やっとという感じがします。
映画などでも取り上げられることの多い痴漢冤罪。
もし自分がその被害にあったらと思うだけでぞっとします。
実際に、私は中学生の頃電車通学だったのですが、痴漢に間違われた事があります。
といっても、表立って「この人痴漢です!」と言われたわけではなく、激しく睨まれただけです。
結局なにも起こらなかったのですが、ものすごく嫌な感じが残り、そのときのことは今でも鮮明に覚えています。
痴漢冤罪には2種類あります。
本当に痴漢の被害にあった人が、加害者を間違える、または、混雑した電車の中で誰かの手が当たっただけなのに、それを痴漢だとみなしてしまう、といった「間違え」タイプ。
もう一つは、ある人を陥れるために、本当は痴漢にあっていないのに痴漢だと騒ぎ立てる、「故意」タイプ。
後者は、世の中に悪い人がいる限りなくならないことかもしれません、残念ながら。
一方前者は、勘違いが引き起こすもので、これはシステムで改善していくべきです。
冤罪で訴えられた方は、本当に人生が激変しますので、早急な対策が必要です。
冒頭の対策、防犯カメラ設置は、町中にこれだけたくさんの防犯カメラが設置されている現代で、なぜこんなに遅れたのか不思議です。
カメラ設置はもちろん、後者の「故意」タイプも防いでくれるし、痴漢以外の犯罪(テロ)防止にも役立ちます。
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犯罪を未然に防ぐためには、カメラの設置なんかは当たり前ですが、こういったことがスムーズに進まないのは、私たちの方にも覚悟がないからかもしれません。
というのは、防犯の為のカメラ撮影はプライバシーの侵害にもなるからです。
ちゃんとテロ対策しろと訴えることと、プライバシーは守れと訴えることは、わかりやすい矛盾です。
そして、あまりやりたくないものの、防犯とプライバシーを天秤にかけたとしたら、やはり防犯に傾くのではないのでしょうか。
つまり、私たち庶民は、プライバシーを晒すことをある程度受け入れる覚悟をしなくてはいけない、ということになります。
国会もネットで見られる時代だからか、政治に関心がある人も周りに若干増えた気がします。
関心があるということは良いことですが、それが画面の向こうで行われていることではなく、実際の自分達の生活につながる、ということを意識する必要があると思います。
そうでないと、上に書いたような矛盾した2つを同時に訴えるような人が出てきてしまいます。