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日々じゃーなる

日々の生活でおもったことをなんとなく、でも結構まじめに綴るブログです

犯罪者の社会貢献

考え方
 
死刑の是非については、自分にもはっきりとした意見が言えない。
殺人など、人の人生を根こそぎ奪った者に生きる権利は無い、という考え方は理屈にかなっている。
しかし、遊び半分で人をたくさん殺した人と、環境に大きな要因がある状態で人を1人だけ殺した人は、同じ死刑で良いのだろうか。
死刑以上は無いのだから、量刑で差をつけるとしたら後者の刑を軽くするしかないが、被害者が納得するとも思えない。
 
それはさておき、今回は犯罪者の扱い方に関して
 
キャッチミーイフユーキャンという映画がある。
犯罪史上に残る詐欺罪でつかまった犯罪者をあつかった映画だ。
 
見ていない人は、ネタバレも含むので、この後の文章は読まないほうが良い。
 
主人公は、大量の小切手偽造で逮捕され、刑務所に入れられるのだが、面白いところは、この主人公が最終的に、小切手偽造を見抜く仕事で警察を助けるようになる、というところだ。
 
要は、良い鍵の作り方は泥棒に尋ねる、ということと同じ事だ。
 
犯罪者が死刑にならずに、日本のように終身刑もなく、数年経ったら社会に出てくることを正当化するとしたら、それは本人の社会復帰を期待して、ということになる。
 
社会復帰とは何だろうか。
それは、社会貢献のできる人間になる、という意味に近い。
 
かなり強引なこじつけだが、喧嘩ばかりしている不良をボクシングの世界に入れ、観客に夢を与えるということは、実際にボクシングの世界には結構あるらしく、これも、刑務所に入る前に社会貢献に至ったということで、順番こそ違うが、似ていると言ってよい。
 
犯罪は良くない。
それを失くすためには、その犯罪を犯す人間のことをよく知る必要がある。
一番良いのは、当の本人を調査対象にすること。
もっと言えば、本人みずから、その犯罪撲滅に協力させることだ。
 
繰り返すが、刑務所に入ったあと社会復帰を目指させる、ということが前提での考え方だ。
犯罪者に対して、罰を与えて苦しい思いをさせ、それで被害者の気持ちが少しでも晴れるのか、といえば、これは当事者でないとわからない。
しかし、たとえ晴れたとしても、その為だけに使われるお金、労力は莫大で、決して有意義な使い方とはいえない。
 
言葉は悪いが、どうせ出所して社会復帰するのならば、半ば強制的に犯罪捜査に協力してもらうほうが、収監している意味も出てくる。
 
重大な犯罪を犯した人は、罪を償うべきだ。
しかし、社会として、犯罪者を「ざまあみろ」という見方をしていては、社会自体がよくなるとは到底思えない。
 
先進国では、犯罪がつきものだ。
その犯罪とも、社会としてどう向き合って行くかを考えることは重要だ。