日本には「出る杭は打たれる」ということわざがあるように、抜きん出た人が批判されることが当たり前、といった風潮があります。 批判自体は悪いとは思いません。それによって改善されることってたくさんあります。
ただ、よく知らないけれど有名というだけで批判、というのはあまり生産的ではありませんよね。
ZOZOの前澤社長のお年玉が話題になりました。 これに対して批判する人いますね。
別に前澤社長が好きかどうかを各々が述べるのは勝手だと思いますが、それはひとそれぞれなので普遍的とは言えません。 批判の矛先が例えば政治家ならば、私たちの投票によって選ばれた人なので批判する権利はあると思います。 しかし、民間の会社の社長の行動をまるで一般論かのように批判するのはいかがなものかと思います。
そして、批判している人のほとんどはおそらく、前澤社長をメディア上でしか知りません。 メディアというのは、とりあえず派手なことを記事にします。 前澤社長ならばその膨大な資産や、宇宙に行くことや、恋人が芸能人であることなんかですね。
あたりまえですが、あれだけ大きな会社を作ったという部分だけ見ても、経営者としては相当に優秀です。
「あいつは胡散臭い」 「バブルの落とし子みたい」
こういうことを書く人がいますが、こういう印象ってほとんどメディアの情報によって確立されたものです。
言った言葉が差別的だとか、倫理に著しく反しているのならわかります。 しかし「胡散臭い」って全く根拠がありません。「〜みたい」も同様です。
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相手が有名人だからって、イメージだけで個人攻撃をするのはいかがなものかと思います。 繰り返しますが、それがイメージだけではなく、なぜ批判しているのかがはっきりしていればよいのだと思います。
まあ、その境が難しいんですけどね。