テクノロジーと年末年始の儀式的なものは、どことなく親和性がない。
確かに、テクノロジーの根本的目的は「利便性」であり、年末年始の儀式的なものに利便性を求めても仕方ない。
しかしどうだろう。
テクノロジーだってそもそもは利便性の先にある「幸福感」や「満足感」を得るために利用している手段に過ぎない。
つまり、最終的な目的達成の手段でテクノロジーを利用する、というのは既に行われていることだ。
例えば三社参り。
初詣で神社を周るのは、それによって利便性が上がることを期待しているわけではないだろうが、自宅から神社までの距離が遠い場合は、車や電車などを使う。
また、神社の開門時間を調べたり、しきたりを学んだりする為にインターネットを使う人も多いだろう。
もし神様がいたとして、手段としてテクノロジーを使うことでご利益をなくす、なんていうことになったら、それはあまりにも器の小さな神様だ。
◆
神社につきものなのが、賽銭。
そういえば昨年は、賽銭泥棒もニュースになった。
福岡市内の賽銭泥棒を逮捕 佐々木良太容疑者:護国神社や鳥飼八幡宮の賽銭箱事件と同一犯との見方強まる | MoreNews
こういった犯罪は許されないと思う一方、考えてみれば、誰もが賽銭箱の中に現金があることを知っていて、銀行ほどのセキュリティーもかかっていないことも知っているのに、それを盗む件数がさほど多くないということにも驚く。
もとより犯罪の少ないことに加え、ばちあたり的なことを怖れる日本人の国民性が犯罪抑止につながっているのかもしれないが、ヒト・モノ・カネ、それから情報が動く量が飛躍的にあがっている現代ではそうも言っていられないのではないだろうか。
賽銭という儀式を残しつつ、犯罪も防ぎたい、というときにもテクノロジーは不可欠。
現代ですぐにできる方法は、賽銭の電子マネー化だろう。
単純に、そこに現金がないので、盗むのは不可能。
色々と問題もあるだろうが、現状よりは少なくともセキュリティー面では改善される。
最も問題になるのは、気分。
つまり、電子マネーで賽銭をしても、気分がのらない、ということだろう。
テクノロジー好きの自分でも確かに、賽銭を電子マネーでというのはどうだろう、と思うのだが(もともと賽銭というものに対しても疑問視していることも理由)、調べるとなんと既にあった。
考えてみれば、現金では気分が出て、電子マネーでは気分がでない、というのも変な話だ。
そもそも現金には交換価値しかないし、現金自体に何かが宿っているというのも聞いたことがない。
つまり、電子マネーとさほど変わらない。
テクノロジーを駆使して、様々なことをよくしていける可能性があるのならば、積極的に取り入れてほしい。