日々じゃーなる

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忘年会の季節に思うことのあれこれ

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この季節は、なにかというと忘年会だ。

というか、堂々と飲みに行く為の口実でしかない気がするが、たとえそうであっても構わないだろう。

何よりも、日本経済の為にはプラスだ。

 

この季節になんとなくおもうことを綴ってみる。

 

お酌の文化はまだあるのかな

このブロクでは何度もかいているマナーについてだが、忘年会といえば飲み会、飲み会のマナーといえば、なんといっても「お酌」だろう。

自分が学生の頃は、法律(いや、それ以上?)のものだったお酌の文化は、今でもあるのだろうか。

類は友を呼ぶようで、最近は自分の周りにお酌の文化を強要する人は殆どいない。

おかげで、飲み会で訳の分からない気を使わなくて良くなった。

お酌にかぎらず、ノンアルコールNGという暗黙のルールがあったり、席をわざわざ立って、目上の人の横に正座し、大した役にもたたない話を延々聞かされたり、といったことも、自分の周りにはいない。

お酌は、してもらいたかったら、してもらえるような人間になるべき。

話を聞いてもらいたいのなら、聞くに値するような話をするような人間になるべき。

決して、お酌をしてもらう方や話を聞いてもらう方に強要するものではない。

恥ずかしいの一言だ。

 

暦という制度に意味があるとしたら

正直、年末だからって騒ぐ理由も、よく考えればとくにない。

もとい、冬休みや年末年始の休みも、必要かと言えば、冷暖房もあるし、別になくても問題はなさそうだ(希望とは別のはなし)。

しかし、それでも暦というものに従って年末年始に休みをとるというのが当たり前だ。

それにあえて意義をもたせるのならば、「節目」を意識するタイミング作り、だろう。

 

ある日突然、今日までの300日くらいを振り返ってみよう、そして今日からの300日くらい先までの目標を立ててみよう、と言われても、困惑してしまう。

ある日、が決まらない。

じゃあ、せっかく暦というものがあるので、そのサイクルの最後あたりに、それまでの1サイクルを振り返り、反省し、次の1サイクルをより良いものにするために活かそう、とすると、その節目には意義が出てくる。

 

つまり、そういったことをせずに、ただただ休んでいるだけなら、年末年始の長期休暇の意義すらなくなりかねない。

 

忘年会に比べ新年会は??

忘年会と新年会、どちらの方が回数が多いだろうか?

皮膚感覚では、忘年会が圧倒している。

この理由を考えてみた。

そもそも忘年会は、読んで字の如く、忘れる為に行う飲み会だろう。

では、何を忘れるのか?おそらく「嫌なこと」だろう。

「嫌なこと」を忘れて、年が明けたらまた一からやろう、ということだろう。

はっきり言ってしまえば、ストレスを1年かけて蓄積してくのだ。

新年会が少ないのは、日々行うこと(その殆どが仕事)が基本的に「嫌なこと」で、それが始まることを心から喜べないからではないだろうか。

つまり、

仕事=嫌なこと

ということが理由で

忘年会>新年会

であろう。

 

嫌なことがなくなれば

忘年会<新年会

になるかもしれない。

逆にこうなれば、日本人全体のストレス総量が減ったとみなして良いのかもしれない。

 

 

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