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日々じゃーなる

日々の生活でおもったことをなんとなく、でも結構まじめに綴るブログです

電通社員自殺問題を考える

労働 教育 考え方
 
電通の社員自殺に対して労災認定がおりたということは、自殺した原因の一部、または多くは会社側にあるということを認めたことになる。
 
自殺のニュース自体はなんとも悲しい、そして腹立たしいニュースで、当然の如く電通に批判が集まっているが、これも指摘されているように、恐らく今後も同じことが繰り返される。
誰もが認める大企業の空気は、大企業であればあるほど、変わらない。
 
ニュースは今後の糧にする為に知るものだ。
2つの視点でみてみる
 

会社側の視点

 
すこし話が逸れるが、中学校の部活動において指摘されている、顧問の過労働。
これに関して生徒と顧問の両方にアンケートをとったところ、生徒側も顧問側も、週4日以内の部活動で十分だ、という答えが最も多かった。
にも関わらず、実際は週5日以上の部活動が実施されている。
 
 
実際にその場を支配しているのは「空気」であって、「誰か」ではないことが多々ある。
肩書として責任者は存在するので、何かあれば責任者がその名の通り責任をとるのだが、責任者と呼ばれる人に全ての責任を負わせてことの解決をはかったところで、その後劇的な改善がみられることはほとんど無いだろう。
 
記事中にも、今回の被害者に対して酷い言葉による注意があったことが取り上げられているが、それを言った社員を見つけ出し、また責任者を特定し処罰したところで、おそらくその空気は変わらないし、問題も解決しない。
 
上記部活動の例と同じように、残業が多すぎることや業務量が多すぎることは、周りの社員は少なからずの人がうすうす感じているはずなのに、改善されない。
やがて、その異常な状態にも「慣れ」が生じてくるし、すくなくとも社内ではそれが異常ではなく通常(正常ではない)に変化していく。
 

被害者側の視点

 
そんな中で、感情が捻れてしまったのが今回の被害者。
長過ぎる残業時間、多すぎる業務に対して、一方のいわゆる正常な感情は「辛い、きつい」となり、もう一方の空気に支配された感情は「これがここで働くということなのだ」となる。
 
感情の捻れを自分で解決するために、後者の感情で前者を必死に隠そうとする。
つまり、ここで働くということは、この辛さやきつさに慣れることなんだ、と自分に言い聞かせるのだ。
 
この行為は、問題解決の方向には全く向かっておらず、単純に臭いものにフタをしただけだ。
そのフタが閉められないくらいの限界に達すると、今回のような最悪の選択を選んでしまう。
 
社内の空気に馴染めないことは、その人格を否定されたわけではなく、単純に相性が悪かっただけなのに、まるで生きていくこと自体を否定されたように感じるのだ。
そして、周りにそれを指摘くれる人がいなかったり限りなく少なかったりすると、もう歯止めが効かない。
 

必要なこと

 
結局どちらの視点にたっても、その空気がキーポイントとなる。
空気はただでさえ見えないので、少なくとも第三者による介入が必要だ。
 
会社側ならば、第三者は国だろう。
労働基準法、その他の法律が守られないのが当たり前といった空気が蔓延していることに歯止めをかけられるのは国しかない。
 
人の命が対象だ。
過労死は今回の事件が初めてではなく、日本の過労死者数は世界トップレベルだ。
国には重く重く受け止めてほしい。
 
被害者側ならば、第三者は友達や家族。
日本は職業選択の自由が保証されている。
当人は、その権利を持っていることすら、社内の空気に支配されて忘れているので、友達や家族が全力でサポートしてあげるしかない。
 
 
閉じた空間の空気を吸い続けると、いずれ酸素がなくなる。
換気したり、別の新鮮な空気を吸ったりすることが唯一の解決方法だ。