日々じゃーなる

日々の生活でおもったことをなんとなく、でも結構まじめに綴るブログです

小学生くらいまでにまなぶべきことってなに?

現在の小学生必修科目は

国語、社会、算数、理科、生活、音楽、図画工作、家庭、体育

さらにこれら以外に

道徳、外国語活動、総合的な学習の時間、特別活動(学級活動、児童会活動、クラブ活動、学校行事)

ということらしい。

 

さてさて、

必修科目の中でも、いわゆる「主教科」とよばれるのは

国語、社会、算数、理科、生活

だ。

ただし、自分が小学生のころには、「生活」がなく、

どういった授業なのか皆目検討がつかない(だいたい、教科の名前が抽象的すぎないか・・・)ので

ここでは生活は除いておこう。

 

これらが「主」教科と呼ばれるのは、

日本国民の小学生として学ぶ「主」たる教科と位置づけているからだろう。

 

各々の教科をみていきたい。

 

国語

日本人として最低限必要な読み書き能力、読解力を身につける。

 

社会

社会は大きく分けて地理、歴史、公民とあるが、

これを浅く広く教えるのが小学校教育の社会だ。

地理は、都道府県の場所から県庁所在地、名産、他気候などの

知識も学ぶ。

歴史は、縄文時代から現代までの大まかな流れを学ぶ。

時代の名前、その時の権力者、文化など。

公民は、政治の仕組みを、これまたおおまかに学ぶ。

 

算数

中学以上になると、「数学」と名前を変えるが、

小学校時代では算数。

算数の「算」は、計算からきている。

つまり、数字をつかって、四則演算の方法を学ぶ。

かけ算九九はおそらく2年生で習ったかな。

 

理科

化学、物理、生物を浅く広く学ぶ。

化学では元素記号、化学反応。

物理では力学、電気など。

生物では、動物や植物の分類、特徴など。

 

 

小学生のときに学ぶべきことはなんだろうか。

それは、ものの「学び方」ではないだろうか。

 

上記主教科のなかで、万人にとって、生きていくのに必要な

ことは何だろうか。

 

例えば国語。

一生本を読まずに生きていくひとはそう多くはないとはいえいると思うし、

それが悪いことなのかと問われれば、そんなこともない。

その子に、小学生国語教育は必要だろうか?

 

例えば社会。

どこにどの都道府県があるかを知っていることは、

果たして生きていくのに必要なレベルだろうか。

名産は?気候は?

縄文時代にどんな土器ができて、

平安時代にどんな文化があったかを知らなくて

困る人はどのくらいいるだろう。

選挙に行かなくて「困った」というのもあまり耳にしない

(選挙には行きましょう!!)

 

例えば算数。

四則演算は、暗算で出来た方が便利だが、

絶対にできないといけないわけではないと思う。

電卓は100円でかえるし、九九が存在しない国の方が世の中には多い。

鶴亀算はいつ使えるのだろう?

 

例えば理科。

身の周りにおこる様々な現象を説明できる人は

どれだけいるだろうか?

100円で買うことの出来るシンプルな電気小物ですら、

その構造をちゃんと説明できる人はいないだろう。

シャチとイルカとクジラが実は同じ動物だ、

と知っている人も、そんなに多くない。

 

このように、

国が義務教育と定めるべきものにしては、

どうも内容が「イマイチ」な気がする。

要するに、大人になっても、絶対に必要な内容を

主教科とみなしているわけではない。

 

学ぶことはとても大切だ。

生きていく上で、様々な局面において、

学ぶことを必要とされることが皆無という人はまずいないだろう。

そこで、何をどのように学び、生かしていくか、

これが大切なのだが、

いまの小学生の教育にその要素が入っているとは言いがたい。

 

小学生(に限らないが)の試験等は、

ほぼ暗記問題に近い。

試験で良い成績を修めると大人はほめる。

こうして、教科書に書いてあることを

「暗記すること」が正しい、という考え方が

スタンダードとなる。

教科書暗記→頭が良い=優秀

 

しかし、自立し他の人と協力し目標に向かって

何かを成し遂げようとするときに、

そこに教科書はない。

あるのは材料(情報、知識、経験など)だけで、その材料をどのように使っていくかは

考えるしかない。

そのときに、過去の事例等を参考にし、検証し、

自分のやっていることに活用する。

ここがいわゆる「学ぶ」ということだが、

小学生のときにこのような技術(またはそのきっかけ)を

学ぶ片鱗でもあるのだろうか?

 

小学生教育と学ぶことは、少し似ていると感じるかもしれない。

しかし、この二つは決定的に違う。

暗記ではなく、input→消化(咀嚼)→output

という経路をたどるのが学ぶことだが、

小学生教育には消化とoutputが欠落している。

試験で問題を解く、というのは、

まあoutputといえなくもないが、やはりすこし違うし、

消化(咀嚼)に至ってはほぼ0だ。

(教科書に書いてあることを疑うことを教えられたことはありますか?)

 

学ぶこととは、そのほとんどが「プロセス」だ。

inputとoutputは世にあふれている。

本を読み、そのことを友人に話せば完了。

ネットで情報を得て、それをSNSでシェアすれば完了。

 

しかし、ここに消化(咀嚼)が加わると、それは

学ぶことになる。ここを大切にする、ということを

小学生のときに教えるべきではないだろうか。

 

具体的には??

 

それは自分には分からない。

教育関連の方、考えてみてはいかがですか?

 

ちなみに、

消化(咀嚼)ということは、もっとわかりやすく言うと、

「考える」こと。

考えることを放棄し、暗記することが優秀だ、と思っている人は、

世の中で一番優秀なものがなにかをそれこそ考えてみたらよいのではないか。

おそらく

 

グー○ルあたりかな・・・

 

ということは、

材料はそこに一番たくさんある・・・?