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自己責任という言葉は、何年か毎にニュースを騒がしている印象があります。
強烈に印象に残っているのは、紛争地域に行ったルポライターやカメラマンが現地で拘束された時に、税金を投入して助けるかどうか、といった議論があったときです。
確か解放されて後帰国した空港では、自己責任という言葉を書いたプラカードを持った人が集まっていた記憶があります。
私の考えを言います。
私は、一般人においては、その行動は基本的に全て自己責任だと思っています。
合法の範囲ならば何をやっても良い。その代わり何があっても受け止めなさい、ということです。
私は音楽が仕事です。日本に限らないかもしれませんが、音楽が仕事、というのは会社員と比較して、どこか遊びの延長でお金を稼いでいる、という見られ方をされがちです。
これは決して間違っていないのですが、その見られ方が批判的になることも多々あります。
しかし、これは音楽の世界に自分の意志で入った以上は、受け止めるしかありません。
それが嫌ならやめるか、自分の力で変えていけばよいのです。
社会のせいにするのは筋以外で、もし社会のせいにしたいのならば、理屈上、社会の方からも法律以上の強制をされることを認めなくてはいけません。
これが健全な社会とは言えないと思います。
しかし、これは一般人における考え方です。国や政府がこのような考え方になると、ややこしいことになってしまいます。
そもそも、法律を作るのが国会だからということもありますが。
例えば生活保護制度というものがあります。
不正受給もありそれはそれで問題ですが、実際生活保護を支給されている人の殆どは、本当に経済的に困り果てている人たちです。
自由競争の上その戦いに負け、貧困を強いられている人たちに対して、自己責任を国レベルで言うということはつまり、何の救済もしない、ということになります。
簡単に言えば、自己責任なんだから死んでも仕方ない、となります。
そんな社会や国家はちっとも魅力的ではありません。
国や政府は、国民にできるだけ自由に競争をさせる権利を与えるべきですが、国民の命だけは必ず守る、という最後の最後の保証だけは保持していてもらいたい、そう思います。
上記した、紛争地域に入ることを警告したにも関わらず、それを聞かず拘束されたから殺されても知らないよ、ではなく、やはり全力でその人の命は守るという国、政府であってほしい。
その分の罰則は与えて良いと思いますが、それと、自己責任という名のもとに見殺しにするのは全然違います。
国や政府が自己責任という言葉を使う時は、本当に気をつけてほしいものです。
世界で最も素晴らしい国というものをあえて決めるとすればそれは、命を最も大切にする国ではないでしょうか。