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日々じゃーなる

日々の生活でおもったことをなんとなく、でも結構まじめに綴るブログです

捨て猫、ボランティア、餌をあたえること

お金 日記 考え方

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自分の1日は、犬の散歩から始まる。

特別な用事がない限りは、7:30からの30分弱、近所を犬を連れて散歩する。
 
ほど近くにある「神社」にある注意書き。
 
神聖な場所です。犬、猫の散歩はお断りいたします。
 
そこから少し歩いたところに、また別の神社がある。
日本の神社の数は、コンビニの数を上回るらしい。
 
その神社付近から、甲高い声がする。
近づいてみると、猫同士のけんかだ。
 
境内を掃いていたおじさんが仲裁に入って、猫のケンカはおさまった。
 
その神社にもよく立ち寄るのだが、猫が多く住み着いているのは前々から気付いていた。
 
随分前から、この境内の掃除を日課としているそのおじさんは言う
 
「ここにいる猫達は、ほとんどが捨て猫なんですよ。
ドラマなんかでよく見るように、本当にダンボールに生まれたての猫が数匹入った状態で、この神社の端のほうに放置されていました。」
 

 

この神社にすみつく猫は、自分がざっと数えただけでも10匹近くはいる。
 
加えて、じつはここに住み着いている猫は去勢手術済みで、その費用はボランティアの人達が出し合っている、ということも、そのおじさんは教えてくれた。
 
帰宅中、月極駐車場の壁に注意書き
 
犬、猫に餌を与えてくれてありがとうございます。
ぜひフンの始末や去勢手術もお願いします。

 

 
これはもちろん、「嫌味」だ。
 

動物と人との関係はどうあるべきか

 
SNSが普及し始めた頃からだろうか。
ペット業界の闇を記事で読んで、愕然とした。
 
そんなペット屋で高いお金を払ってペットを買う人がいる。
一方、飼い犬、猫が子どもを生んで、神社に放置する人がいる。
 
ボランティアと優しいおじさんに支えられて生きている猫もいるが、役所に引き取られて殺処分になる動物のほうが多そうだ。
 
殺処分をするのにもお金はかかる。
そのお金は税金だ。
 
同じ税金を使うのならば、殺処分に相当する犬や猫にワクチンを注射を打ち、去勢手術をし、ペット屋で犬、猫の購入を考えている人の一部が、そういった犬、猫を選択する可能性を広げるために使ってほしい。
 
犬や猫に、人間が勝手に注射や手術をすることすら批判されそうだし、そこ「だけ」の理想を言えばそういったことはしないほうがよいかもしれない。
 
しかし、現実を少しでもよくする為には、現状を考えて致し方ない方法かもしれない。
 
また、これをやりすぎると、役所による民業圧迫となる可能性もあるし、何の規制もせずにこれをすると、民間はより「売上」アップを目指し、そのしわ寄せが犬、猫に及ぶ。
 
こういった予想される現象を避けるための仕組み作りは、民間では不可能。
 
過労死者が出てまでも利益を追求する民間企業が多くあるこの国において、その目的の為に犬、猫の命を、利益追求の名のもとに軽く扱う企業が後をたたないことは、容易に想像できる。
 
動物をあつあう事において、命の大切さを大前提とするのならば、そこに経済的生産性は期待できない。
それでも強引にビジネスにしようとしたときに生まれてきたのが、ペット業界の闇だろう。
 
だから、民間では無理なのだ。
動物の命を軽視する民業なら、圧迫されて当然だ。