なんとも情けない記事です。
何が情けないって、経済的には世界トップレベルの日本は、社会の成熟度ではかなり低い、ということがです。
昔はこういったことは多かったでしょう。
私が学生の頃でもそうでした。生活指導の先生(大抵は体育教師)が生徒に規律を守らせるわけです。
規律は大事です。遅刻しないように、とか持ってきてはいけないものを持ってきた場合に指導するなど。
指導する際に、学生だと結構な体力がすでにあるので、ナメられないよう体育教師が生活指導担当になるのでしょう。
私の友人に、爪がえらく短い人がいました。短いのは切っているからだろう、というのはその通りなんですが、その子は爪の先の白い部分が、かなり短く切っても残るのです。
生活指導の体育教師は、白い部分がなくなるまで切れ、と散々指導していましたが、その友人の場合そこまで切ってしまうと、普段の行動で痛みがあるレベルです。字を書くのも痛いらしいです。
それでも体育教師は譲らず、その友人はいつも手先が痛そうにしていたのをよく覚えています。
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茶髪禁止、爪の白い部分禁止。
これらはルールなので、たしかに従わせなければいけません。
しかし、ルールには必ず例外を用意して柔軟性を持たせないと、殺伐とした社会になります。
多様性を目指す社会で「ルールだから守れ、ごちゃごちゃ言わずに守れ」というのはあまりにも時代に逆行しすぎです。
今回の茶髪の子は、地毛が茶色、私の友人は爪がそういった体質なのでしょう。
ルールの柔軟性にこれらが含まれないのならば、もう学校は独裁社会と同じです。
中学は公立なら選択肢がありませんし、先生も選べません。高校は選べますが、入学時にそこまで確認することは実質不可能です。
そもそもですが、なぜ茶髪はだめなのか、爪の白いのが残るのはだめなのか、という問題もあります。
茶髪は不良のイメージがある、という見方はあまりにも古すぎる。外国人だってたくさんいます。うちの娘の幼稚園にもいますよ。
記事では、「たとえ金髪の外国人留学生でも規則で黒染めさせることになる」とありますが、なぜそこまでして全員を黒にしたいのか問うてみたいですね。
ルールを変更して、地毛ならOKにすれば良いだけでしょう。
爪もそうです。爪は長かったら危ないのはわかります。だから短くしているわけで、白い部分が残るかどうかなんてどうだっていいでしょう。
こういう時に、学校側がよく使う言葉があります。
学生らしくあれ、です。
中学生らしい、高校生らしい、という言葉は、どこまでも抽象的です。
私の思う学生らしいは少なくとも、生まれつきの体質にも関わらず先生に怒られ続けて心を痛めている様子ではありません。
教育現場の一部の先生には、そんな当たり前の感覚が欠落しているのでしょうか。
本当に情けない限りです。