日々じゃーなる

日々の生活でおもったことをなんとなく、でも結構まじめに綴るブログです。 趣味は読書とビリヤード。仕事は音楽関係。

小室哲哉さんの引退ニュースをみて思ったこと〜その3

—-昨日の続き—– ※小室哲哉さんの引退ニュースをみて思ったこと〜その1小室哲哉さんの引退ニュースをみて思ったこと〜その2

罪と罰

この内容を「その3(最後)」にしたのは、もっとも憤りを感じるところだからです。 先日までの投稿にも書いたし、世間でも十分に知れ渡っているところですが、小室哲哉さんの音楽業界に残した偉業は凄まじいものがあります。 今のJPOP界で、(好き嫌いとは別に)小室さんに全く影響を受けていない人というのはほとんどいないのではないでしょうか。

それは偶然でも運が良かったのでもなく、小室さんの音楽的能力が素晴らしいからです。 そうでないと、あれだけたくさんの名曲を世に残すことはできません。

今回、日本の音楽業界は、小室さんを失ったことになります。 理由は色々ありますが、きっかけになったのは不倫報道です。

もうね、本当にいい加減にしてほしい。

私は、不倫が悪くないと言っているわけではありません。 読んで時のごとく、倫理に悖る行為なので、悪いことくらいわかっています。

だから、それに対してはちゃんと謝罪しなくてはいけないし、罪を償わなければいけないでしょう。

しかし、その罰はどのくらいが適切なのでしょうか。 1人の有能なミュージシャンを引退に追い込まなければいけないほど悪いことなのでしょうか。

いや、有能かどうかはこの際あまり関係ありません。 人の人生をこれほどまでに変えてしまわなければいけないレベルの罰は、罪とのバランスがとれているのでしょうか。

私は到底そう思えません。

第一、小室さんが不倫をして迷惑をかけられた人は、数えるほどしかいないでしょう。 反面、小室さんの音楽が夢や希望を与えた人の数は、数え切れないほどいます。 このバランスもとれていません。

小室さんは誰もが認める優れたミュージシャンですが、ミュージシャンの前に人間です。 人間は必ず欠点もあるし、間違いも犯します。 その欠点や間違いで、最も秀でた能力を使うことが許されなくなる、という社会は、つまり伸びしろゼロの社会ということになります。 不倫でミュージシャンをやめなければいけないのならば、自転車の二人乗りでも、原付きの2段階右折をしなかっただけでも、ミュージシャンをやめなればいけないのでしょうか。

私たちが失うもの

こんなに素晴らしいミュージシャンを日本の音楽業界は失うのです。 直接関係のない人にとっては、こんなにもくだらないことで、です。

昨年あたりから、不倫報道が加熱していますが、それが社会にもたらすプラス面とマイナス面を、私たちは本当に考えなくてはいけない時期にきていると思います。

すくなくともこれから数年は、不倫関係のニュースは主要ニュースでは聞きたくない気持ちでいっぱいです。