日々じゃーなる

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自分の現状での実力は、いつどこで計るのか

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famo-seca.hatenablog.com

 

以前、こういった記事を投稿した。

 

仕事でもプライベートでも、何かしらの実力(学校の成績、スポーツの記録など何でも)は、いつ把握しているだろうか。

 

音楽の世界にいると、ライブやレコーディングといったことが日常茶飯事だ。

ライブもレコーディングも、その前に準備をしっかりして臨む。

準備のメインはもちろん練習だ。

 

ライブやレコーディング現場で、初心者の口からよくでる言葉がある。

「練習の時はうまくいったのに」

 

この言葉を掘り下げて考えてみると、「練習の時はうまくいったので、それができる実力はあるのに」といった意味に捉えることができる。

 

これは勘違いだ。

 

現状での実力は、いつどこで計るのか。

それは、アウトプットする現場だ。

つまり練習の時に普通にできて、本番の時にたまたまできなかったのではなく、現状ではまだできる実力がなく、練習の時に「たまたま」できただけだ

 

これは至極当然のこと。

例えばピアノの練習ならば、自分の好きな時間に、座りやすい椅子を用意し、邪魔な人を部屋からだし、見やすい位置に譜面を設置し、集中して練習するだろう。

 

実際に現場に行くと、意外と証明が暗くて譜面が見えない、ピアノのタッチ感が微妙に違う、強面なディレクターがそばでみている、他の演奏者の音とかぶって自分の音がしっかりとモニタリングできない、といった環境を強いられる。

この環境で弾けるようになるために練習しているのだから、練習している時に弾けることなど、なんの意味もない。

極端なことを言えば、練習をほぼやってこなくても、本番でしっかり演奏できれば、まったくもって問題ない。

 

音楽にかぎらず、何でもそうだろう。

野球の試合でいつも三振するひとが、「バッティングセンターではいつも打てるのに」と言ったら、かなりイタイ。

披露宴のスピーチで、緊張して何も言えなかったら、新郎新婦にも、その場にいる人にも、何一つ伝わらない。

 

アウトプットより前段階で自己分析している評価は、おそらくほとんど意味が無い。

いくら本番に近い環境を用意しようと思っても、まったく同じ環境なんて作り得ない。

前出の野球を例に取れば、大勢の観客、監督、メンバーを揃えて、本番が行われる予定に球場で、同じ天候で、同じ体調で、といったことが可能なわけがない。

本番自体が、そもそも変化に富むものだ。トラブルもあるし、それは限りなく0に近づけるように対策はしてあるものの、実際に0にはならない。

 

つまり、実力はあくまでアウトプットした段階で計るべきだ。