日々じゃーなる

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紅白は変わるべき?変わらないべき?

 

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音楽と紅白

 
音楽の世界に身を置くものとしては、やはり紅白歌合戦の存在は、好き嫌いということは別にしても大きい。
 
今はそうでもないが、以前は音楽を目指しているというだけで、高齢層を中心に「いつか紅白に出られるようになるといいね」と言われていた。
 
要するに、日本において、音楽を志す人の頂点の一つが紅白だったわけだ。
 
67年前に始まり、最近までは年末の風物詩として十分過ぎる認知度を誇るが、それが音楽番組というのは、音楽の世界に生きる人間としては嬉しい。
 
しかし、その紅白歌合戦のあり方も、いまは世間から問われている。
出演者や演出を含め、迷走しているという批判の声も少なくない。
 
激動の時代において、紅白は変わるべきなのか、変わらないべきなのか。
 

紅白と視聴率

 
そもそも、紅白がその方向性を変え始めたきっかけになったのは、視聴率低迷だろう。
 
紅白歌合戦は、テレビ番組史上最高(瞬間)視聴率である85.3%を叩き出している。
数字をそのまま信じれば、見てない人が10人中2人以下ということになる。
凄まじい数字だ。
 
上記視聴率を記録したのが1963年。
それが平成に入る頃には50%前後、今から10年前頃には40%前後。
 
それでも一般的なテレビ番組としては非常に高い数字なのだが、80%を超える数字を出したことのある番組としては、絶対的な数字よりも、相対的な数字、つまり全盛期の半分程度、ということに危機感を覚えるのだろう。
 

視聴率が落ちた理由

 
この落ち込みの原因を、番組の質が低下したからと分析するのは軽率過ぎる。
番組・テレビ局にはどうしようもない時代背景が大きく影響するものだ。
 
例えば労働。昔は年末年始に働くことなんて(警察や消防、医療関係は除く)まずなくて、自分が幼いころですら、年末年始の休業に入るまでに買い物をすませていないと、年越しに困る、というくらい、年末年始はどこも開いてなかった。
もちろんコンビニはない。
 
飲食店もデパートも、大概の店は閉まっていた。
それはつまり、そこで働いている人が休んでいた、ということだ。
 
それが今はどうだろう。特に買い込みなんかしなくても困らない。
コンビニもスーパーもデパートも元旦営業は珍しくない。
 
それはつまり、年末年始に働く人が増えたということだ。
紅白は年越し直前まで放送されるが、そんな時間まで夜更かしをしても良いのは、次の日が当然のように休みだから。
かつ、その時間ももちろん働いていないから。
 
また、遊べるところも増えた。
カウントダウンパーティーは巷でどんどんやってるし、要するに年越しは家族でしっぽりと紅白を見ながら、という文化が相対的に薄れた。
 
これはまったくもって紅白のせいではない。
 

軸を持つこと

 
さて、紅白は変わるべきか。変わらないべきか。
それは正直わからない。
 
しかし大切なのは、紅白が誰のために、何のためにやっているのかということを、明確な優先順位をもって意識することだろう。
 
老若男女をターゲットにすることができないことくらい、この時代に生きている人ならば誰でも知っている。
最近だと、視聴率が30%を超える番組を探すことが難しい。
それは、いくら人気番組ですら、それを見ている人は全体の半分以下、ということだ。
人気と言ってもその程度で、それは他の場所、コンテンツに分散している。
 
そんな中で、昔の視聴率を取り戻す事が最優先事項ならば、年代別人口比率と、年代別のトレンドを徹底的に調べ上げて、そのデータと音楽をどう絡めるかを番組制作サイドがきっちりと詰めていけば良い。
 
逆に、昔ながらの雰囲気を後世にも伝えていきたいということが最優先事項ならば、低迷する視聴率を積極的に無視し、変わらないことにエネルギーを注げば良い(変わらないことにもエネルギーは多く使う)。
 
テレビ以外にもこれだけエンターテイメントツールがある時代だからこそ、自身の「軸」をしっかりと意識することが大切だろう。
 
それは紅白に限らず、個人に対しても言えることかもしれない。