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日々じゃーなる

日々の生活でおもったことをなんとなく、でも結構まじめに綴るブログです

自動運転車の普及の壁になるもの

テクノロジー 考え方

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選挙にいかないのに、政治家に対して不満をいう人。
国家レベルのセキュリティーを高めるべきと叫びながら、通信傍受を合法とするのはプライバシーの侵害だと主張する人。
 
このように、なにかを良くしよう、改善しようとするときに障壁になるのは、そのシステムや技術ではなく、コンセンサスが得られないことだ。
 
これを、自動運転車を例にとって考えてみる。
 

自動運転車あれこれ

 
交通事故の8割以上は人為的ミスに起因する、という統計もあり、国内でも年間約4000人の死者が出ている状況を改善するために開発されている自動運転車だ。
 
いまだ開発中なので、全くドライバーを必要としない自動運転車というのはまだなく(Googleカーなどのロボットカーなどは、ドライバー以外の人も乗っていないので、全く別)、今話題になっているのは、自動運転の中でも、運転支援車、と呼んだ方が適切だ。
 
自動運転車も、どの程度をシステムに委ねられるかによって4段階に分けられている。

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もちろん、いずれはレベル4になることを目指して開発が進められている。
 
自動運転車の普及において、必ず出てくる問題が、事故を起こした時の責任の所在。
しかし、レベル4は間違いなくシステムの方に責任がある。
これは、バスやタクシーが事故を起こしても、乗客には全く責任がないのと同じ理屈だ。
じつはこのシンプルな論理が理解されないことが多い。
 

人はOK、システムはNG?

 
あらゆる公共交通機関で、事故を起こしたことが一度もないものはない。
新幹線は死者ゼロだが、電車という括りではゼロではなくなる。
 
上述したように、公共交通機関においては、乗客は運転に全く関与できない。
だからこそ、事故が起こった時は交通機関側に責任がある。
 
ところが、こういった公共交通機関を、日本に限らず世界中の人は毎日利用し続けている。
これは矛盾している。
 
つまり、運転を委ねている相手が人なら受け入れられるのに、システムだと受け入れられない、ということになる。
人とシステムならば、間違いなくシステムの方が事故は少なくなるのに、だ。
 
もっと言えば、報道で公共交通機関の事故を知っているにもかかわらず、その公共交通機関の撲滅運動は起こらないのに、自動運転はたったひとつのミスの可能性も排除すべき、と訴える。
典型的なゼロリスク思想だ。
 

リスクゼロではないテクノロジーを、日々使い続けいている

 
そもそも、あらたなテクノロジーが普及する段階で、リスクゼロはありえない。
車だって、馬車しかない頃だったら起こらないはずの事故が増えたのだ。
インターネットだって、それを利用した詐欺も横行している。
それらのリスクがあっても普及したのは、リスクと利点(ベネフィット)を天秤にかけた時に、後者に傾いたからだ。
 
レベル4の自動運転になったときのベネフィットは、事故が減ることだけではない。
渋滞緩和、交通違反減少、燃費改善、コスト軽減、その他たくさんある。
利点が多いのならば、開発、普及をすすめ、同時並行してリスクを減らしていくという方法がもっとも良いのではないだろうか。
 
ゼロリスク思想は、だれかに殴られるかもしれないから、一生外出しない、という考えと同じだ。そんなスタンスに発展性は見込めない。