日々じゃーなる

日々の生活でおもったことをなんとなく、でも結構まじめに綴るブログです

結果を出した人を尊敬しよう、尊敬「したい」人を尊敬しよう

今週のお題「部活動」

 

小・中学生の頃までは、運動部に所属していました。うち中学は入部が強制だったと記憶しています。

音楽系の部活といえばブラスバンドを思いつきますが、ピアノを習っていたこともあり、重複するのでブラスバンドに入りたいとは思いませんでした。

もっとポップスよりな音楽系の部活があったら良かったのですが、当時は自分の行った中学に限らず、そんな部活はなかったと思います。

あるとすれば高校からですね。

今はどうなんでしょう。

 

私の体育会系に対するマイナスイメージ、発端はこの時期です。

運動もスポーツも全然嫌いではないし、むしろ好きです。それは今も昔も変わりません。

しかし、体育会系のノリは苦手です。

忌み嫌っているというレベルですね。

 

スポーツは心と身体を鍛える、これは本当にそうだと思います。

うち、心については、それが礼儀や礼節と強く結びつきます。

スポーツを通じて学ぶ礼儀や礼節は多い。

 

スポーツはおそらく、国に関係なく縦社会です。

つまり目上の人間には従うのが当たり前です。

しかし、目上、目下ってどうやって決まるのでしょうか。

結果を最も大切にするスポーツでは、目上、目下も結果によって決められるべきだと考えます。

つまり、良い結果を出している人間こそ尊敬されるべきです。

 

しかし、日本でそうなっているかというと、必ずしもそうはなっていません。

日本では、とにかく一つでも年が上なら尊敬対象です。

仮に結果を出していなかったとしても、年上ならば尊敬しなくてはいけないのです。

これってかなり変だと思うのは私だけですか?

 

年が上というだけで尊敬する、ということが、何かの役に立つのでしょうか。

その風習は社会人になっても続きます。

1年でも早く入社した人が尊敬対象になります。

その中を生きてきて、それが役に立ったと感じたことは、ただの一度もありません。

逆にこんな風習なくなればよいのに、と思ったことは数え切れないほどあります。

誤解のないように繰り返しますが、礼儀や礼節に対してではなく、年上というだけで尊敬しなくてはいけない、という風習についてそう思うのです。

 

そもそも、尊敬するというのは強制されるものではなく、自発的なもののはずです。

いや、もしかして戦時中やその後の復興、高度経済成長期などの社会不安定期において、四の五の言わずに従え、という強制が組織結束力を高めたという側面もあるでしょう。

しかし、今はそれすら選択肢の一つです。そうでなくても立派な組織は多くあります。

年の上下だけで立場が決まる、その感覚抜きには良い組織はありえない、というのは、はっきり言って古いし、ほぼ思考停止と言っても良いでしょう。

 

 

部活動の思い出は、できれば良い思い出であった方が良い。

そして、辛い経験でも、それを美談として話したほうが人は救われる気がするのかもしれません。

しかし、私はそうやって自分に嘘はつきたくない。理不尽な尊敬強制の思い出は、悪い思い出、辛い思い出です。

 

今後そう思う人が出ないよう、健全な部活動が続けば良いと思っています。

 

 

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