日々じゃーなる

日々の生活でおもったことをなんとなく、でも結構まじめに綴るブログです。 趣味は読書とビリヤード。仕事は音楽関係。

絶対に解決しなくてはいけない問題

 
同じ年頃の娘がいる自分としては、本当に読むのが辛い記事だ。
こんなことは、いかなる理由があっても、起こってはいけない。
 
3歳くらいなら、大人が思う以上にいろんなことを理解し始めているはずだ。
 
母親という存在、その母親がイライラしていること、
その原因が自分自身にあるかもしれないこと、
「それ」が起こったときに母親が何を自分にしようとしているか、、、
 
子どもの頭の中は覗けないし、発達に不安を抱えていたというから、もちろん本当のところはわからないが、把握していた可能性があるかもしれない、と思うだけで、胸が引き裂かれる思いだ。
 

育児は恐ろしく大変

 
自分が子どもの頃は、親は何でも知っていて、何でも出来ると思っていた。
自分が親という立場になって初めて、「親としての年齢」と「子ども年齢」が同じ、ということに気付いた。
 
本やインターネット、知人からのアドバイスを総動員してさえ、育児は恐ろしく大変だ。
 
自分の知っている範囲の知人では、愛する子どもとはいえ、心の底からの怒りをおぼえたことがある人がほとんどで、
「愛する子どものためなので、育児なんて平気」
なんてことを呑気に言ってられるのは、ろくに育児にも参加していない男親や第三者くらいなものだ。
 

ヒトは「共育」

 
少し前にあったNHKスペシャルで育児のことを特集していた。
それによると、そもそもヒトという生物は、子どもを1人で育てられるようにはできていないという。
 
つまり、「共育」が当たり前で、それを1人で育てようとすると、歪がどこかで表面化する。
表面化する場所が母親に多く表れた場合、こういった事件がおきるきっかけになりえてしまう。
 
1人で無理な場合、まずは男親、そしてその家族。
しかし、それでも実は全然足りない。
 
地域、国レベルでのサポートがないと、また同じような事件は繰り返される。
この問題は絶対に解決しないといけない。
 
この母親には大きな大きな罪がある。
かといって、この母親の子どもに対する愛情が薄かった、と簡単に結論付けることは断じてできない。
 

再発防止の為に

 
自分の住んでいる地域は、待機児童は比較的少ないので、割とすんなり幼稚園・保育園に入れることができる。
 
とはいえ、夫婦合わせた世帯年収が400万を下回ることが珍しくない現代では、共働きをしないと生活していけないのが当たり前だが、幼稚園の降園時間を考えても、二人共が所謂「普通」の労働時間を割くことは困難だ。
 
国には、縦割りでなかなか進まない抜本的解決を一日も早く目指してほしい。
 
先日の電通社員自殺問題も働き方ということを考えるきっかけになるが、とにかく早急に働き方を考えないと、男親が育児に割ける時間がほとんどなくなり、結局女親に育児のストレスがすべてのっかるということになってしまう。
 
待機児童問題は、より直接的な問題だ。
 
個人レベルでは、これまたありふれた言葉だが、子は共有の宝、という空気を、社会として作り出していく必要がある。
 
公共交通機関の中でうるさい子どもや、幼稚園や保育園の近隣で大きな子どもの声を耳にしたとき、反射的に「うるさいな」と思ってしまうのは仕方ない。
 
しかし、人には理性がある。考えるチカラがある。
 
うるさい子どもたちは、共有の宝なんだ、とみんなで「思う」努力をすることはできるはずだ。
 
それこそが大人にしかできないことではないだろうか。