日々じゃーなる

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教育者に求められる想像力

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小中学校のような、義務教育かつ集団教育の場では、学校の行事、催しに関して、誰にどんな影響があるのかを考え続けること「だけ」が、そういった行事を行っていくうえでとても重要なことだと思います。

 

この記事に書いてあることは至極全うで、傷つく子は必ずいます。

一方、傷つく子がゼロの行事って存在するのでしょうか。

運動会や遠足?

いえ、運動会でも、身体に障害を持った子にとっては辛いかもしれません。

そもそも勉強もそうです。

発達障害の認知度が高まり、クラスに1人くらいは発達障害の可能性がある子がいるということがわかった現代、一様に授業をし、テストをし、成績を出すことは、子どもにとっての不可抗力にも関わらず、発達障害の子たちを傷つけることにならないのでしょうか。

 

要するに、何をやっても傷つく子はゼロになりません。

しかしながら、それを考えて学校が何も催さないというのも極端な話です。

 

1/2成人式という行事は、私が小学生の時にはありませんでした。

また、時代背景としては、父親が外で働き、母親が家で家事全般を担当する、という家庭スタイルが、今よりも一般的だったと思います。

 

様々な価値観が多様化し、働き方も家族のカタチも多様性を持つようになった今ならば、共働きなんてちっとも珍しくありませんよね。

シングルファザー、シングルマザーも、全体からすると少ない割合ですがいます。そもそも、シングル◯◯という言葉が十分な認知度を獲得していることが、その数が決して無視できる数字ではないことを表しています。

 

私が10歳の時は、1/2成人式がなかったのですが、もしあったとしてもこういった批判も少なかったろうし、批判が拡散することも少なかったと思います。

上記したように、家族のカタチが今よりシンプルだったし、情報伝達手段が今と比べれば全然少ない時代です。

 

つまり、1/2成人式が無かった時代なら、もしあっても批判されなかったろうし、1/2成人式がある現代は、批判の的になるという「ねじれ現象」が起こっている状態だと思います。

 

 

冒頭にも書いたとおり、こういった問題に正解はありません。

もしあったとしても、それは時代によって変わり続けます。

教育者は、その変化に常に嗅ぎ取る必要があるし、同時に被教育者、つまり子どもたちにも敏感になることが、絶対に必要な義務です。

 

1/2成人式を絶対にやめたほうがよい、とは思いません。

上記したように、傷つく子がいるという理由で行事を取りやめるのならば、全行事をとりやめなければならなくなるからです

 

しかし、もし1/2成人式をやるのならば、その中には傷つく子もいるのだ、色んな家庭環境の子がいるのだ、という想像力を働かせることが大前提です。

想像力の源泉は、もちろん勉強です。情報の収集し、咀嚼することが想像力の質を上げます。

 

吉谷光平さんの漫画に出てくるような、むちゃくちゃな要求をする先生は減ることを切に願います。

 

 

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