日々じゃーなる

日々の生活でおもったことをなんとなく、でも結構まじめに綴るブログです。 趣味は読書とビリヤード。仕事は音楽関係。

嫁、姑問題、男に求められるもの

嫁、姑問題は、個人主義的な考えがだいぶ広まってきた現代とはいえ、いまだに良く耳にします。 でも、これって考えたら起こって当然だと思うんです。

兄弟、つまり血もつながっていて、かなり近い環境下で育った人間同士でも、主張の違いで喧嘩になることは多々あります。 兄弟ならば、言いたいことが言える間柄なのでまだ良いのかもしれませんが、嫁、姑となるとパワーバランスが悪すぎます。

また、私の周りでよく聞く嫁、姑問題は、大抵の場合双方に悪意や悪気はない。 ただ、気遣いの行き過ぎがやがてストレスに変わる、ということが多いようです。 どっちかがはっきりと悪いのならば、いくら年齢差があるとはいえ、もうちょっと解決しやすいでしょう。

さて、こういう時にいつも思うのは、唯一の仲介役である男は一体何をやっているのか、ということです。 加えていえば、適切な距離感の重要性も思います。

最近はマザコンという言葉もあまり聞かなくなりましたが、潜在的には結構いるのでは、と思っています。 しかし、よく考えてみてください。 母というのは、物心つく前からずーーっとその子を育ててきたんです。 人格が形成されたり、物事の価値観が定まってくるポイントにも、そこに母は大きく影響したはずです。 一方、付き合って結婚してという妻。いくら愛し合っているといっても、根源的な価値観や哲学は、妻よりも母の方に近いのは、ある意味当然ではないでしょうか。

だから、何かで自分の母と妻がもめたとき、その内容を聞いたら、母の方が正しいんじゃないかな、と思ってしまうことがあるのは、マザコンでなくても起きることだと思います。 しかし、これに従って行動すると、妻の味方はいなくなりますね。

では男はどうすべきか。 私は、母と妻の適切な距離感をコントロールしてあげるべきだと思います。これは間にいる男にしかできません。

母から妻へ用事があって連絡するときは、必ず男を通じてさせる。 会うときは必ず同席する。 何かで母と妻がもめたときは、双方の言い分を個別に聞く。 これくらいは至極当然のことです。

一番まずいのは、「うちの母は良い人だから大丈夫」と男が言っている場合。 こういうことを言う男は、何が嫁、姑の問題になっているかが全く理解できていません。 無知の知、といいますが、正直嫁、姑の間の問題を本質的に男が理解するのは不可能だと思います。

何が問題なのかわからないという前提に立てば、その問題が起きにくくするよう調整するしかない、ということです。

「母も妻も今や一つの家族なんだから」という伝家の宝刀的な価値観は捨てろ、とは言いませんが、その価値観によって特定の人に過度なストレスがかかるのだとしたら、家族ってはたしてなんなんだろう、と思っちゃいます。 長い目でみれば、それこそ家族の崩壊につながるのではないでしょうか。

男性諸君は、改めてよーーく考えておきましょう。