リスク」 (光文社新書)

 

 

いじめや体罰は間違いなく暴行事件ですが、そう呼ばれることはほとんどありませんし、人間ピラミッドは高所作業員が遵守しなくてはならない決まりに明らかに反しています。

必然的に閉鎖的な空間になるので、その発見も遅くなりがちです。

その為、学校外に別組織を置き監視するという発想は大切で、PTAもその機能を果たせばとても重要な目的・役割を持つ組織となります。

しかし、役割以前にガバナンスの大前提ができていないと、機能するはずもありません。うまれるのは、不満やいざこざばかりになるでしょう。

 

GHQの司令によって作られたPTA、もうそろそろ現場の意見を取り入れた組織形態に国主導で作り変えていく時期なのではないでしょうか。

 

 

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言葉遣いが本音に歯止めをかける

スタンフォード大学監獄実験をご存知でしょうか。

 

スタンフォード監獄実験 - Wikipedia

 

詳しくはウィキペディアに譲りますが、簡単に説明します。

1971年にアメリカの名門スタフォード大学で行われた心理実験です。

なんとなく選ばれた21人を、監獄の看守役11人と囚人役10人に割り振り、どんな心理作用や変化があるのかの調査を試みた実験。

結果的には、「役」を大きく超えて、本当に看守役が暴力を振るうようになるし、囚人役は服従するようになります。

継続は危険ということで、2週間の予定が6日で中止となりました。

 

この実験を元にした「es」という映画もあるので、興味がある方はぜひ御覧ください。

 

さて、役を与えられると、たったの6日で支配層と被支配層に分かれてしまうくらい、人の心は脆いものです。

この実験では、服装から態度まで徹底してリアリティーを求めたそうです。それが実験途中中止という結果をうんだのは間違いないようですね。

 

しかし、これくらい徹底している状況はあまりないものの、ある程度までの環境は日常に溢れています。

特に組織には多く見られますね。

 

例えば服装。制服があるような職場の場合、その役職によって服装を変えていることは多々あります。

それはアルバイト間ですらあって、バイトリーダーとその他のアルバイトの服装が違う、といった具合です(経験あり)。

服装に関しては、地下鉄サリン事件を起こしたオウム真理教もそうでしたね。

幹部と呼ばれる人たちはピンクや緑、そうでない人たちは白だったと記憶しています。

 

さらに、言葉遣いに関しては、ありとあらゆる組織で敬語が使われています。

日本においては、掛け算の九九の重要性と同じくらい敬語も重要と言っても過言ではないでしょう。

 

敬語を使われる方、使う方にという分かれ方をした場合、それが要因で、双方に心理作用があるのは間違いありません。

 

それは、組織の統一という意味では良いことでしょうが、本音を言わせるという意味では壁になります。

上の立場の人間は、言いたいことは何でも言いなさい、と口先では言いますが、その命令口調で言われて、はいそうですか、では言わせてもらいますね、となる場合は殆どありません。

仮に言えたとしても、いつも敬語を使われている方が、それを胸中穏やかに聞くことは難しいでしょう。こちらも心理作用です。簡単に言えば、生意気言いやがって、となっちゃいます。

 

 

グローバルな時代に対応するべく、社内の会話が全部英語、という会社もありますが、社内の会話をすべてタメ口、つまり敬語禁止という職場は聞いたことがないので、その心理作用はとても興味深い。

これを言うと、取引先など外部に対して敬語を使えなくなる、と懸念する声をよく聞きますが、そんなことはまずありえない、と断言できます。

なぜなら普段から日本人は、敬語を細かいレベルで使い分けることに十分に慣れているからです。

 

年上でも家族や恋人ならタメ口でしょうし、年下でも接客ならば敬語になります。

また、仲の良い先輩に使う敬語と接客で使う敬語もだいぶ違います。先輩が家に遊びに来て、いらっしゃいませと言う人はあんまりいないと思います。よそよそしいったらないですよね。

それらの使い分けは誰かに習ったものではないでしょう。

 

せめて社内だけでも敬語禁止の会社があったら、ぜひ観察してみたいものです。

 

 

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自己流アンガーマネージメント

喜怒哀楽は人感情として当然あるものですが、そのうち「怒」はトラブルの種になりやすいですよね。

感情的になって怒り、後で後悔した、という経験は少なからずの人が持っているはずです。

人によっては、それを繰り返しやってしまう、という人もいるかもしれません。

 

感情的になっている時にうまく自己コントロールすることは相当に難しいと思います。

というより、自己コントロールするのが難しいくらい怒っている状態を、感情的になっている、と呼ぶのかもしれません。

それは喜怒哀楽、どれにもあてはまることではありますが。

 

冷静な時のようにうまく自己コントロールできないのならば、コントロールする内容を簡素化するのが最もてっとり早い。

そして、感情的になったときの自分のコントロール内容を、冷静な時にあらかじめ考えておくのが良いと思うのです。

感情的になっているとはいえ、少しくらいは自己コントロールできるでしょう。

少しもコントロール出来ない人の場合、犯罪にまで発展してしまいますが、それはもう病院に行って診てもらうレベルでしょう。

 

少し調べると、怒りのピークは約6秒だそうです。

つまり、6秒間だけ言動、行動を留められれば、冷静な判断ができる可能性が高いということです。

コントロール内容に必要な「簡素」という要素は満たしていそうですね。待つだけです。

実際に感情的になったときには、この待つという行為ですら結構難しいものですが。

 

しかし、6秒待った後、また怒りのピークがやってくることもあります。

それは相手との口論の時によく起こります。

何かを言われて感情的になってしまう、ということはよく起こることです。

すると、こちらも感情的な言葉を相手に対して発してしまう。その言葉が相手の火に油を注ぐことになる、という悪循環をうみます。

この場合、6秒待ったところで、結局同じ結果になってしまいますよね。

 

そういう時、私はその場をすぐに去り、文章を書くことにしています。

書いた内容をメールで送ることもあれば、また口で言うこともありますが、ひとまず文章を書くのです。

 

文章は書いている時点では一方的です。つまり反論を受けません。後に反論を受けるにしても、口論のスピード感よりもずっと遅いタイミングです。

それに、文章を書くのは大抵の場合モノを言うより遅い。

 

つまり、文章を書くという行為は、主張して反論を受けてというスピードに置いても、主張をするという行為自体をみても、なにかと遅いわけですね。

実際に私は、文章を書いているうちに自分自身の落ち度に気付いたこともありますし、理不尽な内容にも気付いたことがあります。

主張をする方にしても、より論理的に、冷静に書くことが可能です。

 

もしかして、書くという行為は言うという行為と比べるとあと(記録)に残りやすいので、冷静にならなくては、という意識も働くのかもしれません。

 

怒りをコントロールするためには6秒待つ、と上に書きましたが、それに限らず怒りを鎮めるのには、とにかく時間を味方につけることが肝要だと思います。

 

人の最大の長所は、忘れられることだ、と誰かが言っていましが、それもつまり、時間が解決してくれることが多くあるということは暗に示している気がします。

 

ぜひ試してみてください。

 

 

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管理する(しない)こと、される(されない)こと

headlines.yahoo.co.jp

 

今朝のニュースです。

こういう記事をみると、本当に時代は変わりつつあるなぁ、としみじみ思います。

というのも、私が社会に出た頃あたりまでは、社会的地位の高低と管理職は、切っても切り離せない関係、という風潮でした。

成功=管理職だったわけです。

それが今は必ずしもそうでないのですから、(良い意味で)驚きです。

 

労働は、社会を表わす鏡と言って良いでしょう。その労働のあり方が変わるというのはつまり、社会全体の変遷を意味しています。

だからその変遷も必然的に、じわりじわりとしたものになりますが、いまの変遷の早さはそういったことを加味すると、かなりスピーディーだなと感じます。

正直もっと時間がかかるのでは、と思っていました。

もちろん、弊害がないのならば、その変遷は早ければ早いほどよいと考えます。

 

 

なぜ管理職に対するイメージがネガティブになってきたのでしょうか。

それは、管理職にならなくても成功できる生き方、働き方が選択肢として増えたからではないか、と思っています。

 

管理職という言葉は、管理される側と管理する側がいて初めて使われる言葉です。

つまり、1人ではなく複数の人間が集まって、ということになりますね。

会社が複数の人間を雇う理由は簡単です。

1人では出来ない業務量、業務内容を、みんなでやることによって実現したい、ということです。

 

1人で出来ること、出来ないことは、テクノロジーの影響をモロに受けます。

テクノロジーがもたらす影響の最もおおきなものは効率化であることは言うまでもありませんが、効率化するというのは、10人でしかできなかったことが5人で、いや1人で出来るように変わることや、1時間かかった業務を5分で出来るように変わることです。

 

つまり、時代の進化とともにテクノロジーが進化すると、複数人でしかできなかったことが反比例して減ります。

 

具体的な例を出しましょう。例えば私のいる音楽業界。

CDやデータ配信などの音源を制作する工程は、おおまかに言うと

  • 企画
  • 制作
  • 宣伝
  • 製造
  • 販売

です。昔はこれらの工程にたくさんの専門業社が関わっていました。

工程ごとに担当する会社が違うわけですね。

これが今は個人で出来るようになっています。

企画はバンドで集まって考えられるし(これは昔から出来ますが)、制作はDAWソフトというコンピュータのソフトウェアでできます。このコストは、ソフト・ハード共に年々下がり続けています。使いやすさは逆に飛躍的に上がっています。

宣伝はホームページ、SNSを活用、製造はCDならプレス工場に自分達で発注、データならば、そもそも製造という工程自体が存在しません。

販売も、自身のサイトで売ることも出来るし、データならばiTunesで販売することは今や誰でもできます。

 

ミュージシャンと、ミュージシャンが所属している事務所も、いわば管理される方とする方という構造ですが、上記したようなことが可能になった現代では、管理されなくても(しなくても)音源制作ができる、という選択肢が増えた、ということです。

 

この例でもそうですが、管理する、されるという構造が良い、悪いという意味ではありません。

管理されずになにかしらをアウトプットしていく、もっと大きく言えば管理されずに働くという選択肢が明らかに増えた現代ならば、その選択肢すらなかった以前に比べて、相対的に管理されること、することに対するネガティブ感が増すのは、当然です。

 

 

選択肢はたくさんあればあるほど良い。

管理職につくことにポジティブな人、ネガティブな人、どちらも受け入れられる社会を目指すべきだと思います。

 

 

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傘の話題はとりあえず抑えておきます

r25.jp

 

試みとして面白いと思いました。

しかし、返却率1割は残念です。

本文中に出てくるように、田舎の無人販売は成り立つのに、都会の傘返却は為されないという状況は、やはり食物に対するありがたさと、傘に対するありがたさの差なのでしょうか。

掘り深めていくと、性善説性悪説の話にまで発展しそうですね。

 

 

この記事には、なぜこのようなサービスを始めたのかという理由は詳しく掲載されていません。

おそらくは、市民の利便性を考えてのことでしょう。

たしかに突然の雨に困っている時、無料で傘を貸してくれるサービスは嬉しい。

 

しかしもう一歩手前で考えると、なぜ傘を持っていない状況に陥るのか、となります。

昔ならいざしらず、私が生まれて以降は天気予報が当然のようにありました。

テレビやラジオの普及も十分すぎるほどすすんでおり、その日や明日の天気を天気予報で確認して、雨が降りそうならば傘を持って出かけることは簡単です。

そして現代ならば、手元のスマホでかなり詳しい天気予報を確認できます。

アプリの中には、翌日の降水確率が◯%以上の時に通知するサービスもあり、その確率や通知の時間も細かく設定できます。

 

つまり、気象予報士が予想できないような突然の気象変動を除けば、その多くは予想できます。そしてそれに備え傘を持参することは容易いことです。

 

それでも函館市が行ったサービスが考案されるということは、雨が降る予報がされているにも関わらず傘を持っていない人がいかに多くいるか、ということを物語っているのでしょう。

 

なぜでしょうか。

その理由の1位は、多分「面倒だから」です。

 

傘はとにかく面倒です。

まず忘れやすい。以前私の友人が電車内に傘を忘れ、それを忘れ物取扱所に行くのに同行しましたが、そこは忘れ物取扱所というより、傘屋といったほうがしっくりくるほどの傘がありました。

もちろん全て忘れ物です。

いかに傘が忘れやすいのか、ということですね。

 

そして、それだけ面倒な思いをして持ち歩いた傘でも、雨を完全に防ぐことはできません。

完全にどころか、少しでも強い雨だったら、足下あたりはびしょ濡れです。

もちろん傘をさしていないよりは随分良いかもしれませんが、それにしたって結構な不快指数です。面倒さとのバランスがとれていない。

 

 

記事中にもあるように、コイン返却形式の採用など、レンタル返却率を高める工夫をして、利便性と経済性のバランスをとることも必要ですが、私がもっと思うのは、やはり根本的な雨対策です。

傘はかなり昔から、ほとんどその形状が変わっていません。世の中の様々な物がどんどん便利にかわっていっていることに比べると、傘の進化はいささか見劣りします。

 

傘にとらわれず、防雨対策の革命を起こしたら、ノーベル賞並の賞賛を与えてもよいと思うくらいですね。

 

今のところそれに最も近いのは、ドローン傘かなと思います。

 

 

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硬貨と紙幣、クレジット、電子マネー

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硬貨と紙幣。

幼少期にそれらの意味を理解し始めた頃、最初に思ったことは、

「硬貨の方が高そう・・・」

でした。

幼少期のピュアな気持ちの頃でない(?)今でも、硬貨の方が金属で紙幣の方はつまり紙なので、やっぱり硬貨のほうが高そうに感じます。

 

ところが、日本にかぎらず多くの国では、紙幣の方が硬貨より額が上です。

世界中どこでもなのかどうかは知りませんが、少なくとも私が行ったことある国は例外なくそうでした。

 

不思議だと思って少し調べたところ、なるほど〜と唸ってしまいました。

紙幣の起源は、預り証だということです。

 

人々が物々交換に限界を感じ始めた頃、位の高い人たちは金、その他の金属で商取引をはじめました。

金属は持ち歩くには重いので、それらの金属を預かってくれるところが出来、そこで預り証を発行してもらいます。

その後は、預り証で商取引をするようになったということです。

この預り証が後の紙幣、金属を預かってくれるところが後の銀行となるんですね。

 

こう考えると、紙幣のほうが高額なのもうなずけます。

概念は少し違いますが、小切手が紙幣よりも基本的には高額になるのと同じことですね。

 

 

現金主義、という人、結構いますね。

しかし、紙幣の起源を見ると、紙幣(現金)ですら実はもともと預り証です。

そもそも、通貨流通以降、紙幣や硬貨自体には価値はなく、それは所詮交換価値です。

 

現代において現金主義というのは、クレジットや電子マネーといったものに対するアンチです。

その理由は、現金でないともらったりつかったりしてる実感が減る、というものが多いようです。

しかし、それって壮大な幻想ですよね。実際的な価値ならば、紙幣よりもメモ帳やティッシュペーパーのほうが間違いなく有用です。

 

また、現金であることの弊害は観念的でなく実際にあります。

政治とカネの問題が無かった時代はない、というくらい、その問題は根深いものですが、それは現金授受の記録を残さなくて良い、というところにつけこんでいるものがほとんどです。

 

段々落ち着いてきましたが、森友学園問題での100万円寄付だって、あれがもし記録に残っていたら、問題はもっとシンプルになります。

そして、現金があるかぎり、記録のない金銭の授受が可能、ということになります。

電子マネーやクレジットでも記録を消すことはできますが、現金の方は寧ろ記録を残すことのほうが労力を使います。

 

現金主義の人を完全否定しているわけではありません。

ただ、なぜ現金主義なのかという理由と、現金が力をもっていることによる弊害はしっかり考える必要があると思います。

 

 

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