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日々じゃーなる

日々の生活でおもったことをなんとなく、でも結構まじめに綴るブログです

大人になること

考え方 日記

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理不尽なことには、しっかりと文句を言って良いと思っている。
最近はかなり改善されたが、役所などの応対は、民間のそれと比べるとかなり程度が低く、書類に目を向けたままこちらに向かずに応対する人、言葉がかなり不適切な人、連絡すると言ってまったくしてこない人など「ざら」だった。
 
そういった時には、(若かりし頃は感情的になったこともあるが)しっかりと冷静にクレームを言う。
おかしなことは、おかしなこととして言うのは、至極当たり前の行為だ。
 
偽善者ぶるわけではないが、こういう行為はもちろん、その後その応対を改善してくれるためにするのであって、その場の不快感をぶつけて相手をへこませることが第一義ではない。
 
しかし、同じクレームでも、相手をへこませることが第一義なると、これはほとんどの場合相手に伝わらない。いわゆる子供の喧嘩と同じだ。
大方の場合、双方にとって嫌な後味が残るだけで、何も改善されずに終わるだけだ。
 

心地よい空間は相互作用から

 
自分が客という立場を利用して、「それが客に対する態度か!」と憤怒する人も結構いるが、客の立場にいる人が、その立場の優位性を盾に相手を罵倒するのは、どうみてもアンフェアだ。
そう思うのならば、その店を利用しなければ良い。
また、その言葉は本当は、店の上司の為にあるものであろう。
一方、店の立場にいる人は、数ある店の中で自分の店を選んでもらったのだ、という感謝の気持ちが大切。
 
客がサービスをもらっていることに感謝する。
店が、自分の店を選んでくれた客に感謝する。
これらの相互作用によって、心地良い空気が生まれるのだと思う。
 

 文句を言う相手

 
前置きが長くなったが、クレームを言う相手が甚だしく間違っているのを時々みかけることがある。
 
まずは工事現場の案内係。
特に深夜などで交通量が少なくなったときに、案内係をたてて、片側通行規制にしているところだ。
たしかにドライバーの中には急いでいる人もいるので、予期せぬ足止めをくらいイライラすることはあるだろう。
しかし、そこを理性で抑えられるのが大人の対応ではないだろうか。
なぜなら、誰も悪くないから、だ。
百歩譲って、その工事自体に文句があったとしても、文句を言う相手はその案内係のはずがない。
案内係にいくら罵詈雑言を吐いても、それですぐに通行できるはずもない。
もちろん、案内係も工事業者の一員として働いているので、案内係の方では、業者の一員としての対応が求められる。
「ご迷惑をおかけしております」
といった言葉を言うのは、迷惑をかけているのが自分でなくても、当然の行為だろう。
上述した例と同じように、それを思うのは案内係の方であって、ドライバーの方では決してない。
 
また、人身事故、その他トラブルで電車のダイヤが乱れた場合の、駅員にも同じことがいる。
烈火のごとく駅員に罵詈雑言を浴びせている人もいるが、駅員にどれだけ文句を言っても、おそらく電車は動かない。
そして、そのトラブルの原因はおそらくその駅員ではない。
 

 大人になることとは

 
大人になることがよいことなのかどうかわからないくらい、価値観が多様化している世の中だが、それがよいことだという側面の一つには、こういったことがあるのではないだろうか。
感情的になりすぎず、冷静に物事を判断し、自分の行動に責任を持てる。
人は感情の生き物だからこそ、こういった学習が必要だ。
イライラするところまでは仕方がない。人の生理反応だ。
その先にどれだけ冷静になれるか、自分の発した言葉の意味を考えられるか、責任をもった行動をとれるか。
 
それができるのが大人だというのならば、大人になることは素晴らしいことだと思う。