日々じゃーなる

日々の生活でおもったことをなんとなく、でも結構まじめに綴るブログです

奢る、奢られる

先輩と後輩、上司と部下、歳上と歳下といった、立場の上下がはっきりしている間柄で食事に行った際、基本的には、上の立場の人が下の立場の人の分まで支払う、という空気が当たり前の様にあるが、この空気はいかがなものかと思う。
先日見つけた芸能ニュース。
芸能ニュースとしては面白いが、それはさておき、上述した「上の立場の人が下の立場の人の分まで支払う」ということが大前提となっていることに驚く。
 

縦構造と奢る・奢られるは関係あるのか

 
確かにスポーツ選手や芸能界などは上下関係に厳しそうなイメージがあるが、なぜだろうか。
 
おそらくそれは、上下関係を明確にすることによってスムーズに進む「メリット」があるからではないだろうか。
 
わかりやすいのはスポーツ。
特にチームスポーツに関しては、どんな競技にも「キャプテン」と呼ばれる人がおり、全体として統率をとる。
これによりチームのまとまりが出て、チームの実力も上がっていく、というのはそのとおりだと思う。
 
しかしながら、それと奢る、奢られるは全く関係がないのではないだろうか。
逆に言えば、奢る、奢られるの関係でないと、そのまとまりすらつけることができないのか、と思ってしまう。
 
スポーツでも、そうでない世界でも、上の立場にいる人間は、その人間性、実力、結果で人を引っ張っていくのが筋だし、そういった人を上の立場に置くべきだと思う。
 

奢る、奢られるの関係による弊害

 
そこにお金が絡んで来るとどうなるか。
やはり奢ってもらった方が奢った方に対して「貸し」を作ったことになり、その後のコミュニケーションがよりアンフェアなものになってしまう。
奢る、奢られるの関係がなくとも充分に上・下の立場があるのに、さらに奢る・奢られるの関係があると、その距離が必要以上に開く可能性がある。
 
必要以上とは何か。
それは、意見を言えなくなるくらいの距離という意味だ。
言い換えれば、意見を聞き入れられなくなる距離、と言う意味でもある。
 
上・下の立場というのは、最終決定権や責任においての上・下であるが、下の者が上の者に意見を言えない、というのはどう考えても健全とは呼べない。
「普段からかわいがっているのに、意見しやがって」的なことになると、つまるところ「奢ってやってるんだから、黙って従え」ということになる。
これは極端な例だが、心理的な作用としては充分に考えられる。
 
上の立場の人間の方がお金を沢山もらっているから、その分を下の立場の人間に還元している、という意見もある。
しかし、給料額は、その結果や実力、責任に対して支払われる対価であって、下の者に奢る為のものでは決してない。
 
縦社会構造というのは、ある意味必要だと思うが、それから逸脱した職権乱用的な縦構造は、意見を言うことを萎縮させ、また、意見を聞く耳を狭めてしまうのではないだろうか。