読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

日々じゃーなる

日々の生活でおもったことをなんとなく、でも結構まじめに綴るブログです

親が子どもを忘れることがあるのか

教育 考え方
 
子どもを持つと、こういったニュースのショックが格段にあがる。
子どもは本当かわいそうで、なんとも痛ましい事故だ。
 
このニュースのコメントも荒れている。
その多くは、親が子どもを忘れることなんてあるのか、というバッシングだ。
 
しかし、親が子どもを忘れることは、場合によってはある、というのが自分の意見だ。
 
先に断っておくが、忘れたこの父親には間違いなく罪がある。
子どもといえどもヒトだ。
自分の過失でヒトを殺してしまったのだから、重い罪になるのは当然だ。
 
それはさておき、だ。
コメントをみていると、自分は忘れない、忘れたことがない、というスタンスでのバッシングが目につく。
普通の親なら忘れない、忘れるということは愛情が薄い証拠だ、というコメントもあった。
 

この報道の意味

 
おそらくだが、このコメント書いている人のほとんどは、この父親と関係がない人だ。
子どもでも誰でも、世界では数秒に1人の割合で人が亡くなっている。
 
普段と変わらず、楽しい週末を過ごせるのは、世界で亡くなっている人が自分と関係ない人だからだ。
もし関係ある人が命の危険に晒されていたら、楽しくランチを楽しむことなんで到底出来ない。
関係ない人の死に対して、その都度悲しんでいる人など見たことがない。
 
つまり、関係がないにも関わらず、今回この子どもがかわいそうだと思えたきっかけは、父親の過失で子どもが亡くなったという経緯だ。
 
この経緯は何のために報道されたのか。
それは、この父親をバッシングするためなのか。
 
父親に制裁を加えるのは法であり、裁判所だ。
直接の関係がない人達が考えなくてはいけないことは、自分たちもいつ加害者になるかわからない、ということ。
 
炎上という言葉は十分に浸透している。
ある人のある意見に対して、これでもかというくらい批判コメントが押し寄せる。
その意見が法に触れる内容ならば別だが、そうでなければ、どんな意見を持っても自由だ。
それに対して、寄ってたかってバッシングするのが、イジメと何もかわらないことに気づかないといけない。
 

すべての人は、犯罪者になり得る

 
どんなコメントを書くのも自由だ。
しかし、犯罪者を対岸に置き、自分とは住む世界が違う人間とみなし、批判しているとしたら、それは間違いだ。
犯罪者も、コメントを書いている人も、絶対に同じ人間にあてはまる。
 
なぜこのような痛ましい事件がおきてしまったのか、を考えることが、こういった報道をする唯一の理由だ。
勧善懲悪を助長するような報道にはほとんど意味が無い。
 
絶対に自分は大丈夫、というスタンスでのコメントを書いている人は、もう一度よく考えてほしい。