日々じゃーなる

日々の生活でおもったことをなんとなく、でも結構まじめに綴るブログです

スポーツは、結果が最も優先されるから素晴らしい

 
水泳の北島選手が引退するそうだ。
上記リンク先にある記事にもあるように、引退のきっかけとなったのは、オリンピックに派遣されない結果となったこと、だそうだ。
数あるスポーツの中でも、選手寿命が短い方に分類される水泳というスポーツで、輝かしい実績を残して引退、心よりお疲れ様と同時にありがとうと言いたい。

 

さて、上記リンク先の記事をもう少し詳しく読むと、今回オリンピックに派遣されない理由は、日本水泳連盟が定める派遣標準記録を突破していなかったから、そしてその基準は2000年シドニーオリンピックの際に、千葉選手が代表からもれた時の騒動から生まれたものだ、としている。
 

当時感じた違和感

 
当時のことは、割りとよく覚えている。
そして、この時自分の周りやメディアは、どちらかと言うと千葉選手を出さない方がよい、という風潮になっていた。
これに対して、自分はものすごい違和感、ほぼ怒りに近い感情を持ったことを覚えている。
 
なぜこの時に周りは、千葉選手を出さない方に傾いたのか。
それは、簡単に言えば千葉選手のキャラクターを疑問視する声が多かったからだ。
そのキャラクターは、選手の輪を乱す、と言われていた。
 

健全、倫理、キャラクターには基準がない

 
スポーツの素晴らしさは、決められたルールの中で出した結果が、もっとも優先されるということだ。
当然、スポーツマンシップという言葉がある通り、スポーツにおいても、健全な精神や倫理観は大切だ。
しかし、健全・倫理という概念には、絶対的な基準が「全く」ない。
当たり前だが、健全さや倫理観は、多数決で決められるものでもない。
 
だとしたら、スポーツはそれらを大切にしているとはいえ、最終的には記録が大切、ということになるのではないだろうか。
 
スポーツをする意義の話は、競技選手とは別で行うべきだと思う。
 
少し前にも、マラソンの福士加代子選手のことが話題になった。
 

再優先されるのは、結果であるべき

 
スポーツはスポーツだ。
倫理観やキャラクターのことを言い出したら、本当に視点がぼやけてくる。
特にオリンピックは、スポーツを通しての国際交流だ。
国同士が政治的に緊張状態にあっても(今の日韓、日中の様に)、それはさておき、スポーツ競技という世界共通のルールに則って競い合う中で、それが国際平和、協調につながっていくことには充分期待できる。
そんな中で倫理観やキャラクターを持ちだしたら、存在自体が成り立たなくなる。
確かに、歴史上そういった問題でオリンピックに出なかったことも、この日本ですらあったが、それは国際的な問題は複雑にからみあっていたという背景もある。
個人である千葉選手の輪を乱すと言われているキャラクターと同列には語れない。
 

努力した結果だって、キャラクターを表している

 
オリンピックに出られるレベルの選手であれば、そこまでの努力量も人並み外れているだろう。
その努力をして記録をだした、ということだって、その人間を表すキャラクターの一つだ。
それは、もっと強調されてよいと思う。