日々じゃーなる

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リベンジポルノのニュースで聞いたコメント

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先日、あるテレビ番組を見る機会があり、そこで「リベンジポルノ」に関してコメンテーターがコメントしていた。
このコメンテーターは、年齢は50歳手前くらい。
諸々の理由により、名前は出さない。
 
「僕らが小さい頃は、デジカメもスマホもなかった。つまり、写真を現像するにはカメラ屋にフィルムを持ち込む必要があった。
カメラ屋には、もちろんカメラ屋の店主がいて、卑猥な写真なんかは、その店主によって現像から外されていた。
いまは、現像する必要がないので、リベンジポルノも簡単にできてしまう」

 

 
このコメントを耳にした時に、正直この程度のコメントでテレビにコメンテーターとして出演しギャラをもらえるのか、と情けなくなった。

 

コメンテーターの仕事は何?

 
このコメントのどこが突っ込みどころか。
それは、このコメントを聞いたところで「だから何?」という反応しかできないからだ。
 
コメンテーターならば、あるニュース(この場合ならリベンジポルノ)に対して、このような事件が起きた理由と、今後の対策を社会的にどうたてていくか、ということを述べるべきだ。
このコメンテーターは述べたのは、その前者のみだ。
昔は良かった、なんてことは、巷の居酒屋でサラリーマンが十分すぎるくらいに語っている。
 
結局、だから何?なのだ。
上のコメントは、記憶を基に書いているので、一言一句正しいわけではないが、ニュアンスとしては、明らかにテクノロジーに対する警鐘といったものだ。
 
要は、スマホやデジカメがリベンジポルノ事件の温床になっている、とでも言いたいのだろう。
 

テクノロジーの進化は止まらない

 
じゃあ、社会的にどうしていくかを考えた時、スマホやデジカメを失くすという方法が良いとでも思っているのだろうか。
 
そんなことは、現実的にありえないことくらい、時代を読めばわかるだろう。
安保法制に対するデモはあっても、スマホやデジカメを失くす為の法整備を早く!といったデモは聞いたことがない。
第一、そう思う人が多かったら、スマホやデジカメの不買運動が起きて、メーカーが生産しなくなり、結果自然淘汰されるだけだろう。
 
テクノロジーには、必ず副作用がある。良いことづくめのテクノロジーなんてない。
車は便利だが、年間4000人以上の交通事故死者数をだしている。
紙が電子化されれば、資源の無駄遣いは減るが、人の視力は落ちるかもしれない。
 

テクノロジーへの向き合い方を考える

 
それでも、時代は進む。その殆どは、アンコントローラブルだ。
だとすれば、人はそのテクノロジー有りきで対策を立てていくことを必要とされているのではないだろうか。
つまり、テクノロジーの進化を止めるのではなく、そのテクノロジーへどう向き合うのか、ということに知恵を出す、ということだ。
 
車はありつつ、エアバックの開発で、死者数を少しでも減らす。
紙の電子化を進めつつ、目に良い発光技術の開発をする。
 
他にも、つい数日前にLINEいじめ対策として、こういった実験が始まった。
 
 
テクノロジーが未発達の時代に思いを馳せて、昔は良かったと感慨深くコメントしていれば世の中が良くなる、というのは、それこそ世の中を楽観視しすぎているのではないだろうか。