日々じゃーなる

日々の生活でおもったことをなんとなく、でも結構まじめに綴るブログです

作曲技術と演奏技術は比例しない

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履歴書の趣味欄、最も多いのは今も昔も「音楽鑑賞」らしい。
実際に音楽鑑賞が趣味かどうかはわからないが、完全に嘘(つまり嫌い)を書くとも思えないので、「どちらかと言えば好き」以上の人が多いということだろうか。
 
自分は音楽の世界で生活しているので、今となっては趣味とは言えないものの、始めた当初は好きでやっていただけだ。
趣味が講じて、という典型例。
 
音楽業界に身を置く自分からみて、世の中で勘違いされていることの代表を指摘してみたい。
 

作曲は楽器演奏ができないと不可能?

 
曲を作るという作業は難しいし、その分やりがいもある。
しかし、楽器演奏ができないから曲を作れない、というのは間違っている。
 
もちろん、演奏できるに越したことはないが、楽器演奏が全く出来なくてもプロの作曲家として生活している人はたくさんいる。
(本当にたくさんいる)
 
そもそも、楽器はどこからが演奏「できる」と言ってよいかの基準が曖昧だ。
ライブ主体の活動に照らし合わせると、不特定多数の人前で演奏しても恥ずかしくないレベル、というおおまかな基準はあるが、作曲家に至ってはそういった状況はないので、その基準は意味を成さない。
 
じゃあ、どうやって曲を作るのか、といえば、、、、なんだって良い。
 
例えば鼻歌。
鼻歌は結構良い作曲法として知られる。
歌ものの場合は、声域に制限があるために、それを考えてメロディーを作らなくてはいけないのだが、鼻歌にはもちろん音域制約があるから、極端に歌いにくい曲にはならない。
 
また、ボーカルの息継ぎのことも考えてメロディーを作るのも重要だが、これも鼻歌ならば心配ない。
 
鼻歌でなくても、ピアノを右手の人差指1本で適当に押してメロディーを作っていくことや、机を好きに叩いてリズムから作る場合もある。
 

楽器が弾けないのに、どうやって作品に仕上げるか

 
鼻歌や人差指1本のメロディーがそのまま作品になることは考えにくい。
POPSの場合は、それに歌詞が乗り、ボーカルがそれを歌い、そこにコード楽器(ギター、ピアノなど)、リズム隊(ベース、ドラム、パーカッションなど)が入ってきて、作品に近づいていく。
 
じゃあ、やはり楽器演奏ができないと作品は作れないのか、となりそうだが、こと音源に関してはそうでもない。
 
というのも、現代ではDTMというコンピュータをベースとした作曲がプロ・
アマ問わずメインで、コンピュータが楽器を上手に演奏してくれるからだ。
 
はっきり言ってしまえば、偽物の音を使うわけだ。
しかし、最近のソフトシンセ(偽物の音を出すソフト)の進化はめざましく、正直本物かどうか聞き分けがつかないレベルになっている。
 
作曲に必要な最低限の機材は、20万くらいあればなんとかなる。
安くは無いが、他の趣味にかけるお金と比べて高すぎる、ということもない。
ちなみに、自分がこの業界に入った頃は、極端でなく本当に0が一つ多い額。
 
作曲と演奏は別だ。
演奏はコンピュータが上手にしてくれても、「どんな演奏をさせるか」を考えるのは作曲者。
つまり、発想の部分だけはコンピュータには譲れない。
作曲家の仕事は、演奏ではなく作曲、当たり前だがよく勘違いされる。
 

演奏技術が高い人は作曲技術も高いか

 
逆の勘違いも多い。
楽器演奏に長けている人は、曲を作らせても素晴らしい曲が書ける、と思っている人によく出会う。
 
もちろん、そういった人「も」いるし、曲を書けるかどうかという基準だけならば、書ける人がほとんどだ。
 
しかし、演奏と同じく、作曲にも技術力がある。
POPSにおいては、いかにたくさんの人に感動を与えられる曲を作ることができるか、ということが一つの基準になる。
 
この基準でみると、演奏技術が高い人が作曲技術も高いとは一概に言えない。
なぜなら、正直関係ないからだ
 

音楽の「何」が好きか

 
音楽で日々の生活をよりよくしたい、という人は多い。
しかし、その言葉はあまりにも広い。
 
自分が音楽の「何」に魅了されているかを見据えないと、勘違いが起こる。
つまり、音楽の中の曲作りに興味があるのか、を少し考えてみるべきだ。
作曲なのか、演奏なのか、他のなにかなのか。
 
もちろん、演奏も作曲も、その他の様々なことも手広くやりたい、というのはアリ。
 
勘違いは是正し、そのうえでいろいろ手を出すのは楽しいと思うし、正直時代の流れとしては、全体的にそうなってきている気もする。