日々じゃーなる

日々の生活でおもったことをなんとなく、でも結構まじめに綴るブログです。 趣味は読書とビリヤード。仕事は音楽関係。

"議論"論

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議論だ。
日本は、議会制民主主義だ。
 
と書くと、それはそれは堅い印象を受ける。
しかし、議論、つまり話し合いでものごと決定していくということは事実で、この仕組はそうそう変わらないだろう。
 
かくいう、自分は議論が好きだ。
何かテーマを決め、それに対する意見、主張を出し合う。
すると、自分一人では到底考えもつかない意見が出てくる。
 
議論の魅力はここだ。
 

議論の「楽しみ方」は、勝敗ではない

 
議論は意見主張をぶつけあう、言葉の格闘技といった側面もあるかもしれないが、それよりも「お!そういう考えもあるのか」といった発見、気付きの側面に着目すると、格闘技の敗者が感じるような悔しさは生まれない。
 
つまり、議論が「どちらが(誰が)正しいか」ではなく、「どんな意見があるのか」を発見する場や時間となれば、議論は楽しめる。
 

結果を「出さなくはいけない」議論もある

 
一方、議論の日本最高峰は国会で、国会においてはそんな悠長なことは言ってられない。
政党や議員が意見を述べ、それに反論をし、その議論を踏まえた多数決で「結果」を決めることこそが、政治家の最重要業務だ。
 
「色んな考え方があるものだなぁ」なんて気楽に考えていては、予算も法律も決まらない。
 

マイノリティーは、敗者ではない

 
しかし、だ。
結果を出すことが、議論の存在意義の絶対条件となるのは危険だ。
なぜなら、結果、つまり格闘技のように勝者、敗者がはっきりわかれることにむかうときに、全ての人は「勝ち」を目指すのであって、そのときに「負け」の方のことなんて全く考えない、ということになってしまうからだ。
 
格闘技ならば、自分の勝利のことを考えていればよいのかもしれない。
しかし、議会におけるテーマと、その結果は、多数決で負けた方の意見を包含しているものでないと、マイノリティーをことごとく排除した空気が作られる。
 
簡単に言えば、多数決で52対48で可決された内容には、48の反対があることをしっかりと踏まえる必要があるということ。
 

議論を楽しむために

 
大人になって、社会に出て、必要に迫られて議会(議論)に参加した場合、議論が勝ち負けを決めるものだというスタンスしかないと、それはその議論における勝者の自己満足と、敗者の落胆しかうまれない。
 
これを避けるためには、大人になるまでに議論に慣れ親しんでいることが必要だろう。
結果を出す必要のない議論は、それに縛られないからこそ、「色んな考え方があるものだなぁ」と気楽に言える。
 
繰り返すが、国会の議論ですら、結果が出た後でも、この「色んな考え方があるものだなぁ」という意識を持ち続ける事が、多数決で勝った方にも負けた方にも必要だが、結果ありきの議論が初めての人に、この仕組は理解できないだろう。
 

くだらないことをテーマにした、議論ゲームがおすすめ

 
大人になるまでに、議論をしよう。
そして、そのテーマは、一般的に「くらだない」ことの方が良い。
なぜなら、その結果が一般的に「くだらない」こと寄りであればあるほど、結果にこだわる空気がうすれるから。
 
安保法案に賛成か反対か、といった全く「くだらなくない」テーマにしてしまうと、その結果(の集まり)が本当に日本の行末に影響しそうだが、例えば「赤と黄色は、どちらがかっこよい色といえるか」というテーマならば、結果なんでどうでもよいことなので、その間にかわされる意見、主張の方にフォーカスが向く。
 
なんだって良い。
わさびと辛子はどちらが良いか(健康は無関係で)
曇りと雨は、どちらの方が不快か(結果を出したところで、天気は変わらないし)
カレーライスは混ぜながら食べるか、混ぜてから食べるか(どっちもうまけりゃいい)
 
こういった議論を、ゲームのようにやれば、結構面白い。
そして、おすすめは、A案、B案のどちらに自分がつくかを、自分の意見ではなく、強制的に決められる、という仕組み。
(これは、ディベートである仕組みと同じだ)
 
こうすると、本来自分が持っている意見と反対の主張を論理的に組み立てないと、プレゼンテーション力が弱くなる。
そして、自分の意見と反対の意見を、発信する側にたったうえでものごとを考えたときに、はじめて気づくことも、実はかなり多い。
 
議論ゲームはおすすめだ。
楽しいし、ためになる。
言うことない。