日々じゃーなる

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芸術性と商業性のバランス

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音楽の仕事をしていると、たまに「正しい音楽」と「間違った音楽」という見方をしている人がいることに気づく。

 

こういう時に、音楽は芸術性とエンターテイメント性のバランスが難しいと思う。

 

音楽はスポーツではない。

スポーツには結果があり、それを最重要視する。

例えば、100m走において、誰よりも早く走ることよりも、美しいフォームのほうが評価されることはあまりない。フォームがよくなくても速く走れることに重点が置かれる。

これに対し、音楽はどうだろうか。

100m走におけるタイムのようなものは音楽には存在しない。

しいて言えば、音源の売上になるだろうが、日本一音楽を売っているアーティスト(今ならAKBやジャニーズ)が、そのまま日本一のアーティストと言う人もいるとは思うが、全然そう思わない人もかなりの数いるだろう

 

音楽において売上とは、それにお金を出しても良い、という人がたくさんいる、ということになるので、つまり商業性が高いとも判断できる。

 

売上という側面からすると、ジャズやクラシックは、POPSに比較してかなり低い。しかし、ときにJAZZやクラシックは、POPSよりも芸術性の高いものとみなされることもある。

 

つまり、商業性と芸術性は独立して存在しているようにみえるが、今のところ音楽においては、相容れないもののようにもうつるのだ。

 

そうすると、音楽をアウトプットする側は、そのバランスをどのようにとるかを考えなくてはいけない。

売上重視の音楽ばかりをすると、大衆迎合主義、拝金主義になって、いつの日か非難の的になるだろうし、世間が求めている音楽と、自分がやりたい音楽が違う(同じ人は運がよい)場合、日々のストレスも蓄積するだろう。

かといって、自分の芸術性ばかりを自分の思うままに高めていくだけでは、ただの自己満足になってしまい、オーディエンスを失った結果、音楽を続けられないということにもなりかねない。

 

要するに、ミュージシャンは、程よく流行りを取り入れ、程よく自分の好きな事をするしかない。そして、このバランスを決めるのは、思った以上に難しい。

 

この苦しみの中から生まれた音楽に対して、正しい、間違っているという基準がいかに意味を成さないかおわかりだろうか。

 

音楽は正しい、間違っているではない。

音楽は、良いか良くないか、だ。そして、その評価はあくまで個人的なもので一般化されることはないだろう。