日々じゃーなる

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戦争は起こらない?勉強が嫌い?

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世界には様々な国がある。
日本はその中でも、トップクラスに恵まれた国で、識字率も99%、経済的では世界3位。犯罪率も低いことは、様々な統計でも明らかだ。
しかし、それによる弊害もたくさんある。
 

恵まれすぎている弊害1 戦争を感じれない

 
戦争のない状態が70年以上続くこの国では、戦争経験者がほとんどいなくなり、戦争が始まるときの経験をうまく伝えることが難しいようだ。
つまり、どうやったら戦争にならないのかを考えることが、生まれた頃から戦争のない国に生まれているから、しづらい。
 
これの手助けになるのが、知識。
戦争経験者から語られる状況を直接聞くのが一番良いのはわかるが、それが困難になったときに、あらゆる方面からデータ・情報を集め、詳細に分析することは出来る。
 
同時に、現代はインターネットの普及によって、情報には実質国境がない。
悲しいことに、今この瞬間でも紛争が絶えない地域がたくさんある。
一個人としてそれを止めたいと思っても、直接現地に出向いて、「紛争STOP」と叫ぶことが現実的に可能な人は、一握りしかいない。また、それをして紛争がすぐになくなるとも思えない。
(だから意味がない、という意味ではない)
 
だとすれば、自分たちに直ぐにできることは、その紛争が起きた背景を多角的に捉え、その紛争がどこにでも起き得るもの、この日本でも起き得ることだと強く認識し、可能な限り予防することだ。
 

恵まれすぎている弊害2 知識について

 
知識に関しても、恵まれたことの弊害がある。
知識を得ることに感謝する機会が少ないのだ。
 
しかし、勉強して知識を得ることすらままならない地域も、まだまだたくさんある。
小学校に一人での登下校が危険なので、集団登下校にしよう、なんていうのは、それによる効果がどれだけあるかしらないが、極めて平和な証拠だ。
中国には、生徒が790mの崖をよじ登って通学しているという場所もある。
また、新興国の青年は、とにかく勉強したい、と訴える。
理由は、とにかく自分の国を平和にしたいから、というもの。
逆に言えば、現状をなんとか変えたいという気持ちが強いのだろう。
勉強して知識を得ないと、国の現状を変えることが出来ない、ということをしっかり認識しているのだ。
 
これに比べて、日本はどうだろう。
支持する人や政党がないからという理由で、平気で投票を棄権する。
結局、投票にいかなくても「どうにかなる」と思い上がっているのだ。
その無関心の先に日本が立ちゆかなくなったら、今政治家が汚職事件の時におこなう釈明会見よりも酷い言い訳をすることは、容易に想像できる。
 
「こんなことになるとは思わなかった」
 
違う、勉強してなかっただけだ。警鐘はガンガン鳴らされている。
 
これまでの人類史上、今ほど勉強しやすい時代はない。
手元のスマートホンに世界の情報が入ってくる。
 
勉強は学校の成績を上げるためにするのでも、親の世間体を守るためにするのでもない。
勉強は、平和に直結している。
勉強は、命に直結しているのだ。
 
生まれた頃からYouTubeがある世代が、知らない曲を検索してすぐに聞けることに感動できないのと同じように、水と安全が無料である日本で、勉強が命に直結していると考えるのは難しいかもしれない。
政治も、平和な国では、相対的にその比重が下がるのは、致し方ない。
 
しかし、それでは駄目だ、ということに気づくのも、勉強からなのだ。