日々じゃーなる

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ソフトの使い方と資料の良さは無関係

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私が以前働いてた職場にも、エクセルを方眼紙のように見立てて使う人がいました。

私は否定でも肯定でもありませんが、どちらかと言えば否定です。

どちらかと言えば、程度なのは、否定するはっきりとした理由が思い当たらないからです。

生理的に嫌、位ですね。

 

ただ、記事中にもありますがソフトなんて所詮ツールで、資料内容のクオリティーとは無関係なので、問題というほどのものではない、という主旨の主張はそのとおりだと思います。

 

ソフトを正しく使えることは、コンテンツの良さに必ずつながるとは言えません。

これはコンピュータの普及と共にソフトが普及した際、よく勘違いされました。

 

有名なのは、Adobeイラストレーター。

このソフトをバリバリ使える人であっても、豊かな発想自体がない人は指示待ちのみです。

ところが、なぜかこれらのソフトがバリバリ使える人は、素晴らしいイラストが作れる、と思われることが多い。

 

私の職業で言えば、DAWソフト。

今や作曲はDAWソフトを活用してするのが当たり前です。

しかし、DAWソフトをバリバリ使える人が、必ずしも良い曲を書けるわけではありません。

 

もしソフトの使い手が創作物のクオリティーに比例するのならば、イラストレーターの開発者はもっとも優れたイラストを作れ、DAWソフトの開発者が最も良い曲を書けることになります。

 

話が大きくそれましたが、ということでエクセルの方眼紙のように使うかどうかというのは、資料内容の重要度からすると大きな問題ではありません。

 

ただし、です。

エクセルほどの有名ソフトの場合、そのソフトを使ったファイル共有をすることが多い。

つまり、エクセルで作ったファイルをそのまま送るということです。

これは本来、送信側と受信側の双方にエクセルのインストールされているコンピュータがあることが前提のやりかたですが、普及率が高いのでこういうことも許されます。

 

この場合は、使い方が著しく違うと共同編集の時に困ります。

実際に私は、エクセルで作った資料のたたき台を上司からもらい、それに手を加えて上司に戻すということをやっていました。

その際、上司が作ってくるエクセルが無茶苦茶すぎて、修正に相当エネルギーを使いました。

エクセル方眼紙程度なら良いのですが、そんなどころではない使い方でした。

確か一つの”セル”に全てが書いてある、というとんでもないやつです。

A1に全て書いてあるわけですね。エクセルの意味が皆無に等しい。

 

そのレベルならば人と共有することを考えて改善したほうが良いですが、方眼紙は、その回りにいる人がどのくらい嫌かによっては許されることもあるでしょうね。

 

 

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