読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

日々じゃーなる

日々の生活でおもったことをなんとなく、でも結構まじめに綴るブログです

テロを防ぐために、一般市民ができること

f:id:famo_seca:20160704100454p:plain

バングラディシュでのテロ。
日本人を含む多数の死傷者が出た。
 
犠牲になった方々には、心よりご冥福をお祈りいたします。
 

テロを防ぐのは、戦争を防ぐよりも難しい

 
テロは現在の世界が抱える最も大きな問題の一つ。
 
戦争とテロの違いは、国家間での争いなのか、反社会勢力による暴力的行為なのか、といった見方だが、例えば東アジアの紛争地域では、国家間といっても、その国家の地理的な国境を無理やりおしつけられたという歴史的な背景もあるので、戦争の意味も、国家間という言葉よりは寧ろ、民族・部族間という言葉のほうが適切だ、という見方もある。
こうなってくると、戦争とテロの違いが明確には示しにくくなり、まさしく現代の混沌とした情勢を象徴しているとも言える。
 
と、複雑な説明が必要になるテロと戦争なので、「テロとの戦争」という言葉は、まったくもって意味がわからない。
 
それはさておき、テロと戦争のより分かり易い違いが一つある。
それは、戦争と違い、テロはいつでも、どこでも、一人でも実行可能、ということだ。
その結果、戦争を防ぐよりもテロを防ぐほうが難しい。
 
戦争ですら、それを防ごうと思って国家間の交渉を続けても、それが決裂してしまい戦争になってしまうことは歴史上いやというほどあったのに、反社会勢力とまともな交渉ができることは全く期待できない。
そもそもその交渉の場に立ち会ってくれないし、交渉の場に参加を要請しようとしても、対象者が誰でどこにいるのかさっぱりわからないのだ。
 
テロは国際法上でも犯罪。
故に、テロ根絶の為に策を講じるのは至極当然だ。
日本も数年後には東京オリンピックを控え、その対策にはかなり力を入れざるを得ないし、実際、対策が急ピッチで進められている。
 
テロ対策を考え、直接実施するのは政府や国家機関だが、一方、一般市民ができることはあるのだろうか。
 
それは、プライバシーを捨てることを受け入れること。
 

テロ対策の為に捨てざるを得ないプライバシー

 
これはテロに限らないが、日本の警察は、「事件が起こった後でないと動き出さない」とよく言われる。
本当は警察も事件が起こる前に防ぎたいはずだ(おそらく・・・)。
 
しかし、そこには壁がある。
それは、個人のプライバシー侵害は、警察や国家機関ですら法律で認められていないこと。
 
誤解をまねく前に書くと、個人のプライバシーは、基本的には守られるべきだ。
しかし、犯罪傾向にある人物(例えばテロリスト)のプライバシー(わかりやすいのは電話やメールの記録)を監視すれば、次に起こそうとしている犯罪防止に役立つのは自明。
ここで、一般市民と犯罪傾向にある人物は、何を根拠に分別できるのか、という問題が浮上し、どうあがいても明確には分けられない、という結果になる。
しつこいようだが、前科がある者を犯罪傾向にある人物とみなすのならば、一件目の犯罪だけは防げない、つまり現状と何も変わらない。
 
テロが現代のように国際問題になっている以上、プライバシーの侵害を恐れて国家機関にですら、その権限を与えないというのは、テロ撲滅と矛盾している。
つまり、一般市民も、自分のメールや電話も国家機関から監視される、ということを受け入れないといけない。
それは決して健全な社会とは言えないが、テロの危機、つまり命の危機の前には、健全な社会という一般論よりも優先されることがある。
 
さらに加えて、一般市民ができることをもう一つだけ。
 
反発を恐れずにこういった法整備をする考えがある政治家に投票すること。
つまり、選挙に行くことだ。