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日々じゃーなる

日々の生活でおもったことをなんとなく、でも結構まじめに綴るブログです

言わない美学と、言う必要性

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海外にいた時に、文化の話になった。

 

日本には「俳句」という詩があり、その字数に決まりがあることを簡単に伝えると、例えばどんな俳句があるのかを尋ねられたので、

 

古池や蛙飛びこむ水の音

 

という松尾芭蕉の有名な句を教えた。

日本語を話せない人なので、それはどういう意味、と聞かれて、、、、

正直困った。

 

意味はつまり、、、

古い池にカエルが飛び込んだら、水の音がした、、、

それだけだ。

 

そのまま説明したら、後にはまさに沈黙が訪れた。

日本でいうところの

「で?」

といった感じだ。

 

やはり、この感じは日本に育たないとわからないだろう。

情緒や風情という言葉で表される何か、だ。

言わない美学、という「文化」

さて、なぜ突然俳句の話なのかというと、俳句の美学の一つに、「直接的な表現」を使わずしてそれを伝える、というものがあるからだ。

 

上述の芭蕉の句にも、どこにも直接的な表現は入っていないにもかかわらず、表現されていないはずの情景が結構リアルに浮かび上がる。

それが俳句の美学、というわけだ。

 

なるほど、確かにそうかもしれない。

俳句にかぎらず、多くを語らずして相手に気持ちを伝えることや、1を聞いて10を知ることなど、言わない美学が日本にはあると感じる。

文化と実務は違う

しかし、それらは文化というカテゴリーの話だけではないだろうか。

実務やビジネス全般にこんなことを摘要したら、おかしな間違えが起こる可能性が出てきてしまう。

 

上司に

「聞く前に、自分で考えてやってみろ」

と言われて、それを実行すると

「なんでやる前に聞かないんだ」

と叱責されるという、漫画のような笑い話は、実際の組織内でも結構存在している。

それは、言わない美学という、文化において良いとされるものを、実務レベルにもあてはめてしまっている弊害だ。

言っても言わなくても良いことは言わない?

実務において、言っても言わなくても良いことは、言ったほうが良い。

その方が確実だからだ。

しかし、なぜか言っても言わなくても良いことは言わないほうが良い、という風潮があると思う。

 

日本では、会議において司会者が「何か質問、意見がある人は?」と尋ねた時に、挙手をしないことが、同意を意味する。

しかし、実際に100%同意している人なんて実はあまりいない。

それなのに挙手しないのは、少しの質問、意見があるくらいなら、何も言わないほうがベター、という考えたがあるからだ。

 

海外でいた会社の会議は違った。挙手をしないのは、その人自身に意見がない、とみなされてしまう。

自分たった一人のそんなに多くない経験なので、一般的な海外の組織がどうなのかは分からないが、たとえどうであっても、少なくとも日本のそういった風潮は健全とは呼びがたい。

 

文化と実務を混同するのは、本当にやめていただきたい。

 

 

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