日々じゃーなる

日々の生活でおもったことをなんとなく、でも結構まじめに綴るブログです。 趣味は読書とビリヤード。仕事は音楽関係。

ポケットビリヤードの大会とアーティスティックビリヤード/楽曲と技術

ビリヤードと聞いて思い浮かぶのはおそらくポケットビリヤードでしょう。

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有名なゲームは9ボール、8ボール、最近は10ボールも盛んですね。

ゲーム毎に日本一、世界一を決める大会が開催されています。

 

しかし、これらの大会とは違う、アーティスティックビリヤードの大会というのがあります。


ARTISTIC BILLIARDS JAPAN 2015 FINAL-1 アーティスティック ビリヤード

 

アーティスティック、という名前の通り、芸術的なビリヤードです。

ワンショットで複数の球をポケットインさせたり、ものすごいドローショットを撞いて面白い球の動きをさせ、見る人を驚かせてくれます。

 

比較しやすいのは、スピードスケートとフィギュアスケートでしょう。

 

どちらもビリヤードには違いありません。

ただこれらは、共通する技術が多く含まれるものの、基本的に勝敗基準が違う、ということが大切です。

 

極端に言えば、ポケットビリヤードの大会で、いくら芸術的に球を入れても、あるのは勝ったか負けたか、だけです。

トッププロ同士の戦いともなると、一度のミスショットがゲーム自体の勝敗を決めることが当たり前のようにあります。

そうなると、普通に撞くか、バンクショットか、ジャンプショットか、いやいやセイフティーか、という選択に迫られたときに、どの選択がもっとも勝ちに近づく可能性が高いか、という基準でショットを選択します。

どれだけ地味なショットでも、勝てばよいのです。

どれだけかっこいいショットでも、負けたら終わりです。

だから、トッププロ同士の試合は、あまりポケットビリヤードを知らない人が見ると、結構地味に見えます。

バンクショットやジャンプショットは全体の1割以下の確率でしかショットされません。

当然です、レギュラーショットに比べて成功率が落ちるからです。

 

アーティスティックビリヤードは逆です。

球が入れば良い、というだけではだめです。見ている人をどんなショットで驚かせ、感動させるのか、ということが大切です。

 

繰り返しますが、キューで球を撞くという行為はどちらも同じなので、片方が超上級者で、もう片方が初心者級ということはありません。

ただ、トップレベルの戦いになると、自分でない方の分野では勝てない。

これもスケートと同じですね。

 

 

音楽です。

音楽は芸術です。

アーティスティックビリヤードは芸術であり競技もありますが、音楽は競技すらありません。

コンテストはありますが、いわゆる競技の勝敗決めとは質が大きく違います。

 

ここで何を言いたいのかというと、音楽をポケットビリヤードやスピードスケート的にとらえている人が少なくない、ということです。

ギターがめちゃくちゃうまい、ということと、楽曲が良い、ということは全く無関係とはいわずとも、基本関係ない、と言って良いでしょう。

 

音楽の場合は、音楽理論の知識も技術に含めて良いと思いますが、難解なコードやスケールを使った曲が優れた楽曲だという価値基準も、これまたずれています。

すくなくとも大衆音楽では、あえて基準を求めるのなら、どれだけたくさんの人に感動を与えるのか、ということです。

そして、その感動量はおおまかに(おおまかに、ですよ!)CDや配信による売上に比例します。

 

いま現在アマチュアで、将来プロのミュージシャンになりたいという夢を描いている人がいたら、その人はこの辺をよく知っておいたほうが良いと思います。

 

プロになるために技術は必要ですが、技術向上のため「だけ」の努力をし続けてもプロには到底なれません。

 

それは、いくらポケットビリヤードで勝つ訓練を続けても、アーティスティックビリヤードの大会では上位に食い込むことが難しい、ということと同じです。

 

また、スケート選手がいくら速く滑るような鍛錬をしてもフィギュアスケート選手にはなれないことと同じです。

 

要するに、音楽という芸術においては、技術と良さが別々に存在し、各々は無関係ではないけれど一致もしていない、ということです。

これは音楽に限らず、絵でも文学でも陶芸でも同じです。

 

ギターがうまくなりたい、、ではなくプロのギタリストになりたい、と思うのならば、プロのギタリストを研究しましょう。

その際に、技術「以外」の部分にどれだけフォーカスできるか、ということが将来を大きく左右するでしょう。