日々じゃーなる

日々の生活でおもったことをなんとなく、でも結構まじめに綴るブログです

気をつかうということ

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フリーランスというのは面白いもので、自分以外の人達に対しては、年齢や入社時期ではなく、取引内容によってパワーバランスが自ずと決まってくる。
パワーバランスというと小難しそうだが、要するに、立ち位置。
 
この辺の微妙な質感が難しく、かつ自分はあまり好きではない。
尊敬している人やお世話になっている人には気を使い、そうでない人はそれなり、ではいけないのか。
無駄な縦社会が嫌いで、その弊害が少なそうなことを理由にフリーランスという道を選んだということもあるのだが、実際のところはフリーランスにも縦社会はしっかりと存在する。
自分の場合は、やはりサラリーマン時代ほどではないが。
 

飲み会にて

 
先日、仕事関係の方々と飲み会をした。
そこには、上述したようなパワーバランスが漂っていた。
 
単純に、その順列を高い方から
 
Aさん→Bさん→自分
 
となっており、全員知り合いだ。
Aさんは非常に気さくな方で、あまり礼儀やマナーにうるさくない方。
一方Bさんは、礼儀やマナーを非常に重んじる方。
そして自分は、礼儀やマナーをあまり重要視していない。
 
Aさんと自分がコミュニケーションをとる時、結構フレンドリーな感じで話をすることが多い。
ここにBさんが介入してくる。
 
Aさんのグラスが空くと、Bさんから「Aさんのグラスが空いているから、お酌して」と言われる。
Bさんは自分よりパワーが上なので、自分はそれに従いAさんにお酌をしようとする。
 
「お酌はいいよ。俺、手酌のほうが好きなんだよね」
(予想通り)と言われる。
 
それを素直に受け止め、お互い手酌で飲む。
 
しばらく経つと、Bさんが
「なぜお酌をしないの?」
と自分に言ってくる。
Aさんは手酌が好きなことを伝えると、
「それは、気をつかって遠慮してるだけだ、お酌してあげるように」
との命令。
 
結果、Aさんは自分のお酌を受け入れてくれたが、なにか釈然としない。
 

気を使う人、気を使われる人

 
例えばお酌に関して言えば、自分はお酌をするのもされるのも、ちっとも好きではない。
嬉しいとも思わないし、自分のペースで飲みたい。
しかし、これは人それぞれの価値観なので、お酌をされるのが好きな人もいるにはいるだろう。
 
上記例で不思議なのは、Aさんも自分も「お酌はあまり好きではない」という価値観を持っているのに、なぜか自分がお酌をし、Aさんはお酌をされるという状況に陥っていることだ。
 
Bさんの心理は、どういったものだろうか。
BさんはAさんよりパワーが下なので、さらに下の自分がする、上のAさんに対しての行動が気にかかるのだ。
ここまでは分かるのだが、それに追加で、Bさんは「自分(Bさん)のほうが、Aさんのことを分かっている」という優越感も持っているのではないだろうか。
 
しかし、自分とAさんのコミュンケーションにおいて、その優越感は邪魔でしかないし、Aさんの趣向に従うというシンプルな礼儀が最終的にはかなっていない、ということになっている。
 
自分は好きではないものの、お酌を含めた礼儀やマナーが、普遍的にダメというわけではない。
そこには価値観の相違があるだろう。
そして、礼儀やマナーは2人以上が関わることが多いので、その場合はどちらかの意向に合わせるしかない。歩み寄りという意味で。
そのときは、やはりパワーバランス的に上にいる人に従うことになるだろう。
しかし、少なくともそれは現場にいる人間だけで行われることであって、第三者(上記例で言えばBさん)の意向を強要する場面ではないと思う。
 
もし、それでも自分を含めた後輩に、お酌を率先してするような人間になってほしいのならば、自らお酌をして、その姿を自分たちに見せ、その姿をみて自分たちが憧れる、という流れであるべきではないだろうか。