日々じゃーなる

日々の生活でおもったことをなんとなく、でも結構まじめに綴るブログです。 趣味は読書とビリヤード。仕事は音楽関係。

コワい話と現実は別です

今週のお題「ちょっとコワい話」

 

小学生の頃、部活(サッカー)を終えて帰宅。途中までは友達と一緒でしたが、最後は一人きりになりました。

田舎なので、人通りも少ないし、街灯も少ない。

季節は確か夏だったので、寒くはありません。むしろ汗ばむほどです。

 

自宅直前の十字路を曲がってすぐ、首筋を何かが触りました。手で撫でるように触られ、後ろを振り向くと、誰もいません。

気のせいかと思いますが、それにしてはえらくリアルな感触が首筋に残っていました。

 

実はその十字路では、3年ほど前痛ましい事故があっていました。

子供が車に轢かれて亡くなっていたのです。

 

 

コワい話としてはあまりにも地味ですが、これは本当に私が経験したことです。

あのとき首筋を触られた感触は、今でもありありと思い出せるほどで、気のせいだとは到底思えません。

 

とまあ、ほとんどのコワい話は、それが本当のことである後押しをするために、今でもよく覚えている、などといったエピソードを付けます。

しかし、それと現実は違うのだろう、と思っています。

それを言ったら身も蓋もない、ということになりますが、まあまあ、、、

 

たとえば、マジシャンがするマジック、見たことありますよね。

昔よりもよりダイナミックに、そしてよりタネがわからないようになってきている気がします。

あのマジックは、マジックだと最初から聞いているから、タネがわからなくもてトリックがわからなくても、そこで起きた現象が怪奇現象だとは思わないわけです。

先入観なし、前情報なしで、かつもっと起こる現象が地味なものだと、ネタばらしをするまでほとんどの人が、そこで起こった不思議なことを現実として受け止めるのではないでしょうか。

 

また、錯視もありますね。

http://www.psy.ritsumei.ac.jp/~akitaoka/MLadjusts.jpg

 

水平な線の長さは、実は同じですが、これを日常生活のなかで見たら、下の方が長く見える人がほとんどです。

気のせいではなく、本当に下の方が長い、と言うでしょう。

 

人の脳は、先入観や前情報、その他いろんなことで簡単に勘違いを引き起こします。

私の経験したことだって、そこで痛ましい事故があったことを知っていたことに起因すると思っています。

 

その存在や現象が真実だ、と言うためには、やはり科学的な検証が必要となります。

ちなみに、科学は万能ではない、ということを言う人がいますが、ここで科学を持ち出すのはそういう意味ではありません。

科学は複数の人間によって証明されている、という意味です。

霊能者が、そこに霊がいるということを証明するためには、複数名の霊能者を連れてきて、同じものが見えるかどうか、という検証が必要だ、ということですね。

 

私には見えるが、あなたには見えない、これではどんな嘘もつけてしまうし、見えている本人ですがそれが錯覚なのか勘違いなのかわからないので、科学による検証に頼るしかないということです。

 

上の錯視の例で言えば、実は同じ長さだということを証明するためには、上下の画像を重ねてみる、という科学的検証を行うわけです。

まさか、上下の画像を重ねて同じ長さなのに、「いや科学は万能ではないので、この2本はまだ違う長さの可能性がある」なんてことを言う人がいたら、ちょっとイタいひとになっちゃいますね。

 

 

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疲れている時には糖が必要

今日はとにかく頭を使う日です。

頭を使うのは、答えが決まっていることを考えるときよりも、ゼロから何かを生み出す時です。

で、今日はそういった案件がまあまあの量あります。

 

藤井さんの連覇で将棋界が賑やかですが、棋士は対局中になにかを口にすることも多いそうですね。

あれも、私と比するのはおこがましいのですが、要するにむちゃくちゃ頭を使っていて、エネルギー補給をしているということらしいです。

 

で、甘いものが多いのは、疲れている時に効くのが糖だからという理由だそうですが、甘いものに含まれている糖、ショ糖よりはブドウ糖、つまり炭水化物の方が効き目が高いようです。

だから、パンや麺類、ご飯類の方が効くということになりますが、対局中に口にするものは、糖補給以外の目的もありそうなので、結果ああいうことになっているのでしょう。

 

 

ということで、今日はえらく頭を使っているのですが、それを阻害するような睡魔が襲って来ます。

身体を動かす忙しさは眠気を覚えにくいのですが、頭を使うのは、脳が休息を求めているからなのか、とにかく眠い。

 

ということで、あまりブログにも脳のエネルギーを使いたくないので、失礼ながら今日はこの辺で。

 

 

コンビニで忘れ物の現金を届けたら、、、

http://www.terra-r.jp/user/media/img/page/icando/bokinbako.jpg

 

取引先に書類を送るにあたって、多くの会社はデータ(PDF)でOKというところが増えたので、随分と業務のスリム化ができました。

その分、データNG、つまり紙でないとだめというところもあり、より煩わしさを感じてしまいます。

 

私はカラープリンターを持っていないので(ほとんど使わないんですよね)、書類がカラーの場合はコンビニでプリントアウトします。

カラーの場合は1枚50円、、、自宅にカラープリンターを置くのとどちらが得なんでしょうか。

金額的に言えば、末永く使えば使うほど自宅プリンターの方が安くなるはずですが、インク代や紙のような維持費、消耗品費、置く場所のことを考えると、コンビニでプリントアウトでいいや、となっています。

 

ということで、コンビニへカラープリントしに行きました。

さっそくコピー機の前に立ち、タッチパネルで操作を始めましたが、ふと気づくとコイン投入口横にある残金表示が「50」となっています。

私はまだ入金していません。つまり、前に使った人の釣り銭取り忘れです。

確かに、コンビニのコピー機は蓋の中に原稿を忘れたり、プリントアウトしたものを忘れたり、そして釣り銭を忘れたり、ということが多そうです。

 

釣り銭返却ボタンを押して50円を出し、改めて自分の分の入金、プリントアウトを終えて、忘れ物の50円を手にレジへ行きました。

 

私「すいません、コピー機に前の人の忘れ物だと思いますが、50円が残っていました」

店員「あ、わかりました、それでは募金ですね」 

 

そういって、その店員は私から50円を受け取ると、何の躊躇いもなく(むしろ自信満々で)レジに置いてある募金箱へ入れました。

 

おーー、、、なんかさっぱりした対応だな、と思いました。

別に悪いことをしているわけでもないし、むしろ忘れ物が募金になるのはよいことかもしれません。

 

しかし、もしかして今日中に50円を忘れた人が取りに来るかもしれません。

そしたら店の金庫から50円だせばよいのかもしれませんが、今日のスピードで募金箱に入れてしまうと、コピー機に50円の忘れ物があったこと自体を記録として残していない可能性が高い。

そうすると、アルバイトが時間になって交代した後に忘れ物をした人が取りに来たところで対応できません。

 

というよりも、です。

おそらくですが、忘れ物の現金は募金箱に入れる、というマニュアルがあるのではないか、と思いました。

そのマニュアルに従ったまでだと思うのですが、マニュアル作成者は「忘れ物を一定期間取りに来なかった場合」というのことを加えるのを忘れていたのかもしれません。

 

少なくとも、届出人である私の目の前で募金箱へ直行、というのは避けた方が良いと思いますが、これは「なんとなくわかるでしょ」という漠然とした感覚ですね。

その店員はアジア系外国人で、とても真面目に働いている印象ですが、この辺の機微を把握するのは難しいかもしれませんね。

アジア人を侮っているわけではなく、この漠然とした感覚が日本独特のものの可能性もあるので、その場合は、ということです。

 

なにはともあれ、マニュアルには限界がありますよね。今後は現場で経験を培っていって欲しいと思います。

 

 

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おいしいから食べる、以上!

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いつまでも健康でいたいというのは、みんなが願うことだと思います。

そして、ヒトの体はほぼ食べ物からできるので、健康と食事が密接に関係あることは当たり前です。

 

情報過多の時代には、そんなみんなの願いを叶えるために、おびただしい量の記事やニュースが飛び交います。

 

私が「またか!」と思うのは、コーヒー、牛乳、朝食あたり。

多分1ヶ月ごとくらいに、これらが健康に良いだの悪いだのという記事を見かける気がします。

最初の頃は「結局どっちなんだ!?」と怒りを覚えましたが、最近はそんなこともなく、結局わかんないんだな、と思えるようになりました。

大人になったんですかね。

ヒトの体は宇宙解明よりも難しいらしいので、未だにわからないのも無理ないと思います。

 

さて、冒頭にある記事には、強く同意できます。

特に最初の方に書いてある、自然のもの=カラダに良いもの、という式はどういった根拠に基づいてできたものなんですかね。

科学の時代なので、自然のもの以外の添加物を食品に使うのは当たり前の時代で、その中には確かに体に悪いものがあるのも事実ですが、かといって自然のものがなんでも良いというのは、まったく論理的ではありません。

 

例えば発酵食品の多くはカラダに良いと言いますが、発酵というのは言い換えれば腐らせることです。

とても単純化して言えば、腐ったのちに食に適したものができたら、その過程を発酵と呼び、食に適さないものができたら腐ったと呼びます。

起こっていることは同じです。

この辺は、自然のものかそうでないか、という基準ではありません。おいしく食べられるかどうか、です。

 

また、自然は結構危険がいっぱいです。トリカブトなんて超猛毒です。

フグだって毒があるので、資格がないと調理できません。

自然かそうでないか、ということなんて、結局食べられるかどうかという基準に比べれば、大した基準にはなりません。

 

 

すでにお亡くなりですが、料理研究家に小林カツ代さんというかたがいらっしゃいました。

小林カツ代 - Wikipedia

 

その人の言葉をいくつか紹介します。

親は子どもに「おいしいもの」を食べさせることがいちばん大事。

「これもいい」「あれもいい」という発想のほうがおいしい料理を作れる。 

「手作り」という言葉も嫌いですね。

だって、料理は手で作るに決まっているじゃないですか。

自然食にこだわる人もどうでしょう。
何でもかんでも「自然」にこだわる人にはユーモアが感じられません。

わたしは、まさしくこの通りだと思います。

特に頷けるのは最初の「おいしいもの」というところ。

健康に良い、自然だ、ということよりも、おいしいということの方がはるかに優先されるべきだと私は思います。

 

ヒトにとって食事は、健康維持の役目にとどまらず、幸せな生活の重要な役割を果たしてくれています。

生きていける、という理由だけで一生点滴でも良い、という人はあまりいないでしょう。

 

おいしいから食べる、これが一番だと思います。

ちなみに、、、、だから好き嫌いがなくなんでもおいしく食べられるというのは、結構な長所として自慢して良いことだと思います。

 

 

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クラムシェルモードの欠点

http://news.mynavi.jp/kikaku/2014/07/03/001/images/013.jpg

 

今回は若干マニアックです。

マニアックというか、ごく一部の人にしか関係ない記事です。

まあ、毎回そうなんですがね。

 

ノート型のmacには、クラムシェルモードというものがあります。

これは、外部ディスプレイをつないでノート型macを使う時に、ノートの方を閉じたまま使えるモードのことです。

詳しくはこちらで。

support.apple.com

 

USBなんかで外部キーボードやマウスをつなぎ、クラムシェルモードにすれば、ぱっと見デスクトップのコンピュータのように使えます。

本体(ノート型mac)の方は閉じているので場所をとりません。

各種ケーブルさえ届けば、どこに置いていても良いわけです。

 

クラムシェルモードを知ったのは、たまたまでした。

外部ディスプレイを使っての作業は以前からしていましたが、外部ディスプレイをつないでいない状態でノートを閉じると、スリープモードに入るので、外部ディスプレイをつないでいるときも同じ動作をするだろうと思い、それでは作業ができないので、開けっ放しでの使用です。

 

ところが、ある日たまたまノートを閉じてしまったんです。

すると、外部ディスプレイが一瞬暗くなって再点灯、普通に使えるではないですか。

しかも、外部ディスプレイを繋いでいる場合は、システム環境設定、ディスプレイから、内臓、外部ディスプレイをミラーリングにするか、しないならどのような配置にするか(上下左右)、を選ばなくてはいけないのですが、ノートを閉じた状態だと、ディスプレイを外部ディスプレイ1つと認識するようで、ようするにマウスポインタが外部ディスプレイの端でちゃんと止まります。

 

で、色々と調べたら、これはちゃんとクラムシェルモードという動作だということを知った次第です。

 

別にノートを開いたままで、使わないだけでも構わないのですが、そこはなんとなく「すっきり感」がほしいところです。

 

ところが、最近自分のmacが古いせいもあって、動きが重くなりました。

色々とカスタマイズしているとはいえ、実はこのmacは2010年製なので、さすがに「ガタ」が来ています。

 

重さを感じるのは、画面上のあらゆる動きで、ウィンドウを動かすときも、フォルダを移動する時も、カクカクします。

最悪なのは動画で、結構とびとびです。

 

さすがに買い替え時か、と思っていましたが、偶然クラムシェルモードではなく、ノートを開いた状態で使ってみたところ、なんと動きがかなりスムーズになりました。

 

これは、なんとなくよくなったというレベルではなく、格段によくなったのです。

 

で少し調べてみると、確かにクラムシェルモードではパフォーマンスが落ちることがある、という情報がありました。

ノート型は、開けている状態で熱を逃がしやすくなっているので、クラムシェルモードでは熱が逆にたまりやすい、といった理由だそうです。

 

ということで、最近はクラムシェルモードではなく、普通にノートを開けて使っていますが、全く問題ありません。画面が2つあったらあったで使い道はたくさんありますしね。

 

 

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ソフトクリームの思ひで

今週のお題「好きなアイス」

 

https://www.nissei-com.co.jp/images/i_co_pr01.jpg

 

以前酒飲みだったことが関係しているかどうかわかりませんが、甘いものはそこまで好きではありません。

どちらかというと酒のつまみになりそうな、塩辛いものの方が好きです。

 

が、甘いものが嫌いというわけでもないし、酒を飲みはじめる前までは人並みに甘いものは好きでした。

 

で、私の好きなアイスは、ソフトクリームです。

ソフトクリームはアイスに含まれるのかどうかはよくわかりませんが、まあ似たようなもんでしょう。

 

ソフトクリームが好きなのには、割にしっかりとした理由、経緯があります。

 

ソフトクリームは、コンビニなんかに売ってあるアイスと違って、特別感がありました。

その場でしか作れないので、コンビニのアイスコーナーでは売れないわけですね。

確かにコンビニにもソフトクリームとかいたアイスはありますが、先日甘いもの好きの友人が「コンビニのソフトクリームは、全然ソフトじゃない」と言っていて、その通りだと思いました。

 

で、特別感のあるものだからこそ、その機会を逃したくないというのは大人だけでなく、子供にもある感情です。

 

子供の頃、家族で出かけ、ある店に入った時に、ソフトクリームがメニューにある店で、ソフトクリームを食べる機会に恵まれました。

普段食べられない、というのがその美味しさをさらに引き立てます。

 

ところが、当時小学校低学年だった私は、ソフトクリームをうまく食べられなかったのです。

モタモタしているととけてくるし、そうすると服や床にこぼれます。

柔らかいから少しでも傾けると「ボトッ」と落ちちゃいます。

 

ということで、うちの父親は半端なく厳しかったので、うまく食べられないのならば食べるな、と叱られました。

 

練習できるわけでもなく、でもまた怒られるのもいやだし、という期間が長く長く続きました。

その期間を経てソフトクリームを口にしたのは、確か小学校6年くらいだったと思います。

その味の濃厚さや柔らかい口あたりに感動、そしてちゃんと床も服も汚さずに食べられたことに感動しました。

 

それ以来私はソフトクリームが大好きです。

時代はすすみ、コーンのところがワッフルのようになっているものや、クリームが超濃厚味なもの、硬さにこだわりをもったものなど、多種多様なソフトクリームが巷にあふれていますが、私にとってはそれがソフトクリームというだけで、つねに90点を越えてきます。

つまり、ソフトクリーム製造にこだわりをもって挑んでいる人には申し訳ありませんが、誤差です。

味もバニラがあればそれで良い。もちろんチョコもミックスも好きですが、バニラで必要十分だということですね。

 

 

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音楽「だけ」を聴く時間、ありますか?

音楽の無料化がすすんでいます。

最初にそれを感じたのはYouTubeでした。

動画付きで音楽を無料で聞けるのには驚きました。YouTubeのサービスが始まった当初は、まだ音楽の世界に足を突っ込み始めた程度だったので、そのサービスが音楽ビジネスを大きく変えていくとは思いませんでした。

 

テクノロジーの進化はとにかく早い。あっという間にCDの売れ行きは落ちます。

日本はいまだCDが売れますが、正直この現象は日本だけで、日本を超える音楽先進国であるアメリカでは以前から、CDの売り上げをデータ配信が抜き去っています。

CDが良い、悪い、の問題ではなく、そういう現象が起こっている、ということです。

そして多分、この流れは変わることはあっても戻ることはありません。

 

音楽がデータ化されて変わったのは、音楽の経済的価値だけではありません。

音楽の聴き方が変わりました。

 

私よりも上の世代が言う音楽の聴き方は、音楽「のみ」を聴くというものです。

レコードの値段は2000円くらいで、今のCDの値段とさほど変わりません。物価が変わったことを考えると、いかに昔のレコードが高価だったかがわかります。

 

お金を貯めてやっと買ったレコードをターンテーブルに置き、大きなジャケットを手にレコードを聴く。

レコードは片面が20分くらいで終わるものが多いので、B面を聴くためにその場にいるのが当たり前です。

つまり、音楽だけを聴く時間になります。

 

現代はこういう人はあまりいません。

音楽のデータ化は、持ち運びのしやすさやコピー(シェア)のしやすさももたらしました。

部屋にこもって聴くというよりは、通勤通学中にiPodで聴く、車の中で聴く、といった聴き方が主流になります。

CDになってからは車の中で聴くのは当たり前でしたが、車の中に持ち込めるCDの枚数は、iPodの曲数からすると微々たるものです。

(そういえば、CD20枚チェンジャーがトランクにある車なんかもありました)

 

もちろん家でも音楽は聴きますが、何かをしながらということが多いようで、確かに昔に比べれば家の中でできることも圧倒的に増えたのです。

ご察しの通り、インターネットですね。

 

ライブは別ですが、音源で聴く音楽は、このようにBGM化していったわけです。

BGMに高音質を求める人は少ないので、YouTubeくらいの音質でも満足いくわけです。

ゆえに、音楽は無料化してきます。

 

POPSの1曲は5分前後です。1曲5分、曲を聴くだけに集中する時間をあえて作る人はどれくらいいるのでしょうか。

 

懐古主義は嫌いですが、曲だけに集中する時間が1日に5分くらいあったら、音楽の聴こえ方は変わります、間違いなく。

 

今の音楽の聴き方がまちがっているという気はありません。何かをしながら聴く音楽文化だって、それはそれで素晴らしい文化です。

 

ただ、そうでない、音楽だけに集中するという行為もやってみてはいかがですか、というオススメ情報です。

 

そこには、作曲家、作詞家、編曲家、演奏家、エンジニア、ディレクター、そしてアーティストのエネルギーの結晶がふんだんに詰め込まれています。

たった5分に、大きな大きなエネルギーを詰め込んでいるから、それはたった5分なのに芸術だと言えるのだと思います。

 

私はそんな音楽の世界にいることを誇りに思います。

たとえこの先音楽はビジネスとして成り立たなくなっていっても、音楽の普遍的価値は変わりません。

だから、心配することもないし、成るように成るわけですが、、、