日々じゃーなる

日々の生活でおもったことをなんとなく、でも結構まじめに綴るブログです

ほめる教育が悪いのなら、オリンピックのメダリストもほめてはいけない

2ヶ月ほど前の記事だ。
この記事に対して思うことがある。
ほめることが悪いわけがない。良いことばかりではないが、少なくとも悪くはない。
 

一番をほめる=競争して勝たないといけなくなる、、、え?

 
 

「自分の子どもが1番だって、ほめるのは好きじゃないのよ。だって、結局他の子と競争して勝たないといけなくなるじゃない?別に1番じゃなくてもいいはずじゃない?みんなそれぞれ違うのだから。その子自身の努力や成長を見てあげたいと思う。」

 

 
概ね同意できる。
特に締めの部分、みんなそれぞれ違う、というのはまったくその通りだ。
しかしこの文章、よくよく読むと論理飛躍がある。
なぜほめてあげることが、他の子と競争して勝たなくなることになるのかがわからない。
別に一番じゃなくてもいい。
しかし、一番だとやはり嬉しいし素晴らしいと思うのも事実だ。
だから、一番のときはほめて、そうじゃないときや、結果が芳しくなかったときは、放置しておけば良い。
 
放置を通り越して、一番になれなかったり、結果が芳しくなかったりした時に叱るのは問題アリだ。
その場合は、この方が書いているように、競争して勝たないといけない、と思うようになってしまう。
 
  • ほめる=すばらしいこと
  • 叱る=やってはいけないこと
  • 放置=どっちでも良いこと
 
このうちの「放置」が抜けているので、論理が飛躍している。
 

プロセス重視は危険

 
結果ではなく、プロセスを重視したいとも書いてある。
これははっきり言って危険だ。
結果が伴わなくても、プロセス、つまりその努力を重視するという考え方は、努力自体が素晴らしいという思考に陥る。
努力自体は素晴らしくない。
努力とすら思わないくらい没頭するものに出会うことが大切だ。
その没頭のことをプロセスと呼ぶのなら異論は無い。
しかし、この記事は全体として努力自体を礼賛している傾向が見受けられる。
 
話が大きくなるが、プロセスを重視しすぎたらどうなるかを学ぶのに、ぜひこの本を読んで頂きたい。

 

失敗の本質―日本軍の組織論的研究 (中公文庫)

失敗の本質―日本軍の組織論的研究 (中公文庫)

 

 

 

子どもを子ども扱いするのが最も問題

 
最後の節でも、「子どもは〜のようです」といった文章が並ぶ。
子どもの年齢にもよるが、そんなに子どもは単純なのだろうか。
大人は、どんな分野ですら「一番になることはすばらしいことだ」と考えているのは明白だ。
オリンピックで金メダルをとったアスリートは、世界中から賞賛される。
それを見て、自分もほめられたいと思うようになる子はいるだろう。
しかし、ほめられる為に挑戦する「何か」を自身に考えさせることが最も重要で、教育者や大人はそれを手伝ってあげればよい。
 
大人は一番をほめているのに、子どもに対してはそうしない、というのは、子ども軽視に過ぎる。
 

あなたの属する分野はどこにあたるか

 
人はみな違う。当然能力も好みも皆違う。
ある人がある分野に関して
  1. 好きで得意
  2. 嫌いで得意
  3. 好きで不得意
  4. 嫌いで不得意
の4タイプに分けた場合のどこにあたるかを考えてみたときに、安直な努力至上主義は、3や4の人を別の分野に移行させる壁になる可能性が高い。
不得意でも(結果が出なくても)、努力すること自体(プロセス)が大事だから、と教えるからだ。
しかし、大人は子どもに対して、上記4つのうち、どこに属する分野にすすんでほしいと願うだろうか。
 
どう考えても、4は嫌だ。
 
加えて、1や2は時に努力をせずとも、ある程度の結果を出すことがある(したがってほめられる)。
これは否定されることだろうか。
努力なんかしなくても、得意なことを活かし、社会貢献に役立てば構わない。
 
社会貢献に役立つレベルまでその分野のスキルを上げるためには、確かに努力が必要なのかもしれない。
しかし、順序が逆だ
努力して結果を出すのではなく、結果の過程に努力があっただけで、この場合の努力は本人以外からの見え方であって、当の本人は「没頭していただけ」ということが多い。
 
つまり、努力が大切、なんて言う必要がない。
没頭できるものをみつけよう、と教えるべきだ。