日々じゃーなる

日々の生活でおもったことをなんとなく、でも結構まじめに綴るブログです

思い出すきっかけとしての「何か」はあってもよいのかもしれない

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※写真は、本文とは一切関係ありません

 

今日は休みだったので、まだ幼稚園に行っていない年齢の娘と2人でお出かけしました。

行き先はどこでも良かったのですが、普段あまりいかないところ、あまりお金がかからないところで絞ったところ、私の住んでいる地域で最も全国的に有名な観光地の一つになりました。

 

そこは、とある神社です。

 

ちなみにですが、観光地って地元の人はあまり行きませんよね。

その理由の一つは、近くにいるからいつでも行けると思ってしまう、ということだとおもいますが、私もまさしくそうです。

しかし、今日は平日で混み具合も大したことないので、行き先に決定しました。

混んでいると、子供連れは何かと大変です。

 

しかし、実は私の目的は、厳密に言うとその有名な神社ではありません。

そのすぐとなりにある、同じく神社ですが、あえていうならば有名ではない方の神社です。

全然有名ではありません。そして、とても小さい。

 

なぜこの神社を訪れたのかというと、私の中学時代の恩師の骨がそこに納骨されているからです。

 

 

その先生は、中学時代の自分にとっても「イケてる」先生でした。

顔が整っているとかいうわけではありませんが、生物の先生ということもあり、生物の話をするときは、先生というより寧ろ子どもの様に見えました。

スポーツ万能でいつも元気ハツラツ。でもって、体育会系の無駄な熱さはなく、スッキリした雰囲気です。

生徒と先生の距離感という意味でも今考えれば絶妙で、偉そうでもなければ、同じ目の高さというわけでもありませんでした。

 

中学卒業後数年経って一度、同窓会で会いましたが、それ以来会っておらず、次の連絡はお亡くなりになったという訃報でした。

普段の生活の中で頻繁に会っていた人ではないからなのか、冷静に悲しみました。

 

その恩師の骨が納骨されている神社が今日訪れた神社です。

 

 

私は、お墓や葬儀の存在意義には疑問を持っています。

誰かの歌の歌詞ではありませんが、故人はそこにいません。

だから、豪華な葬儀も、高価な墓石も、生きている側のエゴでしかありません。

そんな考え方なので、私自身の葬儀はしなくて良いし、お墓もいらないと思っています。

周りの人がしてくれるのは構いませんが、当の本人はそういう風に考えています。

 

しかし、故人を思い出すきっかけがあってもよいのかも、最近思うようになりました。

良くも悪くも、人は忘れていく生き物です。

故人のことは、「忘れてはいけないこと、ではない」かもしれませんが、「忘れたくないこと」である場合も多い。

私にとっての恩師もそうです。

 

それを思い出させてくれるのが、骨が納めてある場所だったりお墓だったりするのならば、それもありかなと思います。

 

もしわたしが故人の立場ならば(これは本当の意味での仮定ですが)、それをきっかけに子どもとおでかけしてくれる、というだけで結構満足だったりします。

 

 

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