日々じゃーなる

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リーダーに必要な思考と、今後のリーダーという存在

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どこにでもある自己啓発本のようなタイトルで申し訳ないが、たしかにリーダーシップという面で必要なことはある。
 
豊富な知識だったり、様々な経験だったり。
 
最近は、そういった力を総合して「人間力」と呼ぶこともあるようだが、用語として魅力がある反面、具体性はない。
 
人間力がある人がリーダーシップをとるのではなく、リーダーシップをとれている人を人間力がある、と呼んでいる印象を受ける。
 

自分より国、国家

 
自分の思う、リーダーシップをとることに必要な要素で最も大きなことの一つが、自分を最低限しか見ていない、ということだ。
 
リーダーシップというと、真っ先に思いつくのは政治家。
政治家は、誰が何と言おうと日本を引っ張っていくリーダーだ。
(誰が何と言おうと、というのは実は変で、選挙で選ばれているから当たり前)
 
では、どんな政治家が優れているのが。
それを「結果が出せる政治家」と片付けてしまえば、正しすぎる回答で、何の異論もない。
 
しかし、どんな政治家が今後リーダーシップをとって結果を出していけるのか、を予想をして投票しなくてはいけないので、結果は待てない。
 
特定のある政治家を指しているわけではないが、自分が思う「この人はやるな」と思う政治家は、自分の正しさを主張しすぎない
 
政治家は、日本の為に働く。
サラリーマンも自営業者も、周り巡って日本の為に働いているが、政治家の場合はより直接的だ。
 
そして、政治家はまちがいなく「人間」がおこなう。
人間には欲があり煩悩がある。
エゴもあるし、負けず嫌いな思考回路も多少ある。
 
その部分を冷静に把握し、その上でどういった政策を実行していけばよいかを語れる人間には、リーダーシップの資質を感じる。
 
多分、人間のどうしようもない愚かな部分はゼロにはできない。
だから、そのバランスだ。
 
どうみても、私利私欲のために理論武装しているとしか思えない政治家をみると、情けなくなる。
 

リーダーという存在のこれから

 
若干話は変わるが、今後のリーダーに対して、庶民である自分たちがどう向き合うべきかも変わりつつあるかもしれない。
 
人間力のあるリーダーを選び、その人に任せていれば大丈夫、という時代ではないと考える。
 
実は、人間力のあるリーダーを選び、その人にみんなでついていこう、というのは独裁に近い。
 
そして、時代状況によっては、独裁は非常にうまくいく。
 
ヒトラーが独裁だったので、これにより「独裁」という体制にアレルギー反応を示す人も多いが、実際に現代でもそれでうまくいっている国家もある。
 
理由は複雑だが、とにかく決定スピードが早いことがひとつとしてあげられるだろう。
(独裁失敗も同じ原因だ)
 
しかし、ヒト、モノ、カネ、そして情報の移動スピードを上がりきっている日本では、一人のリーダーや一部のリーダー集団が、それらの価値観まで含めて統制することや把握することが、現実的に不可能になってきている。
 
だとすれば、日本のリーダーが「リード」する部分というのは、今後減少していかざるを得ない。
 
簡単に言えば、自分のことは自分で考えろ、ということだ。
リーダーは、その自由を確保するための環境作りと、最低限の社会保証を維持するのが最も重要な仕事になる。
 
自分が海外に行って生活したときに、一番見えてきたのは「日本」や「日本人」であるように、グローバル化が今のように進みきった先にあるのは、グローバル化の終焉と、それによってもたらされた「日本」という国家の可視化だ。
 
つまり、世界のどこかにお手本(リーダー)をみつけて追従する段階は超えた、ということだ。
 
表現としては、リーダー不要論とも言えるし、全員がリーダーとも言えるが、結局同じことを言っているにすぎない。
 
つまり、自分のことは自分で、だ。