日々じゃーなる

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自分の仕事を自分で選ぶのは当然だ

ダウンタウン松本人志が出演しているワイドナショーという番組が、何かと話題に上がっている。

松本人志を始めとしたコメンテーターのコメントは、翌日以降のニュース(主にネット)に取り上げられ、波紋を呼ぶことが少なくない。

 

この中で、準レギュラーと言っても良いくらい出演している、社会学者の古市憲寿さんの発言もよく炎上するのだが、今回も話題になっているらしい。

blogos.com

 

今回はこれについて

実際に見た印象とかなりギャップがある 

まず先に自分の意見を述べておくと、全く問題ないと考える。

とその前に、上記リンクを見て分かるように、こういった発言は一部だけを切り取って、そこが主旨のように書かれるので、誤解を招くのだろう。

この番組は、毎回見ているわけではないのだが、今回は偶然みる機会があったので、リアルタイムで見た。

そしてこの記事を見た時に、捉え方の偏りがひどすぎると感じた。

手紙を送ってくる人と仕事をしない理由は、手紙を書くことに時間をかけることで相手への敬意を表現しようとすることが「仕事できない人」に思えるからだという。

本文にこのように書いてあるが、最後の「仕事できない人」という表現は、本人のトークの流れからすると、「自分はこういう人とは仕事ができない」といったニュアンスで発言していた。つまり、個人的な意見だ。

しかし、記事にこう書かれると、まるで一般論で「仕事ができない」と言っているように捉えられる。

 

そもそも、この記事には載っていないが、本人は、手紙やメール、電話で仕事を依頼してくる人と仕事をしたい、という人がいるのもよく知っているし、それはそれで良いと思う、といった主旨のことも発言していた。

 

つまり、自分が仕事を依頼されるときに、依頼者がどんな人なのかを判断する基準の一つとして、そういったものがあるというだけだ。

一般論で言っていないとすれば、他は全て的外れ

日本の情緒は何処行ったんだろう、ともかいてあるが、そういったものを求める人は、そういったものが好きな人と仕事をすれば良いだけの話で、情緒を人に強要し始めたら、その行為自体が情緒ということばからかけ離れていくだろう。

 

Facebookなどでも、非常識だ、といった意見が見られるが、そう思う人はこの人に仕事を依頼しなければ良いだけのことで、逆にこういった考えの人と仕事をしたい、という人も少なからずいるはずだ。

その人達同士で仕事が成り立つのならば、外野が騒ぐことではない。

それとも、それによって外野の誰かに迷惑がかかるのだろうか。

選択的自由は常にあるべき

夫婦別姓の意見の時にも書いたが、ここでも同じことを主張したい。

仕事は、手紙やメール、電話で依頼するべきか、LINEで依頼するべきかを問うているわけではなく、それは各々が自由に決めて良い、つまり選択的自由だ、ということだ。

どちらにも、一般論で言う所のメリット、デメリットはある。

 

この人は、社会学者ということはつまりフリーランスだろう。

自分の仕事は自分で選ぶし決める、だから成功しても失敗しても自分の責任になるのであって、そのやり方を「常識」や「情緒」といったものでくくるのが正しいこととなっていく社会は、果たして「良い社会」といえるのだろうか。

 

 

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