日々じゃーなる

日々の生活でおもったことをなんとなく、でも結構まじめに綴るブログです。 趣味は読書とビリヤード。仕事は音楽関係。

ビーガンは真正面からうったえるべき

https://jp.sputniknews.com/life/201803304726812/

日本でクジラを食べることも世界から非難を浴びましたが、基本的には何を食べるかは個人的なもので、他への強要は認められません。

私の身近にも1人、ビーガンがいます。ちなみに念のためにビーガンのことを説明すると、いわゆる絶対菜食主義者ですね。肉や魚だけでなく、卵やはちみつも食べないそうです。

勝手にやってくれる分には構いません。しかし、それを人に強要したらアウトです。 さすがに強要する人は少ない(実際できませんよね)のですが、啓発する人は多くいますね。セミナーなんかも開かれています。 そういうのも自由と言えば自由ですが・・・

医学の否定はダメ、ゼッタイ

ビーガンと健康が密接に関係している為、そのセミナー内では医学的な内容もよくでてきます。あと統計ですね。 これらで嘘があったらまずい。ここで、「医者の言うことなんてあてにならない」なんて言い始めたら本当にヤバイです。

自分の思想の正しさをうったえたいために、既存の科学を否定するのは、あってはならないことです。

もしビーガンの人たちがその素晴らしさをうったえたかったら、それこそ真正面からうったえるのが一番です。医者の言うことなんてあてにならない、とうったえている先にいる人の殆どは、まず生まれる時に医者の世話になっています。医者に全く関わらず一生を終える人なんて殆どいないので、説得力に欠けるわけです。

この記事でも、店の前で抗議活動をするくらいなら、ビーガンとして国会議員に立候補して、肉や魚を食べてはいけない法律でもつくれば良い。真正面からうったえる、とはそういう意味です。 プラカード持ってワーワー騒いだり、店の妨害をしたりするのはあまりにも非生産的です。 まるでどこかの国の政党のようですね。

道義的な意味は、ある程度理解できるものの

あと、人が生き残るためだけに、大量の家畜を故意に生み出しては殺す、という行為に対する反対、つまり道義的な意味での反対もあります。 こっちのほうが健康面での反対よりはまだ理解できます。 しかし、人はどうあがいても動物です。生き残るために他の動物を摂食するという行為からは逃れられないのではないでしょうか。 道義的な部分は確かにあるので、私はテーブルに出された料理は、残さずきれいに食べるように心がけています。それが命を食す礼儀だと思っています。

道義的な部分を考えて、これから肉や魚を食べなくてもなんとか人が生き残っていけるような技術開発が進むのかもしれませんし、それは素晴らしいことだと思います。 ただ、今日からそれをやるのはかなり困難でしょう。