日々じゃーなる

日々の生活でおもったことをなんとなく、でも結構まじめに綴るブログです。 趣味は読書とビリヤード。仕事は音楽関係。

大人になる〜寛容と鈍感

大人はいつも自分勝手? 「中高生の電車マナー批判」に10代学生が怒りの猛反論(Jタウンネット) - goo ニュース

 

勝手なもんですよね、大人って。

という私も、どう考えたって大人の年齢なので、気をつけないと。

 

学生は勉強が本分。

満員電車は誰のせいでもないけど、大きな荷物が邪魔になるのも事実。

私だったら、「じゃあ教科書とかを電子化やクラウド化すればいいじゃん」と思うのですが、「勉強は紙の教科書で読んで、鉛筆で書いて、が当たり前だ」みたいなことを言って反対するのもだいたい大人です。

 

で、記事にあるように自転車で行こうとすると、校則で禁止。

校則を作るのも大人です。

 

大人になる、というワード、ありますよね。

この言葉の中には、いろんなことに寛容になる、という意味が含まれているように思います。

でも寛容になることと、鈍感になることは違います。

 

何を言いたいのかというと、大人だって昔は子どもや学生だったわけで、そのときにはそのときなりの理不尽さを大人から強要されていたのではないのかな、と思うわけです。

 

で、それを「そういうもんなんだよ」と受け入れていくのは、寛容であることではなく、単に鈍感になっているだけじゃないか、と思うのです。

 

私は典型的な「なんで・なんで」小学生だったので、先生がシャープペンシルを使っているのに生徒のシャープペンシル使用禁止について、先生に理由を聞いたことがあります。

 

当時の先生は、大人になったらわかる、とか、字が綺麗に書けるようになったらもう一度聞きにおいで、といった全く意味のわからない返答をしていましたが、ちゃんとした答えはいまだにわかりません。

 

この件で言えば、大人になる、ということは

 

「先生も上からの命令で規則に従わせているだけで、理由はわからない、という状況の中、ふわっとした返答しかできなかったんだ」

 

と捉えることだとは言えなくもない。

大人の事情、ってやつですね。

 

でもそれは決して

 

シャープペンシルは、よくわからんけど小学生には使わせないほうが良いんだ」

 

と考えることとは別です。

むしろシャープペンシル禁止の理由は、大人になってからさらに考えていかなくてはいけないこと、だと思うのです。

 

学生のころ疑問におもったことや理不尽さは、大人になっても、たとえ周りから面倒くせーやつだな、と思われても、忘れることなく思っていたほうが良いと思うのです。

 

それが、社会をちょっとだけ良くしていくのだと思います。

だって、私が思う、今改善されていってることって、小学生でも思いつくようなことばっかりですもんね。