日々じゃーなる

日々の生活でおもったことをなんとなく、でも結構まじめに綴るブログです

子供のやりたいことだけをやらせた方が良いのか

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価値観がこれだけ多様化した時代に、学校の成績をのばすだけで幸福な人生を歩めると思っている人は少なくなった。
それは非常に喜ばしいことだと思う。
 
そもそも人はみんな違う。
違うからこそ、得意分野を各々が発揮し、各々の不得意分野を補っていくという方向になってきた結果で、人口もこれだけ増え、国家間の情報も自由に行き来する現代においては、いまのところ、この仕組みがベストではないか、と考える。
 
基本的に人は幸福を追求して生きていく生物なので、「共存」と「幸福」を同時に実現するために、各々の違いと、やりたいことをかけあわせる、ということだ。
 
しかし、本当にやりたいことだけを追求したら、うまくいくものだろうか。
 
経験論が大嫌いな自分が、あえて自分の経験を交えて、考察してみる。
 

ピアノの思い出は、とにかく「嫌」

 
物心ついた頃には、既にピアノの前に座って練習していた。
音楽やピアノは好きとか嫌いとかを考えるより前に、もう始めていたのだ。
 
小学校に入学するくらいの頃、自我が目覚めてくる頃には、好き嫌いが出てくる。
男なので「当然」嫌いだ。
 
男だからピアノが嫌いときめつけるのはおかしい。確かにその通りだ。
しかし、少なくとも当時の自分の環境では、男でピアノを好きになれる要素なんか何一つなかった。
学校では友達に女々しいと言われ、サッカーして遊ぼうと誘われてもピアノレッスンがあるから断らざるを得ない。
自分の意志でピアノを始めたのならいざしらず、親が勝手に習わせたのだから、サッカーなどの男っぽい遊び(スポーツ)と天秤にかけるまでもない。
 
自分の親、特に父親の方は典型的な頑固親父、しかもかなり厳格だった。幼少期の自分にとっての親父は、恐怖の象徴だった。
音楽が好きな親父がピアノを習わせ始めたのは知っていたので、ピアノを辞めたいとは到底言えなかった。
(そういった恐怖による教育の良し悪しは、ここでは割愛)
 
ピアノは嫌だが続けざるを得ない、そんな毎日が中学卒業近くまで続く。
 

音楽に対する感情の変化

 
では、それまでずっと同じ調子で嫌いだったかというと、その感情は徐々に変化したように思う。
それは嫌いでない方向への変化だ。
 
高校入学の頃には、ピアノのレッスンは辞めていた。
親父も、その頃には辞めることを許してくれたのだ。
 
しかし、不思議なことが起こる。
なぜか独学でピアノを始めたのだ。
つまり、高校以降はピアノに対する嫌悪感は消えていたのだ。
 
その頃にはギターも始めた。
ピアノからギターに転向したひとならばわかると思うが、それぞれの楽器演奏方法は全く違うものの、ギターの演奏にはなぜかピアノの経験が大きくモノを言う。
単純に、ギターの上達スピードがピアノ経験の有無でかなり違うのだ。
 
逆に、ギターを始めたことで「コード」という概念が出来上がり、それをピアノに応用し始めた。
クラシックピアノにはコードという概念があまりでてこないので、これは非常に新鮮だった。
 
結局大学に入っても音系サークルに入部し、その後就職もせずに海外に渡航、そこでも数えきれないくらいライブをし、帰国後も楽器屋、ライブハウスで働く。
現在は、フリーランスで音楽「ばかり」だ。
もちろん、後ろ向きではない。望む通りの人生を歩んでいる。
 
小学校の頃、あんなに嫌だったピアノや音楽を、いまは自ら望んで職業にしている。
 

嫌のことは、将来も嫌なのか

 
自分は、嫌なことでもやり続ければその良さがわかるはず、とは思わない。
実際に、自分と同じような境遇でピアノを習い続け、今は全く音楽に携わっていないひとも大勢いる。
その生活が幸せだという人も多いだろう。
 
しかし、自分が幼少期の頃に嫌だったことを続けた(続けさせられた)結果、それが好きなことに変わっていったというのもれっきとした事実だ。
 
自分のようなタイプと、そうでないタイプと、どちらのほうが統計上多いかはわからないし、調査のしようもないだろう。
しかし、少なくとも、子供が嫌いなことをすぐにやめさせることが、「常に」ただしいことではないとは思う。
 
考えてみれば、当時嫌な顔をしてピアノレッスンにいく自分に対して、両親はやめさせるほうが楽だったのではないだろうか。
それでも続けさせたことには、なにかしらの思いを感じる。
おそらくは、まったく根拠も自信もない思いだが。
 
今、自分には小さな子供がいる。
やりたいことをさせてやりたい。
人に迷惑をかけないことであれば、なんだって良い。
しかし、続けていくのは、なんにしても大変だ。
その時に、すぐにやめさせる方がよいのか、石の上にも3年、と教えるのかは、まさしく親が悩むところだ。
 
少なくとも今、自分は、音楽を無理やり続けさせた親に、本当に感謝している。
それだけは、紛れも無い事実だ。