日々じゃーなる

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テクノロジーを受け入れないと引き起こされる弊害の例

テクノロジーがめまぐるしく進化している時代だ。
とにかく様々な分野にテクノロジーの進化が影響を与え、仕事のあり方も変わっている。
そんな中で今日読んだ記事が上記リンクだ。
簡単に言えば、アナログすぎて困っているということだ。

 記事には、テクノロジー導入拒否の理由がない

ここで非常に問題だと思うのは、なぜアナログのままなのか、という理由だ。
 
昔のやり方とテクノロジーを使った現代風のやり方を比べた時に、常にどちらかが良いとは限らない。
それは使う人や組織等によって大きく変わる。
 
この記事の場合、テクノロジー導入のお願いをしたが、受け入れてもらえなかったという。
そこに、「なぜ」がないのだ。
 
考えられる理由は何だろう。
2つの側面で推測してみる。
「アナログを選択する理由」と「テクノロジーを導入しない理由」だ。
結果同じだが、あえて分けて推測を試みる。
 

アナログを選択する理由

 
そこには、よくありがちな考え方が想像できてしまう。
 
「これまでこれでやってきたから」
 
実は、これは何の理由にもなっていない。
今回の場合、これで困っているというところから話がスタートしているのだ。
これまでこれでやってきた、という事実は、スタート地点より前の話で、役に立たない。
第一、教育機関において、これまでやってきたとおりで良い、という考え方は、向上心がいかに欠落しているかを物語っている。
子どもたちにも「これまでの人たちと同じやり方をしていれば良い」と教えるのか。
それはつまり、思考停止を推進していることと同じだ。
 

テクノロジーを導入しない理由

 
これは、導入する知識、技術を現時点で持っておらず、またそこにエネルギー(時間、お金、労力)をつぎ込むつもりがないということだと考えられる。
 

共通点は「消極的」

 
2つの理由に共通しているのは、積極的理由がない=消極的理由しかない、ということだ。
そして、その弊害は園児、学校の生徒の保護者や、しいてはその生徒たち本人にも及ぶことになっている。
 

教育機関の責務

 
幼稚園や保育園、学校には、様々な環境の家庭の子が通うだろう。
この記事の方のように、妻の体調があまり良くない人もいるだろうし、幼稚園や保育園、学校までの距離が遠い人もいるだろう。
幼稚園や保育園、学校も一つの組織なので、どんな家庭の子にも対応できるように、というのは難しいかもしれない。
しかし、できるだけ多くの方に対応できるように企業努力するのは、少なくとも教育機関として当然のことではないだろうか。つまり、公平の追求だ。
 
幼稚園や保育園も、もちろん学校も教育機関だ。
園児、生徒は、その鋭い感性で大人を感じている。
思考停止を促すような行動をしている教育機関で育った子は、その影響を間違いなく受ける、と考えなければならない。
だとすれば、教育機関従事者は、どういった子を育成していきたいのかを、自分たちの行動に照らしあわせて考えていかなければならない。
 
何かを判断するときに、上記のような理由を決断理由にする人、を育成したいと思っているのならば、ぜひ教育現場から立ち去っていただきたい。