日々じゃーなる

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訪問販売や宗教勧誘のやり方について思うあれこれ

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予期せず家のインターホンがなったときに、訪問者が誰か予想することがあるだろう。

それが昼間だったら、誰だと予想するだろうか。

 

自分の場合は、まず宅配。その次は訪問販売か宗教の勧誘だ。

突然の訪問の2位につけるくらい、その数は多い気がする。

 

訪問販売や、宗教勧誘にはどんな印象をお持ちだろうか。

自身が訪問する方、勧誘する方だと話は別だが、されるほうの印象は決してよくない。

実際に、訪問販売で成功する確率や、宗教勧誘で話を聞いてもらえる確率はかなり低いそうだ。

 

今回は、この2つについての考察。

 

訪問販売員に対しての暴言

訪問販売は、言葉の通り「訪問」して、商品を「販売」するという行為だ。

当然商売のためにやっている。

この行為は当然合法で、販売員は何も悪いことはしていない。

しかし、訪問販売員に対して、なにか恨みでもあるかのように暴言を吐く人の話をたまに聞く。

しかも、そのことを自慢する人までいる。

こういったことはぜひやめていただきたい。

紹介された商品がほしくなかったら、「結構です」と言えばよいだけだ。

それ以上の暴言は、労働者に対しあまりに失礼だ。

販売員が過剰に「しつこい」理由

ただし、断ってもしつこく勧めてくる販売員もいるだろう。

しつこく勧めてくる理由が、本当にその商品に自信があって、ぜひ使ってほしいという気持ちの現われならばまだわかるが、会社から設定されたノルマをクリアするためのものだとしたら、販売員の方にも、訪問される方にも、何のメリットもない

販売員にノルマを設定する前に、ノルマがなくても販売員が自ら売りたくなるような商品開発の方に力を注ぐべきところを、それを省いて、ノルマ制にしているようでならない。

つまり、会社側の怠慢のしわ寄せが販売員、訪問される人に来ているということになる。

こういったことをしている会社は、ぜひ考えを改めて頂きたい。

宗教勧誘は、宗教にとって必要な行為なのか

はじめにことわっておくが、自分は何の宗教にも入っていない。

そして、宗教にたいしての悪いイメージもあまりない。

オウムのような犯罪集団が、新興宗教団体としてメディアに大きく取り上げられるので、新興宗教にとどまらず、宗教自体のイメージが落ちている気もするが、そんな集団はごく一部だ。

つまるところの、自由にすれば良いと思う。

しかし、宗教勧誘となると少し話が違う。

もしその宗教が素晴らしかったら、わざわざ飛び込み営業のごとく個人宅を訪問し、勧誘などしなくても、自然とその宗教に入るのではないだろうか。

そもそも、先に書いた訪問販売と一番違うのは、これは仕事ではない、ということだ。

つまり、利潤を追求するものではないから、人数の多い、少ないはどうでもよいのはないだろうか。

「自分たちの教えをもっと拡めて、人々を幸せにしたい」

ということかもしれないが、それは価値観の押し付けにほかならない。

それならば、まず自分たちが幸せになり、その生き方を魅力的なものにし、自然に入信者が増えるのを待つべきだろう。

幸せは勧誘されてもらうものではない。

例えば、自分は音楽が大好きだ。音楽の素晴らしさを知らない人はもったいないと思う。

かといって、知らない人の家の扉をたたいて、音楽を是非聞いてください、とは言わない。聞きたい人だけが聞けば良いのだ。

聞きたいと思わせる音楽を奏でれば良いだけのことだと思う。

訪問販売、宗教勧誘に共通して思うこと

最後に、この二つに共通して思うこと。

訪問販売の人も、宗教勧誘の人も、「嫌なら断れば良い」といった考えの人が結構いるらしい。

それは当然だ。そもそも断れないのならば、違法行為になる。

それを踏まえて、訪問者は、訪問される側に、断る為のエネルギーを使わせている、ということを強く意識してほしい。

NOと言えない日本人が決して良いとは思わないが、それはさておき、訪問販売員や宗教勧誘者は、断る人に無視できないストレスを与えていると考えれば、「嫌なら断れば良い」なんていう無責任な考えは持てないだろう

 

その行為を行っている人は、もう一度ぜひ考えていただきたい。

 

 

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