日々じゃーなる

日々の生活でおもったことをなんとなく、でも結構まじめに綴るブログです。 趣味は読書とビリヤード。仕事は音楽関係。

それでもやっぱり体罰はだめです

https://togetter.com/li/1312686

武井壮さんのツイートが荒れています。 私は武井壮さんの考え方に賛同します。

これのもととなった生徒と教師のやりとりは動画で見ました。 本当にひどいもので、手を出すことができない教師という立場につけこむ悪意がたっぷりです。

しかし、だからといってそれに体罰で対応してよいか、というと、私はそうは思いません。

あの状況での体罰は仕方ない、という意見は冒頭のまとめにいろいろと書いています。 その多くは、罪と罰の捉え方をもう一度考えてほしい、と感じるものです。

上記したように、あの生徒たちの行為は許されるもの、とは全く思いません。 それは武井さんも同じだと思います。

しかし、それ(罪)に対する対処(罰)はどのように行われるのかは、その場で感情的に個人が決めて良いものではありません。 情状酌量の余地はありますが、それでもルールを犯したことを正当化することはできません。

罪と同じだけの罰を与えるのが当たり前、という考えならば、過失による交通事故で人をはねた人は、車にはねられることによって罪を償うことになります。 そんな社会は健全と言えるのでしょうか。

今回の件も、生徒の行動の悪意が行き過ぎているので、(体罰禁止という)ルールを破っても良いのだ、ではなく、その罪に対するちゃんとした罰(つまりルール内の罰)を与えるべきだと思います。

繰り返しますが、ちゃんと罰は与えるべきですが、それがその場の体罰、暴力によって与えられるものであってはならない、と思うのです。

そのためには、教師は何があっても体罰をしてはならない、というルールとともに、それに代わる罰を与える権限(の一部)をもたせることが必要です。

その場で即刻謹慎処分にする権限を与える。 学校内にカメラを設置し、後に確認できる。 校内のことであっても警察を呼ぶことができる(生徒から教師への暴力でも当然法律に抵触します)

こういったルールを作るのには時間もお金もかかりますが、いちはやいルール作りが必要だと思います。 しかし少なくとも、そのルールができるまでは、何があっても既存のルールを守る、つまり体罰は絶対にしない、ということは守らなくてはいけないでしょう。

ちなみに、このまとめのタイトルに「おまえが教師をやれ」という一文があります。 当事者の気持ちになって考えたことが常に正しいとは限りません。

上と同じ交通事故を例に取れば、過失によって自分の子供を亡くした親ならば、それがたとえ過失であっても運転手を死刑にしたい、と思う人は多くいます(全員ではありません)。 遺族の立場に寄り添うことと、その意見を普遍的に取り入れることは別です。

とにかく、現在の生徒、教師の間のルールには欠陥が多すぎます。 その歪がこういった事件に顕れるのです。 歪は歪であって、それに正当性をはめこむのは危険だと感じます。