日々じゃーなる

日々の生活でおもったことをなんとなく、でも結構まじめに綴るブログです。 趣味は読書とビリヤード。仕事は音楽関係。

スポーツ界の空気

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180820-00000559-sanspo-spo

最近、スポーツ界の不祥事が後を断ちません。 旬な話題に乗っかって販売部数を増やしたり視聴率を上げたりしたいマスメディアの報じ方なのかもしれませんが、それにしても、という感じがします。

私は昔からスポーツ、、、ではなくスポーツの空気が嫌いでした。 全部が全部ではないし、昔と今は違うのかもしれませんが、少なくとも私の学生時代では

  • 縦社会が極端に厳しい
  • 苦労礼賛
  • 合理性を嫌う

といった空気が満載でした。

縦社会は本当にひどくて、先輩が言ったことは黒のものでも白となる、みたいなことが本当にありました。 たぶんチームスポーツにおいて、組織論的な観点からすると、監督、キャプテンみたいな立場の人がいて、他の者を指示に従わせる、というのが統率をとるという意味で良い、というところあたりが発端ではないかな、と思います。 確かにそうなのかも知れませんが、一つでも年齢が上ならば、実力が下でも従うのが当然、みたいなのは少しも理解できません。

そういう先輩が後輩に強要することの中には、苦労礼賛としか思えないものがあります。 例えばあまりにも厳しいトレーニングのため嘔吐した後輩に、「吐くぐらい頑張った証だ、最後にそのゲロを全部飲み込め」みたいな、聞いているだけで気持ち悪さがこみ上げてくるようなことを言った先輩もいました(事実です)。

レーニングのしすぎで嘔吐することが、その人の能力を本当に上げることになるのか、ということをちゃんと検証して、指導方法を見直そうとすると、こういう世界では大概嫌われます。合理性なんかよりも、気合、根性、忍耐がずっと上位にあるからです。色々お勉強する暇があるんなら、もっと練習しろ、的なやつです。 これも極端ではありませんよ。ウサギ跳びが本当は役に立たない、みたいな本を読んで、さらに自分でも調べて、当時在籍していた部活の監督に伝えたら「役に立つかどうかを決めるのは俺だ、くだらんこと言ってないではやくウサギ跳びをやれ」と言われました。 ウサギ跳びが役に立つかどうかを決めるのは監督なんですか?

そういう考えは結果的にこういう発言に至ります。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180821-00000015-jct-ent

合理性を排除するというのは、「頑張った姿を見せれば、例えばその本人が選手生命を断たれれも致し方ない」という考えすら成り立っちゃうんです。

体育会系の部活に入って、その哲学(とすら呼べませんが)を刷り込まれた人が会社組織に入って、同じ考えを周りにも強要しようとするのを幾度となく見てきました。 本当にやめていただきたい。

スポーツ自体は全然悪くないし、むしろ良いものです。 しかし、スポーツ組織、その分子である人たちがスポーツそのもののイメージや発展を阻害していることに早く気づくべきでは無いでしょうか。