日々じゃーなる

日々の生活でおもったことをなんとなく、でも結構まじめに綴るブログです。 趣味は読書とビリヤード。仕事は音楽関係。

プロフェッショナルの才能論

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先日、あるプロフェッショナルに出会った。
 
その人は、元サッカーのプロ。
既に引退しているが、元Jリーグの選手、サッカーファンならば誰でも知っているレベルの知名度を誇る人だ。
 
今は、小中学生を中心としたサッカースクールで教えている。
 
自分はスポーツの世界に全くいなかったので、非常に興味深く話をさせてもらった。
 
何時間にも渡って深い話をしたので、それをこのブログで全て紹介することはできないが、最も重要(だと自分が思ったところ)だけを紹介する。
 

「才能」の話

 
サッカースクールで子どもたちにサッカーを教えている中で、子どもたちの才能の有無を痛いほど感じる、という。
 
しかし、才能というのは「サッカーのスキル」の才能ではない。
 
子どもたちと話す中で、
「将来の夢は何?」
と質問すると、ほとんどの子どもが
「プロのサッカー選手」
と答える。
 
次に、今日朝起きて何をしていたかをある子どもに聞くと、朝ごはんを食べて、テレビを見て、少しゲームをして、このスクールに来た、という。
 
この時点で、この子どもはプロになれないかな、と感じるそうだ。
 
例えばその選手の場合、小さい頃の思い出はサッカーしかないそうだ。
言葉の通り、寝る間も惜しんでサッカーにはまっていたそうで、学校がある日ですら、サッカーをしたくてしょうがないから、登校の3時間前くらいに起きて、一通りボールを蹴っていたらしい。
 
休み時間も、学校終了後もサッカー、サッカー、サッカー。
ゲームやテレビなんて、まったく興味がなかった、というより存在を忘れていたというレベルらしい。
 
親から家族旅行をすすめられても、サッカーができないからと嫌がったこともあったらしいし、それでも何度か行った旅行先では、持参したサッカーボールで遊んでいたらしい。
 
リアルキャプテン翼だ。
 
「努力とか、やらなくちゃ、とかじゃないんですよ。
サッカーしか興味がないし、それ以外のことが目にも頭にも入らないんです。」
 

プロフェッショナルに必要な才能

 
分野こそ違うが、やはりプロフェッショナルになるというのはそういうことなんだ、と感じた。
音楽の世界も、何かと「才能」という言葉が多用される。
 
この才能という言葉は、ほとんどの場合その分野のスキルを指すことが多い。
しかし、プロフェッショナルとしてやっていくためには、スキルとは別に「はまる」能力が絶対に必要になる。いわゆる「没頭力」だ。
 
音楽の場合も例外ではなく、例えば作曲家はほとんど一日中曲のことを考えている。
街で歩いているときも、アンテナを張り続け、常にネタ探しをしている。
 
そして、本人たちはそれを義務とは思っていない。
その行為は、いうなれば「呼吸」レベルだ。
(呼吸することを努力していると感じる人がいない、ということ)
 
少し複雑だが、没頭力に才能がある人は、スキルが確実にあがる。
しかし、スキルの才能がある人が没頭力が上がるとは限らない。
むしろ上がらない人のほうが多い。
 

没頭力の才能は自分で見つけ、他の人は邪魔しない

 
はまる力=没頭力は、どんな分野に対して表れるかが人によって全然違う。
だから、何を選ぶかに関しては、人の意見は参考にならない。
自分で考えるしかない。
 
何に対してはまれるか、を探すのは意外と簡単だ。
朝から晩まで、毎日毎日し続けても全然苦にならないことが何かを考えるだけで良い。
 
親や大人は、その環境を一般論を武器にして邪魔しないことだ。
価値観の多様化が急速に進む現代において、子どもがはまる分野を大人が想像することは難しい。