日々じゃーなる

日々の生活でおもったことをなんとなく、でも結構まじめに綴るブログです

レールをひく、くらいまでの教育はいかがでしょうか。

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教育は国家百年の計です。

ここで言う教育は学校教育、そのあり方はもちろん、大人が次の世代に何を伝えていくのか、ということをすべて含む意味です。

時間はかかるものの、後回しも小休止もできません。

 

さて、冒頭の記事は、そんな教育のあり方について述べられた主張です。

一番重要と思われる箇所は、ここです。

 

「命令的教育」で出来上がるのは「標準的な子供」ではないかと思います。大抵の命令の尺度が「その分野の社会の平均値以上」を取れという感じだと思うので。

そしてしつこいですが「標準的な人材」はこれからの時代非常に厳しい状況になっていきます。ワーキングプアの道、まっしぐらでしょう。

 

この記事に対するコメントを見ると、賛否両論あるようですね。 

私は、大筋は賛成です。情報がいつでもどこでも手に入るようになった現代では、それに応じて価値観の多様化も日々すすんでいます。

偏差値の高い大学を出て一流企業に就職し、安定した収入を確保しながら結婚、出産、という幸せのカタチ以外にも、いろんな幸せのカタチが認められる時代になりました。

 

幸せのカタチが多様化したら、どの幸せを求めるのかを決めるのは自分自身でしかありません。

血のつながっている親ですら、その価値観が大きく違うこともよくあります。

なんといっても生きている時代が違うのです。当たり前ですね。

社会はそんなに甘くない、という意見がちっとも若者に響かないのは、激動のこの時代を大人が理解しているとは到底思えない、と若者に見透かされているからです。

 

しかし一方、だから放任して好きなことをさせれば良いか、というとそう理想通りにもいかない気がします。

コメントのどこかにも書いてありましたが、人は基本怠ける生物です。

怠け癖がついた日々を送り始めると、好きなことに没頭することですら難しくなります。

 

一度部屋の掃除をしはじめたら止まらない、という人が結構いますが、あれは実はほとんどの人が同じです。

ここから汲み取れるのは、その人が実は掃除が好き、ということではなくて、掃除をし始めるまでが最もエネルギーを使う、ということです。

 

何を言いたいかというと、命令と言ってしまうと刺々しく聞こえますが、最初のレールに乗せるところまでは、やはり周りの大人がやってあげないといけないのではないかな、ということです。

 

ピアノを習わせる親は今でも多いのですが、ピアノを習わせることを決め、そこに行かせるところまでは必要なのではないか、と思うのです。

それをどのくらい続けさせるのか、どのくらい嫌がったらやめさせるのか、ということに個人差があるとは思います。

 

言葉遊びのようにもなりますが、好きなことをやりなさい、というのですら、一種の命令ですしね。

 

ちなみに、、、

コメントを読んでいると、この記事に対して反対の立場を取る人の中に、「社会は楽なことばかりではない」という意見が結構ありました。

 

これ、よくある勘違いですね。

なぜ好きなこと=楽なことなんですか。

日本語では楽しいという字と楽(ラク)という字が同じになっていますが、この辺は国民性を表しているのでしょうか。

 

好きなことが辛いこと、苦しいことってたくさんありますよ。

私の感覚では、一流と呼ばれている人はみんなそうじゃないか、と思います。

走ることが好きなマラソンランナーも、走っている最中は苦しいでしょうし。

 

なぜか、楽しいことと苦しいことが一緒になると、苦しい方ばかりにフォーカスする癖が、日本の風潮にはあると思うんですよね。

あまり好きではない日本の側面の一つです。

 

 

 

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